マネキンと産毛 : ヘルムート・ニュートン写真展

(以下の記事は2002年5月26日に書いたものを構成し直したものです。)

ヘルムート・ニュートン写真展
ヘルムート・ニュートン写真展/helmut newton – work daimura museum, osaka & tokyo

80歳を記念にして催されたヘルムート・ニュートン(Helmut Newton)の写真展が梅田大丸で催されていたので、出かけたついでに寄ってみた。1時間半ほどだったが気楽に熱中した展覧会は初めてだった。写真展に合わせて以下の写真集が発売された。『ヘルムート・ニュートン写真集』タッシェン・フォトシリーズ、マンフレート ハイティング(Manfred Heiting)、タッシェンジャパン、2002年

ニュートンは、ご存じのとおり、イヴ・サンローラン(Yves Saint-Laurent)たちのブランド広告写真をヴォーグ(Vogue)やマリ・クレール(Marie Claire)等のファッション雑誌に掲載していた写真家。今回は、マネキン仕立ての被写体以外に、産毛もリアルに写せたりする肉感的な視点も忘れていなかったことが、行って良かったと思えた点だ。

「女たちは服を着てやってくる」と隣り合わせに展示されている「女たちは裸でやってくる」がとくに目を惹いた。

“Sumo”, http://www.helmut-newton.com/previous_exhibitions/sumo/gallery.html

確かに、欠陥・血管一つない女性の被写体が現出した広告写真、つまりモード系といった類の作品もいいが、今回の展覧会で、ニュートンが産毛を実は忘れていなかったことに、妙に感動した。しかも、彼が一旦撮すとなると、「単に写ってる産毛」ではない。つまり、彼の作品の傾向として上げられる、男根をもっているかのような女性ということにこだわれば、男性的かと思えるくらいの産毛を「ふさふさ」?と撮している。

あと同じような見方でいえば、漠然とした印象では、乳首~乳輪の撮し方が見事だと思った。作品にヒールが写っていない場合は、代替として、乳首や乳輪が強く撮されており、作品全般的に被写体が笑っていないし、このような点が、エロ写真と全く違うなぁと思った。ニュートンの作品には、撮されるものが撮されるものとして存在している、あるいは、代償がない。

エロ写真だと、乳房を撮す代わりに笑顔で恥じらいをチャラにするというか、手っ取り早い等価交換が行われているようで安っぽくなるし、その点、「身体」として全面展開している姿勢と、そこに、マネキンかゴールデン・リアル産毛か、いずれかに特化しようとしている態度は、爽やかだなぁと思えた。もっとも、この爽やかさが、どこか、第二次大戦期のナチスドイツの肉体賛美的なアートに近いものだという印象も拭えないのだが。

大丸ミュージアム・梅田 2002年5月22日(水)~6月2日(日)

ヘルムート・ニュートン写真展/helmut newton - work daimura museum, osaka & tokyo
ヘルムート・ニュートン写真展/helmut newton – work daimura museum, osaka & tokyo

パンフレットの紹介文

20世紀に登場した、最も衝撃的な写真家は?と問えば、誰もが口を揃えて答える写真家がいる
—-1920年、ドイツ・ベルリン生まれ。「エル」「ノヴァ」「マリ・クレール」など、 世界の最先端をひた走ったファッション各誌の中でもとりわけ「ヴォーグ」各国版での活躍があまりにも有名だ。 20世紀の写真界を常に挑発してきた、ひとりの男。—-彼の名は、ヘルムート・ニュートン。
華麗なるモード、鮮烈なヌード、ポートレートなど、ニュートンが切り取った数々のシーンにあるのは、 ファッションとは何か?写真とは何か?現実とは、女とは、エロスとは何か?といういくつもの疑問符ではないだろうか。
見る者に視覚的興奮を与える以上に、心をかき乱すような強い何かが、たった一枚の写真に潜んでいる。
彼がレンズの奥に見ていた、非現実的・虚構の世界の向こう側にある、目には見えない「真実」。
今回来日の約220点に囲まれながら、それぞれの心に去来する不思議な何かを楽しめるのも、 本展のひとつの醍醐味と言えよう。
ニュートン自身の様々なプロデュース・アイデアが活きる、大丸開催の本展は、 21世紀においてもなお色褪せることのない強いイマージュを鑑賞者に刻みつけることだろう。


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[投稿日]2017/02/07
[更新日]2017/05/29