ヘルムート・ニュートン:Helmut Newton
1920年、ベルリン生まれの写真家。家はユダヤ人の裕福なボタン製造業者。ニュルンベルク法による学校内でのユダヤ人生徒とアーリア人生徒の分離政策が始まるまで、ヴェルナー・フォン・トライチュケ実科ギムナジウムで学ぶ。のち、写真家を志して、ベルリンのアメリカンスクールに通学したが、水泳と女性ばかりに関心がむき、退学。
36年にベルリンの写真家イーヴァ(エルス・ジーモン)に弟子入り。彼女のスタジオはシュリュター通りにあった。イーヴァがナチスのアウシュビッツ強制収容所で虐殺されたのを機に、38年、ナチスから逃れるためにベルリンからシンガポールへ移住。『シンガポール・ストレイト・タイムズ』紙で報道写真家の職業に就いた。しかし、無能を理由に2週間後に解雇。
40年、オーストラリアで兵役に就き、兵卒として5年間トラックの運転や鉄道の土木作業で生計を立て、除隊後、メルボルンで小さな写真スタジオをオープン。45年に雑誌『ヴォーグ』(オーストラリア版)の仕事をスタート。
61年5月からは『ヴォーグ』(フランス版)で活躍をつづける。退廃的でスキャンダラスな作風で、従来の明るく健全なファッション写真のイメージに挑戦した。その間、『ヴォーグ』(アメリカ版、イタリア版、ドイツ版)に加え、『リネア・イタリアーナ』『クイーン』『ノヴァ』『ジャルダン・デ・モード』『マリ・クレール』『エル』など、ファッション雑誌各誌にエロティックで挑発的な作品を掲載しつづけた。
48年にジューン・ブリュネル(ブラウン)と結婚。ニュートンは、70年にアリス・スプリングズの名で写真をはじめたジューンから大きな影響を受けていた。
アメリカやヨーロッパをはじめ、日本でも幾度となく写真展が催されている。最近では、2002年に「ヘルムート・ニュートン写真展」が全国の有名百貨店で開催されたが、04年1月、自動車事故によって他界。
03年、故郷ベルリンで、ヘルムート・ニュートンの作品を常設展示する国立の写真美術館建設計画があがった。これは、死後数年たった頃に展示をスタートするという美術館側とニュートンとの合意があった。しかし、04年の休止によって、常設展のオープンが早まることとなった(遺族側の合意済)。
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