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南京町の十三支 十二支の石像がある南京町広場の様子をお伝えし、十二支等の用語解説を行なっています。
南京町の中心にある南京町広場には、中央の塔を中心に、十二支の石像がちょこんと座っている。しかし、看板には、南京町十三支とネーミングされている。
その十三番目の石像は何かが気になるが、その答えは、南京町の十三支(午後の部)で写真を掲げておいたので、そちらを参照していただく。ここでは、中国から由来した陰陽五行説に関連する十二支について少しまとめておこう。 古代中国で利用されていた陰陽五行説は日本に輸入された。その時期は、文字移入の端緒、すなわち、6世紀中葉から7世紀初頭にまでさかのぼり、640年頃には、南淵請安・高向玄理ら学窓や留学生の帰朝により、急速に展開。その後、天智天皇の時期に最高潮に達した。
陰陽五行説は、陰陽二元論をもとに形成されている。陰陽二元論は、宇宙のなかの森羅万象を陰と陽との関係において捉える二元論である。イメージとしては、天象における太陽(日)と太陰(月)、人象における男と女が挙げられる。実用的には、五行、五星、九星、九気、十二支、十干など、空間と時間に応用されるさまざまな考え方の源だといえる。 五星のなかで最も重要とされる木星は、12年の歳月をかけて天を一周する。進行方向は太陽や月と逆である。そこで、この木星と逆方向に移動する星が架空に設定され、それは天の神のなかで最も尊貴なものとして、歳蔭(太歳)と名づけられた。十二支は、この太歳が一年ごとに移動する場所につけられた名前である。 十二支は、年・月・日・時刻・方位などに充当されてきたが、ここでは、広く知られている方位と十二支との関係について、触れておこう。方位は、北が子(ね)、南が午(うま)、東が卯(う)、西が酉(とり)である。この東西南北は「四正」とよばれ、その間は「四隅」といわれる。それぞれ、東北が丑・寅(うし・とら)、東南が辰・巳(たつ・み)、西南が未・申(ひつじ・さる)、西北が戌・亥(いぬ・い)である。 それでは、南京町広場に集まっている「十二支プラス一支」を2ページにわたってご紹介したい。1ページ目は、午前の部と題して子から巳まで、2ページ目は、午後の部と題して、午から亥、そしてプラス一支である。 【参考文献】 ■吉野裕子『日本古代呪術』大和書房、1975年、45ページ 【関連リンク】(リンク先は別窓で開きます) ■十二支の絵画 http://www.clio.ne.jp/~yoshi/eto/eto.htm ■9z十二支解説 http://hiroshima.cool.ne.jp/masuda901/page9z.html ■十干・十二支について http://homepage1.nifty.com/gyouseinet/calendar/10kan12shi.htm |