エマニュエル・ウンガロ : Emanuel Ungaro

1933年、フランスのエクサンプロバンス生まれのイタリア人。

学校を卒業したのち、テーラーだった父のもとで、22歳まで、紳士服の裁断、縫製、仮縫いの技術を学んだ。その後、58年から63年までは、バレンシアガの店(マドリード店も含む)で働き、64年の1年間、「クレージュ」の片腕となって働いた。

彼の名で初めてコレクションを開いたのは65年夏で、オートクチュール界の輝ける新人の座を獲得。翌66年には、パリのマクマボン通りにオートクチュールのメゾンを開店。68年、モンテーニュ通りに移転。

当初の作風は、「未来感覚派」や「若いテロリスト」と呼ばれ、構成、色彩、裁断技術などにわたり、メタリックな素材や斬新な配色で、クレージュの影響を感じさせる。後に、テキスタイル・デザイナー、ソニア・ナップとの出会いによって、美しいプリントや園は移植を駆使した独自の作風を打ち出すようになった。特に、プリントどうしの重ね着、多彩な配色の組み合わせに関するテクニックは、プリントのレイヤード・ルックとして発表され、「色彩の魔術師」「プリントの詩人」などの異名も取った。

77年の春からは、プリントの配色は鮮明になり、レイヤード・ルックは単純化され、無地や幅広い縁取りでボリュームを補う。次第に無地物の占めるスペースが増え、78年秋には、大半がプリントなしの単色の組み合わせへと変化した。

ニューヨークの専門店、ボンウィット・テーラーで発表したコレクションは、ヤング・マーケットに広く浸透した。

パリ・オートクチュール最高の栄誉あるデ・ドール賞をはじめ、ドイツ・クレフェルドのルエット・ドール賞、メキシコ最優秀デザイナー賞、アメリカのニーマン・マーカス賞など、受賞は数多い。

プレタポルテ部門は、「ウンガロ・パラレル」。なお、1996年、「サルヴァトーレ・フェラガモ」が、エマニュエル・ウンガロを買収。当時、戦略的なパートナーを探していたウンガロが、見にくい買収劇に興じていたモエヘネシー・ルイヴィトンやグッチではなく、フェラガモを選んだことは、未だファミリー・メゾンの一つとしてファッション・ブランドへの成功を維持していた点が評価されたからである。


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[投稿日]2017/02/17
[更新日]2017/05/04