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ギャルソンヌ・ルック:マニッシュやフラッパーとも

Maurice-Louis Branger – Terrasse de café, Paris, 1925 スタイル
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ギャルソンヌ・ルックとは少年風衣装、男性風衣装、軽装のボーイッシュの総称といわれてきました。

フランス語でgarçonne(garçonne look)。1910年代ルックまたは1920年代ルックの代表例です。

別名マニッシュ・ルック(mannish look)、類義語にフラッパー・ルック(おてんば娘ルック/flapper look)。

厳密には、男性衣装に近いというより、女性らしさの喪失(主婦・母性の喪失)、複雑な装飾の除去といった特徴が大きく、当時は女性のみが着用していたスカートもギャルソンヌ・ルックに含まれます。

ギャルソンヌの語源

garçonne(ギャルソンヌ)はgarçon(「ギャルソン;男の子)が転化した女性形で「少年のような女性」、「男性のような女性」の意味。カタカナ表記ではガルソンヌとも。

ギャルソンの女性形転化はフランスの作家ヴィクトル・マルグリットの同名小説『ガルソンヌ』(1922年刊)から。

ギャルソンヌの語源となった本 ヴィクトル・マルグリット ガルソンヌ

Victor Margueritte, La Garçonne: Roman de moeurs

ギャルソンヌ・ルックのスタイル

ギャルソンヌ・ルックの典型的なスタイルは、

  • 扁平な胸(乳房を強調しない)
  • 小さな頭部とショート・ボブ(断髪)の髪型(ストレートが多くパーマ少)
  • ほっそりとした直線的輪郭の衣装
  • 薄い化粧または男性風化粧
  • 少ない装飾
  • 煙草
  • ハイヒール・シューズ

です。

衣服だけでいえば、今ほどではない細身のスーツとパンツ(ズボン)、あるいはドレスや膝下丈のスカートと、それに合わせたシャツやブラウスが代表的な品目でした。装飾が多くゆったりとしたドレスやスカートが女性的であるのと対照的に考えられます。

ボブヘアについて

ギャルソンヌ・ルックとボブヘア

ギャルソンヌ・ルックの中でもとくにボブのヘアスタイルはギャルソンヌ・スタイルとも言われます。

第一次世界大戦中の欧米や以後の東アジアその他の地域で女性の社会進出が活発になり、働く女性たちを背景に、1920年代にかけてギャルソンヌ・ルックは流行しました。

スポーツへの女性進出とボブ

ボブヘア(短髪)は最初からファッションの一環に採り入れられたのではありません。1920年代に女性はスポーツに進出し、その影響がボブヘアに現われたのです。

1920年代に活躍した女性スポーツ選手には、テニスのスザンヌ・ラングレン(スザンヌ・ランランとも)や水泳のガートルード・アデルレらがいました。いずれもボブ。

ガートルード・アデルレ

ガートルードは、1926年にイギリスと欧州大陸間にあるイギリス海峡を泳ぎ切りました。これを祝して、女性ではじめてチャンネル・スイマーの称号を得ました。これまで5人の男性が挑戦し泳ぎ切っていましたが、タイムがガートルードに及びませんでした。

ガートルード・アデルがイギリスに到着してチャンネルスイマーとなった最初の写真。

Bundesarchiv, Bild 102-10212 / Unknown / CC-BY-SA 3.0 [CC BY-SA 3.0 de (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/de/deed.en)]

この偉業を成し遂げた彼女は、泳ぐスピードが格段に速い点をよくインタビューされました。彼女の答えはボブヘア。幼いころから父親に、水泳が上手くなればボブにしていいよと言われてきたようです。

ギャルソンヌ・ルックの代表的なデザイナー

前代に比べてシンプルで細身の衣装が特徴で、当時の新興デザイナーたちが率先して採り入れたスタイルです。

ガブリエル・シャネルジャンヌ・ランバンマドレーヌ・ヴィオネイシドール・パカンら。1927年には一部にスカート丈が伸びはじめ女性性が復調傾向に入りました。それ以降は繰り返し。

ギャルソンヌ・ルックを写した写真「カフェ・テラス」

この写真は、フランスの写真家 モーリス・ルイ・ブランガー (Maurice-Louis Branger) が1925年にパリで写した「カフェ・テラス」です。

彼の作品は人物が多いのですが、たまに街角を写したものもあり、白黒写真という理由もあって私はよく一世代前のエフゲニ・アジェ (Eugène Atget) を思い出します。画質こそ違いますが。

Maurice-Louis Branger – Terrasse de café, Paris, 1925

Maurice-Louis Branger – Terrasse de café, Paris, 1925 via Pleasurephoto Room

この「カフェ・テラス」には別の角度から写した作品もあります(こちら)。

当時のギャルソンヌたちの憩いの場にカフェまたはカフェテラスは必須条件だったでしょう。当時のカフェ通いは常連になったのか、今のカフェ巡りのように渡り歩くようなものだったのか、おそらく前者だと思います。ちょっと羨ましい。

私も妻や学生たちとよくカフェ巡りをしますが、数人で定着したくなるカフェは大阪府内でも数少ないのです。

関連 妻や学生たちとカフェ巡り

さて、カフェの女性二人の写真に戻りましょう。

二人ともショート・ボブに帽子を被り、左側女性はゆったり目のワンピース、右側女性は同じくゆったり目のツーピースを着ています。

二人ともハイヒールの靴を履いて脚を組み、左の女性は光の加減でストッキングが輝いています。ギャルソンヌ・ルックの一例に相応しいと思います。

ギャルソンヌ・ルックの世界的流行

ギャルソンヌ・ルックは欧米に留まらず世界的に流行した点が重要で、モダン・ガール(modern girl)とよばれた女性の都市遊民の典型的なファッションとなりました。

モダンガールという女性像に属するのは、女学生、職業婦人、そして女性社会運動家たち。

共通するのは、冒頭で記したように家庭主婦を否定する存在ということで、主婦も含め当時新しく女性を区分する用語や職種が登場していたことが社会的な背景です。静的な主婦像(良妻賢母像)が形成されたのは実は20世紀に入ってからのことです。

モダンガールは新女性とよばれることもあり、19世紀的で封建的な風習、とくに女性は固定的で室内にいるのが理想とされる風習を打破する意味合いを持っていました。1910年代は辛亥革命、第一次世界大戦、ロシア革命など、世界の主要国が動乱に巻き込まれ、女性たちは男性の仕事を引き継ぐ必要があったからです。

先述のマルグリットの小説『ガルソンヌ』では当時の職業婦人がギャルソンヌとよばれています。

写真は中国映画黎明期の女優・黎明晖(黎明暉、Li Minghui、1909年-2003年)です。ギャルソンヌルックの作品が多いです。

また、1920・30年代の上海の写真を見ていますと、旗袍は引き締まったスタイルゆえにギャルソンヌとして人気があったことがわかります。

旗袍に似合う髪形は、カット、巻き上げ、パーマによる短髪ですから、ギャルソンヌルックに適していたのですね。阮玲玉(ロアン・リンユィ)もこのようなモダンガールを演じた女優の一人です。

ギャルソンヌルックの特徴に活動性が指摘されることが多くみられますが、これは間違い。活動性を保証する衣装は古今東西どこにでも存在します。

留意点 : 2018年12月6日追記

学生からの質問・指摘

2018年の後期授業期間に、同志社大学の学生から鋭い指摘を頂きました。

私の説明でもそうですが、一般にギャルソンヌやギャルソンヌ・ルックとよばれる服装は、今から見れば十分に女性らしいといえます。指摘されて初めて、このページや授業中の私の説明が、服装をほとんど語らずショートヘアの髪型に集中したことに気づきました。

そこで、フランス語でいう「garçon」(少年)と「garçonne」(少年風少女)は、当時の文脈で一体何だったのかを考えると、次のようにまとめることができます。

仮説

まず、学生の感想は「スカートを穿いたり可愛い靴を履いたりしていて、同時代の少年には無さそうだし、十分に女の子らしい」ということでした。

次いで、他方で少女が少年風の服装に近づいたという説を無下に否定はできませんから、折衷案として次の仮説を出します。

折衷案

  1. 服装は女性らしく可愛らしいものだけど、少年の服装とあえて同じ点を探すならば、正面からみれば少なくともシルエットは男子・女子ともエイチ・ライン(Hライン)だった。(体系や年齢にもよりますが横からみれば男女差は出るはず)
  2. Hラインが意味する事柄の一つに胸部を過小評価していた。以下の理由から、これは母性の拒否だった。

2について補足します。

1910年代・1920年代当時は「flat boy-like」(男性風平坦)が女性美基準の一つだったのですから、女性美に胸部は含まれていません。

胸部が重視されるようになるのは1930年代にアメリカ合衆国で立体的ブラジャーが開発・商品化されて以後の話です。象徴的なのは1950年代同国の女優マリリン・モンローです。

職業婦人は?

このページの冒頭に紹介したマルグリットの小説『ガルソンヌ』は当時の職業婦人たちをギャルソンヌとよんでいます。

またギャルソンヌは少年風少女の意味ももっていますから、職業婦人は若年層だったはずです。

抽象的な結論

1910年代・1920年代は女性解放運動が盛んになっており、女性の生き方を母親になることに限定する考えを否定する、新たな考えが活発になっていきます。

専業主婦というインセンティブが広がるとともに、それを否定するインセンティブも出てきた訳です。

マルグリットはギャルソンヌを職業婦人ととらえた点もふまえると、無職の少女(女子学生)または有職の少女がギャルソンヌルックを採り入れたと、論点を絞れます。先進的な欧米地域では「女性=母親(または将来の母親)」という等式を崩そうという動きが一部の人たちに支持されました。

一時的にか将来的にかはともかく母になることへの重圧を保留して、一般的な女子学生や有職少女はおしゃれをして外出するという自由を得たのがギャルソンヌルックの本質に思えます。

以上の理由から、ギャルソンヌルックは女子学生や就労少女たちの母性の拒否でした。

逆説

ただし、モードやファッションというものは逆説的でもあります。

母親の象徴は胸の強調(母乳)と妊娠です。

それに抵抗してギャルソンヌ・ルックは少年風平坦を目指してHラインにしたのだとしても、当時の先進地域の欧米諸国ですら、まだまだ今より貧困だったということが影響して「細いからHラインになった」ともみれるわけです。

薄地の生地でHラインに衣服を仕上げると、細い人はHライン、ふくよかな人はマタニティ・ラインになります。マタニティを否定しようとしても体型によってはマタニティに近づくとみることもできます。

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