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近代日本の夜明け - 南京町 神戸港開港と同時に出現した中華街
JR元町駅西端の鯉川筋(メリケンロード)をまっすぐに南下すると、右手に長安門がみえてくる。これが南京町東端のはじまりで、そこから、西方の元町パークロードにいたる一直線(南京東路・南京西路)に街が展開している。また、この直線からは、北側の元町商店街や南側の栄町通にも路地をいくつか延ばしており、それぞれ店が並んでいる。これらの路地には、さまざまな名前が付けられており、すべて「街」で括られている。
南京町は、神戸港の開港された1968(明治1)年に建設された、中国人の居住区を端緒としている。神戸は、著名な異人館に代表されるように、外国人の居住・活躍してきた場所として発達した面が大きい。また、観光名所としても異国風土のイメージを幅広く展開している。
しかし、ここには、外国人が暮らしてきた場所に独特な、歴史的な段差が存在している。外国人居留地が神戸に存在していたといっても、すべての外国人が居留することを許されていたわけではなかったのである。
アメリカ、イギリス、オランダ、ロシア、フランスの5カ国の人々は、幕末に締結された各国別の通商条約に定められたとおり、外国人居留地に居住が認められていた。
しかし、当時は、清朝(現在の中華人民共和国)と江戸幕府との間に通商条約が締結していなかったため、中国人は、外国人居留地の西側、元町界隈に居住することとなった。これが南京町形成の政治的な要因である。 その後、南京町は、大正期から昭和初頭にかけて最盛期を迎えるが、日中戦争などの戦火が激化することにより、町内で活動していた中国人が相次いで帰国した。こうして、同町は、戦後の賑わいを期待されるが、本格的な復興は、1972年の日中国交正常化まで待たねばならなかった。
第二次世界大戦終戦直後は、アメリカ軍が進駐し、現在の南京町付近にアメリカ人兵相手のバーが乱立し、一時、南京町は歓楽街となった。観光地化が進行したのは、1977年に設立された南京町商店街振興組合と、神戸市の区画整理事業との共同作業に基づく再開発事業による。
南京町の南側入り口をなす楼門の南楼門が建てられたのは、1982年と意外に新しく、3年後の1985年に東楼門である長安門が竣工された。なお、この東楼門は、中華人民共和国が国外への輸出を許可した最初の漢白玉楼門(注1)である。また、元町通り1丁目と2丁目の間にある南京町北入口に、大理石製の中国獅子像一対が設置されたのは1988年、翌89年末には、南京町広場に十二支の石像が設置された。このように、今日わたしたちがみることのできる南京町は、1980年代に形成されたのである。 現在、「南京町」は南京町商店街振興組合の登録商標となっており、料理店や軽食・食材店を中心に、趣味・雑貨店なども所狭しと軒を並べている。 【脚注】(リンク先は別窓で開きます) (1)漢白玉楼門の詳細は神戸南京町の沿革を参照のこと。 【関連リンク】(リンク先は別窓で開きます) ■熱烈歓迎!神戸南京町! http://www.wck.co.jp/NANKINMACHI/ ■NANKINMACHI http://www.nankinmachi.or.jp/ |