リチャード・リンドナー:Richard Lindner
1901年、ドイツのハンブルク生まれ。母親はアメリカ人。ニュルンベルクで育ち、青年時代は、ワイマールの美術工芸学校(Kunstgewerbeschule)で研究に専念。
1924年から27年まではミュンヘンで暮らす。25年にはミュンヘンの美術アカデミー(Kunstakademie;ファインアート・アカデミーの説もある)で研究を開始。28年からは、ベルリンへ移住し、KnorrやHirthなどの出版社でアートディレクターを務める。。しかし、両社がナチス協賛出版社であったため、ナチスが勢力を拡大しはじめた33年、リンドナーはパリへ亡命。パリでは、フランス人の芸術家との接触を試みて、コマーシャルアーティストとして働く。
第2次世界大戦の勃発した39年にパリで抑留されて、後にフランスとイギリスの軍隊に服務。41年には友人のサウル・シュタインベルク(Saul Steinberg)とともに渡米した。本や雑誌のイラストレーターとして、主にニューヨークで活躍するようになる。『ヴォーグ』『ハーパース・バザー』『フォーチュン』での活躍は特に有名。アメリカではニューヨークの芸術家やドイツ人の移民と積極的に接触し、48年にアメリカ国民となった。
52年に、自身の絵の邪魔をするとのことでイラストを断念し、以後、もっぱら具象絵画に専念する。代表的なのは、62年の作品「アラバマの月」(The moon over Alabama)。ポップアートの類縁ともいわれる作品。
全体的には、50~70年代を通じ、彼の絵の多くが、女性の身体をやや大げさに描きつつ、装飾する服装も大胆かつ攻撃的で、時には鎧を着せたりすることもある。ただし、リンドナーの場合、ぴったりしたレザー(革)の服やブーツに締め付けられた豊満な身体など、「装甲」にこだわったファッションが目立つが、これは攻撃性の面をもちつつも、同時にタブー(禁忌)の側面ももっており、両義的な意味合いがある。商業広告のもつセクシャルな象徴性を駆使し、メディアにみられるジェンダーの役割の定義を探っている作風というのが、美術史家たちの大方の評価である。
教育遍歴は以下の通り。52年から65年までブルックリンのプラット・インスティチュート(Pratt Institute)、67年からは、ニューヘブンにあるエール大学美術・建築学科で教えた。また65年には、ハンブルクの絵画芸術アカデミーの客員教授も務めた。
78年、ニューヨークで没。
90年春夏コレクションでは、ジャンポール・ゴルチエがリチャード・リンドナーをイメージした作品を発表。未来服のようにボディコンシャスになった、極彩色の女性像が全面的に出され、ハードな質感をもったコレクションであった。
