クラウディア・シファー:Claudia Schiffer
トップ・ブランドの広告塔として国際的に知られた、元祖スーパー・モデル
1970年、ドイツのラインバッハ(デュッセルドルフ)で、弁護士の父と専業主婦の母のもとに生まれる。
87年10月に、モデルのスカウトのためにデュッセルドルフへ2週間前から滞在していたミシェル・ラヴァタン(Michel Levaton - メトロポリタン・モデル代理店の指導官)が、ナイトクラブ(ディスコ)でダンスフロア上のクラウディアを発見。日を改めて、母親も交えたシファー側と交渉し成功。その後、シファーは、写真テストのためパリへ向かう。
同年、パリでクラウディアは写真家マリーと最初のテストを実施したものの、ラヴァタンはシファーをマス・メディアへのオファーを繰り返すが、当初は失敗がつづく。しかし、サロン「オディール」の配役担当責任者だったエリを必死に説得し、契約を締結。これが発端となり、イタリア語、ドイツ語、英語などの新聞が、挙ってシファーの取材を競争。また、雑誌5誌のカバーモデルにも抜擢されるようになった(現在では数百冊のカバーモデルを経験している)。また、この年、「グェス」(Guess)のキャンペーンガールにも起用。
合衆国で自分の名前を売り込む準備ができたクラウディアは、その後、スポーツウェアを専門とする非常に若いアパレル会社「アイス・バーグ」やジーンズ会社のモデルも務めた。また、グェスのキャンペーンガールの経歴もともない、米国とヨーロッパの5誌のカバーを飾った。これまでに、『エル』『ヴォーグ』『コスモポリタン』『ヴァニティ・フェア』『ローリング・ストーン』『タイム』など500以上の雑誌表紙を飾ってきた。『ピープル』誌の「25人のもっとも美しい人」、『USマガジン』誌の「10人のもっとも美しい女性」の一人にも選ばれている。
90年代になると、アメリカからは高額な出演料やモデル料も提示されるようになってきた。600万ドルでレブロンと4年間契約を交わしたのが代表例。これは、1年間のうち30日間レブロンのために働くというものだった。また、シャネル、ジャンニ・ヴェルサーチ、ヴァレンティノ、ラルフ・ローレンなど、トップデザイナーやブランドの広告キャンペーンモデルも経る。
なお、クラウディアのマネージャー、ラヴァタンに、シャネルの伝説的デザイナー、カール・ラガーフェルドがクラウディアに会いたがっているとの話が伝わったことが、シャネルのモデルになる発端だった。ラヴァタンは、間もなく、シャネルのコレクションのために、クラウディアに対しキャットウォークの方法を教えることとなったが、クラウディアが飲み込めずに失敗。しかし、カール・ラガーフェルドは、「道を歩くように歩いてほしい」とラヴァタンに答え、ラヴァタンの「失敗」が好転したというのは、裏話として面白い。
また、スーパーモデルの枠を超えて、ナオミ・キャンベルやエル・マクファーソンらと共同でレストランを経営。ほかにも、水着カレンダーによる収益金の寄付、画集『Memories』の出版など様々な活動も行なっている。さらに、コマーシャルやワークアウト・ビデオにも出演している。
出演した映画も多く、『リッチー・リッチ』(マコーレー・カルキン主演、94年)にエアロビクスのトレーナー役で特別出演。『プレタポルテ』(ロバート・アルトマン監督、94年)、ファッション界をモチーフにしたドキュメンタリー『キャットウォーク』(ロバート・リーコック監督、95年)などに出演。本作で本格デビューとなった。主著は2冊、『思い出』と題せられる画報と、デザイナー、カール・ラガーフェルドによって写真を撮られた白黒の大型豪華本だ。なお、クラウディア・シファーは、パリのグレヴァン博物館(MUSEE GREVIN - グレヴァン蝋人形館)に彼女のワックス肖像を持つ初めてで唯一のモデルでもある。
商品情報
- Ann Gaines, "Female Stars of Physical Fitness: Featuring Profiles of Christie Brinkley, Denise Austin, Claudia Schiffer, and Tyra Banks(Legends of Health & Fitness)", Mitchell Lane Pub Inc., 2000.
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外部の関連ページ
- Claudia Schiffer Biography and Filmography - クラウディア・シファーの登場する映画の完全リスト。
- (英仏)グレヴァン博物館
