着物の写真 (1933年)をみて思うこと…

経済史、日本経済史などの研究で写真を安易に使うと、非常に恣意的で客観的では無いことが生じます。その事例として、ペネロピ・フランクスの論文で取り上げられた 着物の写真 を紹介しつつ、批判いたします。

ペネロピ・フランクス & ジャネット・ハンター編『歴史のなかの消費者―日本における消費と暮らし―1850-2000』中村尚史・谷本雅之監訳、法政大学出版局、2016年

第7章 ペネロピ・フランクス「着物ファッション―消費者と戦前期日本における繊維産業の成長―」

で使われている写真を下に掲げます。

1933年(場所不詳)の 着物の写真

1933年の 着物の写真
1933年の 着物の写真 をみて思うこと…… via 近代日本の身装文化

この 着物の写真 を参照しつつ、フランクスの論点は、以下の3点に展開されていきます。

  1. 1920年代、1930年代になっても、まだまだ着物を着ている人が多かった。
  2. だから、西洋中心史観、およびマルクス主義の言う、近代化・西洋化は、それほど大したことは無かった。
  3. むしろ、このような着物(特に銘仙)を作っていたのは伊勢崎で、供給不足に陥った時は桐生と足利に委託生産をさせたのだから、それは分散型生産組織であって、西洋中心史観、およびマルクス主義の強調してきた工場制(集中型生産組織)では決してない。

1924年(東京日本橋近辺)の 着物の写真

この内、1点目の論点は、次の写真を提示することで否定できます。この写真は先に提示した写真よりも9年前の、1924年の東京日本橋近辺の写真です。洋服女性が和傘をさし、和服女性がパラソルをさしています。フランクス風に言うと、西洋化・近代化は、まさに50%となります。

1924年10月 日本橋辺
洋装と和装 姿勢が違う 1924年10月 日本橋辺 via 近代日本の身装文化

次いで、3)。分散型生産組織は日本固有のものでは無く、世界中で確認できるので、3)は経済史家が経済史を知らんという話で終わります。たとえば西洋でも見られますし、中国では「放料加工制」と呼ばれ、古くからありました。

1933年の 着物の写真 をみて思うこと

みなさんは、1枚目の1933年(場所不詳)の写真を見て、着物(和服)が多いという理由に納得し、近代化・西洋化を過小評価することができますか?

私は、この 着物の写真 を見て、むしろ近代化が進んでいたと感じます。着物に目を奪われてはいけません。

  • そもそも、写真である。そして、後姿が写されている。被写体が撮影に慣れ始めた時代だと分かる。ちなみに、1920年頃までは正面で写されることを好む女性が多かったが、最近はなかなか写させてくれないと、1930年頃に、写真家の影山光洋は苦労話を漏らしています。
  • 髪型が市電などで邪魔にならないようにコンパクトになっている。
  • 帯が「太鼓結び」という、結ぶ仕様では無い取り付け器具による帯になっている。(太鼓結びは、語義矛盾)。太鼓結びは一人でセッティング可能。
  • 舗装されたアスファルトの上を歩いている。土の上では無い。
  • 6人中4人がガラス張りのショーウィンドーを見ている。この大きさからして、百貨店。

では、なぜ、着物を着ているのか?

20代前半と思われるこの6人の女性たちは、女学生かOLのどちらかでしょう。つまり、普段の通学や仕事で彼女たちは洋服を着ていると想定できます。

しかし、1920年代・1930年代の女性の姿勢はまだ、前近代を引きずっています(猫背など)。したがって、洋服を着ることで発生する「感覚疲労」を持っていたはずです。ですから、休みの日は繁華街へ(制約の小さい)和服・着物でショッピング、というプランが成立すると考えられます。

20世紀の100年間、日本人で姿勢の良くなったのは、男性よりもむしろ女性でした。今となっては、このような姿で長時間外出するのは、むしろ女性にとって拷問でしょう。

着物の写真 を見せたところで、着物の根強さを述べたことにはならない

以上、二つの写真をもとに、近代化・西洋化を過小評価することは難しいです。確かに、1970年代までは着物を普段着に着用していた女性たちは多かったですが、だからといって、戦前期、特に1920年代頃に洋服を着ていた女性がほとんどいなかったという指摘は、全く別の問題です。洋服化・近代化・西洋化を軽視することはできません。

この記事に関連して、洋服と和服が簡単に2つに分けられる訳ではない点を「東アジア民族衣装への黄金比の応用」で述べています。そちらで指摘したように、中華圏の旗袍、日本の着物、朝鮮のチョゴリ、ベトナムのアオザイなど、東アジア民族衣装の変貌の基点には、黄金比 ( golden ratio) という人類の慣性が働いています。写真も交えて、 東アジア民族衣装への黄金比の応用 を簡単にまとめています。洋服化・西洋化・近代化の深さは、私たちが感じているほど浅くは有りません。是非、ご参照ください。

また、この記事の一部は、大丸弘・高橋晴子による 「日本人のすがたと暮らし 明治・大正・昭和前期の「身装」」(私の書評記事へ)のうち、特に「帯―お太鼓の周辺」をはじめとする「素材と装い」に依拠して書きました。この本は、まさに痒い所に手が届く名著ですので、みなさんにも強くお勧め致します。

大丸弘・高橋晴子『日本人のすがたと暮らし―明治・大正・昭和前期の「身装」―』三元社、2016年 (amazonへ)


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[投稿日]2017/05/22
[更新日]2017/06/23