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2007年05月25日

マドンナ コンフェッションズ・ツアー・ライヴ

ライブDVDが着いた。とりあえずざっと見た。数曲いいのがあったな。

マドンナ登場の意義をまとめると次のようになるか…。

ロックの歴史を破壊した、ボン・ジョヴィやガンズ&ローゼスという見窄らしい雑音が生まれたアメリカで、ダンスそのものを意味転換させるポップが登場した(って、大げさか…)。

そう、恋愛は、ボンジョヴィのように語るものではない。あいつらは、ロックに恋愛を持ち込み、ロックを破壊した。

ボンジョビ以下の連中によって、社会への怒りは、恋愛の叫びへと転換され、さらに、ほとんどは自己愛に近い醜態晒しと堕落した。当たり前だが、恋愛は語ったり叫んだりするものではなく、実行するものだ。

一般論としてマドンナは以下の点をロンドンの観客に投げかける。

口先だけのお喋りが多いね
あんたらの前で、有言実行できる奴は
いるかい?

冒頭、ウォン・カーウァイ『2046』で試みられたような、ドアが両サイドに開くグラフィックで、奥から「秘密の穴」が出てくる設定を思わせる。

マドンナの背景には、プロジェクターに、馬であったり、幾何学模様であったりが、両サイドに離れていく。そこは、別の次元が開かれるようであり、それでいて、馬の後ろ姿、下半身がクローズアップされる。

ごろつく歌手たちとは違い、ダンスの使い方を知り尽くしたマドンナは、Like A Virginの頃以上に、テンポがアップ。振り付けも「教えることがない。彼女は学ぶ必要がない」とスタッフに言わせたように、縦横無尽だ。

自らアイコンと化して、Live To Tellで、十字架を背負ったマドンナは茨の木で冠をかざして登場する。

キリスト教と信者たちによって半壊したといっても過言ではない地球を憂いながら、マドンナは、キリスト教の十字架によって、懺悔する。

ジーザスの処刑に準えたパフォーマンスがメインとなったこの曲は、DVDに収録されるだけで、CDには場所が与えられていない。

ジーザス・マドンナが登場する直前、とりあえずロックやポップでは、マドンナ(かドロレス・オリオーダン)しか言えないだろう台詞が出てくる。

転ぶことは誰にでもある
問題は起きあがり方
その時こそ挑戦だ。

そうだろ?

自分の世界に閉じこもり
ダンスも現実逃避だった

でも

どんな闇にも光はある

マドンナは危うい肉体美と、退廃的ダンスを、光に変えようとしているのか。ライブの映像で、ブッシュが真剣そうな顔で瞬きを何度もし、ブレアはだれた笑顔を晒している・・・。

投稿者 flaneur : 07:53 | コメント (0)

2007年05月21日

恋人を遠ざけるもの。

男であろうと女であろうと、恋人を遠ざけるものは、自分の心に潜む、卑屈であり、恐縮であり、自信の無さであり、自己愛である。

これらは比較的、男性よりも女性に貫通したものともいえる。鬱、自虐的、マゾ的、病んでる、といった言葉で簡単に処理しがちなのは、男性よりも女性に多い。

最後の自己愛以外は、全て自分を他人と比較することによって生じる、自分自身のマイナス評価である。しかし、マイナス評価といっても、まともに分析する人は少ない。その分析や評価を邪魔しているのは、他ならぬ自己愛である。自己愛を持ち出すことで、自分のマイナス面に目を閉ざしてしまうのである。

女性の部屋では、一日の生活で経た辛さ・楽しさが振り返られず、落としどころの良いプチ日記を書くに留め、「友達」と思いたい連中のコメントを待ち、最後は自己愛の象徴的行為(オナニー)によって、眠りにつくのだろうか…。

人々が自分を一人の人間だと考えるようになった歴史はそれほど長くない。ルネサンス以降の絵画史をふまえると、個人が描写される対象となってきたのは、長期で見積もっても、たかだか200~300年というところだろう。

卑屈、恐縮、自信無さの3点が恋愛を遮断させている21世紀初頭の現状を憂うのが正しいとは思わない。自己愛に支えられ、卑屈、恐縮、自信無さが維持・保持された人々が21世紀中期の日本を支えることを憂うことが問題である。

セックスのできないオナニストたちが量産された20世紀末は、今世紀の恋愛事情を決定づけている。

「男にも原因があるはずなのに、私ばかり悪いような気がしてしまう」

という、誰にでも解るような図式で悩む女性は多い。自分が下らない男性に股間の穴を貫かれていることを分かっていても、そのような関係から抜け出る勇気がない。恋愛は、自分の存在感を確認できる都合の良い関係だからだ。その時に女が経験しているのはセックスではなく、男根を利用したオナニーに過ぎない。それを勘違いして、「男を知っている」と思う女の多いことは、嘆かわしい。

雑魚に空洞を貫かれたオナニーをすることよりも、はっきりとオナニストを自認し、簡単には雑魚に空洞通過を許さない決意をすることが、今の女性には必要と思われる。

卑屈、恐縮、自信無さとは関係のないところで、自己愛に浸ることが、自信獲得のスタートとして必要だ。

投稿者 flaneur : 16:53 | コメント (0)

2007年05月20日

昨日のDVD。

久し振りに我孫子のツタヤへ行って、DVDを借りてきた。

途中で土曜洋画劇場?で、数学の博士の映画があったので、そちらも見たが、浅岡ルリ子、寺尾聡と深瀬なんちゃらが頑張っていたけど(あと、北国なんちゃらの兄ちゃん)、日本映画の典型で、キャスト少・コスト少の貧乏くさい映画だった。

夕方見たのは、劇場2度、DVDでは初めてとなる、『スター・ウォーズIII』。ダース・ベイダー誕生の話。まぁ、グラフィック技術は駆使されているな。

夜中に見たのが『ダビンチ・コード』。小説のネタを圧縮したのは良いけど、作品自体がダビンチの圧力に潰されてしまっているような気がした。

ただ勉強になったのは、日本の神話が嘘八百と思う場合も、キリスト教については、嘘と断言できるほど、日本ではあまり知識として普及していないのではないかということ。

キリスト教も神道や古代天皇と同様、神話化されている面が、ひょっとするとキリスト教国では、今でも、現実として機能している側面があるんだろうなぁという風に感じた。

実際にジーザスが存在したかどうかよりも、問題は、それを神と信じて行動する人間が存在すること。そういう人間が存在するとき、逆にジーザスであろうと天皇であろうと、現実の神になってしまうんだわな…。

ってな宗教史の側面を少し見られたので、多少はタメになったが、面白くはなかった。

ってことで、先ほど、ブルース・リー2本(タイ製氷工場のものと、上海での日本柔道との対決のやつ)、…

『ドラゴン危機一発』(1971 原題:唐山大兄 THE BIG BOSS)
『ドラゴン怒りの鉄拳』(1971 原題:精武門 FIST OF FURY)



ん?

あと1本、何を借りたのか思い出さない…。

アダルトではないはず。

えーと、えーと、

レシート見ると、『真救世主伝説 ラ王』なんちゃらと書いてある!

ってことで、カンフー3本という今晩♪
ってか、疲れてるんか(笑)。

投稿者 flaneur : 20:53 | コメント (0)

2007年05月05日

中華スープと炒飯。

今日は躍起になって、中華スープまで作った。

ニンニクを出汁に使うと一層旨い!
口に入った瞬間にとろけるジャガイモの茹でた具合も最高!

炒飯は、久し振りに玉葱を入れることにして、和風・中華風混ざった感じになった。途中で少し砂糖を入れすぎたか、やや甘口。

豚と玉葱、少々の砂糖が甘みで統制されているが、ニラを生かし切れていないのが悔しい。ニラはいつまで経っても難しいね。

手塩にかけた炒飯。卵を毛羽立たせながら炒めるのは、半々。成功ともいえるし、焼きすぎともいえる…。

今晩寝かすと、塩味も増してるかな。朝の濃い味が楽しみだ♪

そう、料理と女は一晩寝かせるに限る…♪

投稿者 flaneur : 00:03 | コメント (0)

2007年05月02日

一昨日の中華が育つ。

中華、今日は残り少々ってところで、保温を切っていた米に混ぜることにした。それに、パックごと床へ落としてしまった卵4個も混ぜる♪

一昨日の中華は、昨日寝かしたので劇的に味がアップした。

今日の炒飯は、やや落ち気味だが、中々いけるね♪

投稿者 flaneur : 20:28 | コメント (0)