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2007年03月29日
明明後日が命日…。

わての20歳代が『欲望の翼』の阿飛そのものだと、中国からの留学生たちによく茶化されてきたけど、その阿飛本人が他界して4年?が過ぎようとしている。
私は良きオジサンになれるのだろうか…。時は一刻と刻まれていく…。
日本人として日本に育って、違和感が抜けないまま、私は、ちっぽけな人生の、(平均年齢から計算して)約半分を生きてしまった、この面倒くさい人生が、後半の人生に楽しみを与えるための肥やしであったと、いつか言えるときが来るのだろうか…。
投稿者 flaneur : 22:28 | コメント (0)
2007年03月26日
デリラ(Delilah)
ベスト盤だけじゃなくて、ちゃんとアルバムを聞こうと思って、『ベリー・ザ・ハチェット』を聞いてみたら、Delilahという曲が中々コンパクトにまとまっていて良かった。Shout, shout, shout, Delilah...って、文字通り叫んでいるんだけど、それが、なんつぅか、コンパクトな叫びなんだわん♪ 慌てて訳してみますた。



叫べ、叫べ、叫べ、デリラ
叫べ、叫べ、叫べ、声を張り上げて
叫べ、叫べ、叫べ、デリラ
叫べ、叫べ、叫べ、王国が来るまで
私から離れろ
私の家から直ぐに離れろ
私から離れろ
離れろ、じゃないと君をぶちのめすよ
叫べ、叫べ、叫べ、デリラ
叫べ、叫べ、叫べ、王国が来るまで
私の夢を踏みにじっておいて
私の夢を踏みにじるのは止めろ
私の夢を踏みにじるのは止めろ
消えろ、消えろ、消えろ、デリア
私の場所から消えろ
消えろ、消えろ、消えろ、デリア
消えろ、消えろ、消えろ、じゃないと君の顔をぶちのめすよ
あいつが、そんなはずない
あいつが君の恋人だなんて、ありえない
あいつが、そんなはずない
あいつが君の恋人だなんて、絶対にありえない
だから、私から離れろ
私の家から直ぐに離れろ
私から離れろ
直ぐに離れろ、じゃないと君をぶちのめすよ
叫べ、叫べ、叫べ、デリラ
叫べ、叫べ、叫べ、王国が来るまで
私の夢を踏みにじっておいて
私の夢を踏みにじるのは止めろ
私の夢を踏みにじるのは止めろ
デリラ、デリラ、デリラ、デリラ、デリラ
------------
O'Riordan / Hogan
- The Cranberries, 'Delilah' -
ドロレス・オリオーダン、ノエル・ホーガン詞
- ザ・クランベリーズ「デリラ」 -
投稿者 flaneur : 23:59 | コメント (0)
2007年03月25日
夏炉という時間と空間の閉鎖
大阪市住吉区杉本町で数十年にわたって営業を続けていた夏炉というレストランが、今月末をもって1枚板の重い戸を閉める(夏炉についてはこちら)。
この、大阪市立大学の議論好きな方々が、教員、学生問わずに数十年にわたり押しかけて世話になった喫茶店に、昨日、昼食を取りに、夏炉一押しのレモン・ライスという炒飯を食べに行った。
夏炉へ向かって歩きながら、そこへ行くこと自体が5年か6年振りだということに気づいた。行く気になれば徒歩10分というのは苦痛ではないが、当店の間取りが70年代のカフェ的で、雑談や議論に持ってこいというスペースが僕には耐えられなかった。どのような大義名分であれ、群れること自体が僕には許容できない。
その晩、ショーン・ペンの味が染み渡り、ニコール・キッドマンを上手くリードしている政治サスペンス『ザ・インタープリター』を見たとき、どこか、シークレット・サービスという職業に憧れたのも、そのためだろう。人のプライバシーを知っても僕自身に関係がないまま、他人のプライバシーが、ビジネスとして進行することと、それを完遂させる立場というのは、どこか、これかでの僕に似ていたように思う…。
夏炉というカフェで最も時間が詰まった物が、幾冊もの大学ノートに書きためられた感想ノートだろう。この大学ノートは寡黙な物語テーラー。
僕は、大阪市住吉内で暮らすようになり、既に10年もの歳月を経たつもりだったが、昨日でたった3度目か4度目となる夏炉での食事は、大学院でも結局は孤独に過ごしたのかと痛感せざるを得ないほど、思い出が少ないことに愕然とした。 昨日も、このノートには何も書かず、知人と二人で静かに御愛想をして店を出た。
たまたま大きな中央のテーブルで近所に座った32,33歳と思われる法学部の卒業生が、「○○さんっていたね。彼女は結婚の価値観が強かったように思うけど、結局、アタックしてきた人に、簡単になびいて結婚したね。そんなものかね、結婚って」と、あたかも自分がなびかない、あるいはこれまでなびいてこなかったかのように、自分の晩婚を正当化しようとしていた。 その後、取って付けたように、店を取り仕切っているお婆ちゃんのママに愛想を振りまいていた。彼女たち二人の食費は、今風の「別々で」…。夏炉という時間と空間を馴染みにすると自称する者たちもまた、「別々の勘定」という現代風の計算方法を採用している。そして、「別々の感情」のままに、「懐かしさ」と早婚同級生たちをネタにして、自分たちの晩婚に対する不安を共有していた。
そのような正当化は、健気だと思える半面、似た者どおしの晩婚女性一人に大声で話しまくる以外には、その健気さを誰にも正直に話すことのできない彼女の性格にも照らせば、恐らく、5年経っても同じ事を同じ相手と話すことしかできないのだろうという、晩婚、いや、きっと未婚で終わるであろう彼女の一生が見えたみたいで、気持ちが悪かった。
レモン・ライス自体は、椎茸が全体にわたってマイルドに広がっていて、美味しかったんだけどね…。
レストランやカフェは、いろんなお客さんの時間が積み重なっている半面、いろんな客の未来を代弁する義務を背負わされており、大変な業務だと思った。
自分たちの過去を確認し、自分たちの未来への不安を吐露しに来ていた人たちが並ぶ、午後1時過ぎの夏炉、店前の写真を添えて…。
投稿者 flaneur : 17:43 | コメント (0)
2007年03月24日
送別会、そして老いること。
今日は史料整理の仕事の帰りに、梅田へ出て、修士の卒業式に出ていた友達2人と待ち合わせ。ただ、週末の午後6時30分とあって、しかも、国公立は23日金曜日に重ねているのか、卒業式ラッシュで、取って付けたように袴を着ている連中が多く、紀伊国屋のビッグマンは人間の固まりになっていた。
人混みならぬ一塊になっていたので、阪急改札への階段に上がって全体を見渡す。黒のスーツが多いのか、一塊は果てしなく暗い。21世紀の日本を担う連中が、これほど暗いのかと、今更ながら感じる…。
そうこう観察しているうちに、2人が到着。週末の一塊からはぐれることのできる、気の利いたレストランなどを知らないのと、仕事で疲れていたのか、家に少しでも近づきたかったのと、急遽、日本橋の上海新天地へ行こうと切り出し、5階のレストランに行った。
2月中旬から、史料整理の仕事にアルバイトを短期的に投入してきたが、彼ら・彼女たちと私の立場は、意外に距離があるわけでもなく、職場の上司、先輩・後輩、友達、知人、教師と学生、学生どおし、といった様々な関係を取り得る、まぁ、わて自身がよく迷う状況にあるため、非常に疲れた1ヶ月を過ごしたような気がする…。
しかし、明らかに違うのは、立場やキャリアではなく、年齢そのものにある。20代の連中が輝いて見えるという、未だかつて経験したことのない衝撃を、特にこの1週間、痛感してきた。1年前に私の元を去った中国人女性は、あの時、同じ事を感じながら、私に未来を開放させたのだろう…。
彼ら・彼女たちとどのように付き合っていけばいいのか…!?
私はひょっとして、大人になったわけではないが、大人という場所へ持って行かれる状況に巻き込まれているのではないだろうか…。大人になりたくない、なんぞほざくつもりはないんだけど、問題は、大人って何ですか?ってことのはず。
そう、20代前半まではただのガキという明瞭な立場、60歳前後からは老人という明瞭な立場、そして、その間を長期にわたって埋め尽くす大人とは、一体、何物なのだろうか…。
20代前半まで人間は成長期と呼ばれる時期を当てはめられているが、果たしてそうだろうか…? むしろ、大人という不明瞭な時期こそ成長があるのではないだろうか…?! 成長のしない世代、つまり、20代前半までと60歳前後以降こそ、成長が止まっているからこそ明瞭な立場にいるんだといえる。私は当分の間、非常に面倒くさいのだが、成長し続けなければならない。
今日、修士の卒業式を祝ってご馳走したのが、28歳のモンゴル人女性と中国人女性。20代後半とはいえ、人生を半分消化してしまったわてからみれば、やはり輝いていた。
そして、一人ずつ、4月、5月と、国へ帰っていく。
そして、私の留学生友人たちが、これで一人もいなくなる。
中国人女性が今日語っていた。「20代前半の女性は、今までの中国人とは違ってしまった…」と。
資本主義とは人間を簡潔明瞭にさせる。金と終身雇用。この幻想を抱かせながら、拒絶するのが、このタチの悪い経済システムである。
私たちは、どこの国でも通用する金と終身雇用という妄想に取り憑かれ、自分の育った歴史を忘れる…。
アーメン♪
投稿者 flaneur : 01:22 | コメント (0)
2007年03月20日
長居でジム・デビュー。
朝からマイミクの方にCDを送って、病院で薬を貰って、ほんで、セレッソとかいう、J5だったかに降格した、場末チームの本拠地、長居陸上競技場の近くにあるジムに行ってきた(自転車で5分)。
普段使わない筋肉を使ったので、生きているという実感を今更感じた、ついさっき。
今日のメニューは詳しく覚えてないけど、
この間、それまで隣で同じ機械に乗っていた可愛くてスラッとした、20代後半のお姉ちゃんが、これまた脚がそこそこ長く、ちょうど前に置いてある歩く機械に乗ったので、後ろ姿を舐めるように見ながら、脚を押し込みまくって頑張りすぎた…(苦笑)。
徐々にかいてきた彼女の汗がシャンプーに混ざって、ほんわかと甘い匂いを楽しめた、清々しい朝だった。
それはそうと、筋トレは、
あと、
月会費5300円程度。週に2~3回は通いたいな。
脳みそ溶けているので、今の気分は、マドンナ様、犯して♪ってところ…。
投稿者 flaneur : 13:34 | コメント (0)
2007年03月17日
塩沢氏の退官講義とラウンジ・コオ
今日、塩沢由典さんの最終講義を梅田に聴きに行った。昨年の10月、一度だけ複雑系経済学(あるいは進化経済学)の授業を受けたけど、シャープな説明で、かつ元気の出るという、不思議な講義をされるので、後期に急遽授業を担当することになった私としては、たまたま時期が重なったこともあり、彼のシャープな頭脳とわての貧弱な脳みそとを比較してしまって、私の授業ペースが乱れるのも嫌だったので、一度だけ受講しただけだったんだけど、今は春休み、ゆっくりと聞くことができた。
最終講義を聴いた帰りに、友達と二人で行ってきた店がラウンジ・コオ。料理は美味しかった。ニンニク好きなので特に良かった。今日スタッフに入られていた白い逞しい脚に白のブーツが元気そうに映えていた、溢れる良心、どうする母性とでもいいたくなる優しそうな女性、マスターに劣らず、笑顔が素敵だったのが印象的。
そりゃそうと、今は、その授業前に梅田の第2ビルの中古CD屋で買ったマドンナのデビュー前のスタジオ・セッションを集めたアルバムを聞いている。「Best Girl」という、後に「Gambler」となるこの曲を聴いていると、音質が悪いのもあるけど、「Like A Virgin」のような高音を売りにしていたマドンナが既に第2期だったのかと思うくらい、低音の声が抜群に良い。メロディーも完成前って感じで、手作りっぽい雑な感じがして、The Cranberries のドロレスを思い出した。The Cranberries もCDも一緒に買ったから、頭の中でマドンナと混ざって、面白い記憶喪失を体験しているところ…♪
今日買ったCDは、
The Cranberries, "BURY THE HATCHET"
The Cranberries, "To The Faithful Departed"
Madonna, "EMMY & THE EMMYS featuring MADONNA"
Madonna, REMIXED & REVISITED"
投稿者 flaneur : 23:53 | コメント (0)
2007年03月15日
久し振りに出勤したら。
背中ボロボロ。
背筋が弱いんだわな。
明日、試しにジムへ行くつもり。
ただし、忘れなければ、という、敷居の高い条件が付いているけどね~ん♪
投稿者 flaneur : 19:18 | コメント (0)
2007年03月12日
21世紀に必要とされる孔子。
北半球の歴史を振り返ったとき、17世紀という時期がターニング・ポイント(転換期)になる点は、軽く知られていても、そのインパクトにはあまり注目されてこなかった。
17世紀とは、もちろんスペイン・ポルトガルの大航海時代を経て、その経験値を積み重ねたオランダの世紀であり、地球の首都がオランダへ移動した時代である。
それまで、地球の首都は、古代の隋・唐だけでなく、中世の元・明も含め、いずれにせよ中国大陸に存在していたことは、はっきりとしている。しかし、17世紀には、ユーラシア大陸の比較的東部に存在した首都が大きく西部へと、すなわち、ヨーロッパ半島へと移動した時期である。
古代から中世までの(16世紀までの)人間行動の様式は、中国が要求していた朝貢貿易にみられる中華思想のピラミッド方式による統治方法が東アジアと東南アジアを中心に広まっていたが、その中国自体をみた場合、西に位置する天竺、すなわちインドの存在を仏教的に、または儒教的に意識していたと私は想像している。中華思想自体が絶対的な思想であったことは、後のキリスト教の強大化によってはっきりとした絶対的な度合いに比べれば、たかが知れている。
17世紀以降、世界史では(ほぼ)近代と呼ばれる時代に突入したとき、東アジア諸国の停滞が裏付けの証拠として存在する。そして、18世紀になると、中国大陸、朝鮮半島、日本列島が、挙って解禁政策(従来の用語では鎖国)を採用することとなった。つまり、東アジア諸国は「静観する」という態度を取ったことになる。
この静観が最も裏目に出て、自分の息子によって餌食となったのが、あろう事か、中世まで絶大な勢力を誇り続け、周辺諸国はおろかヨーロッパ半島にまで強力な影響を与え続けてきた中国(清朝)であった。自らが生み出した火薬や鉄砲が、イギリスという国家によって軍艦という母体に引きずられ、自らの大地を悉く焼き払われたという暴挙を経験した(阿片戦争)。オランダの学問革命の蓄積がイギリスへ移動していたのも、この時期である。
20世紀中期までの日本人と同様、19世紀中期に中国の内陸にまで侵略を行なったイギリス人は、後の中国人たちによって「鬼子(西洋鬼子)」と呼ばれた(日本人は東洋鬼子)。
ヨーロッパ半島の人間が世界各国の植民地争奪戦を開始したとき、彼らは自らの罪悪感を振り払うかのように「宣教師」と呼ばれる宗教家を同時に世界中へ撒き散らした。キリスト教による世界征服である。この宗教は唯一絶対の神を携え、文字通り鉄の固さのピラミッド型の人間支配を可能にさせる発想を引下げて、自分たちの親である中国大陸へと、およそ5カ国ほどのキリスト教国が押しかけたのであった。
それに比べ、東アジア諸国を中心に古代から徐々に浸透していった儒教と呼ばれる思想は、宗教と言うほど絶対的なものとしては機能してこなかったが、その事実こそが儒教の教えそのものであり、オブジェクト思考(対象思考)、すなわち、状況によって取るべき人間の行動様式を示唆するものであり、キリスト教のいう枠組み合っての人間行動を要求するようなサブジェクト思考(主体思考)ではない点が大きく異なる。
20世紀前半に始まり、末期には明らかに機能不全に陥った「キリスト教」の鉄の支配は、20世紀末の共産主義諸国の崩壊とともに勝利を収めたかに見えたが、20世紀の首都となったアメリカ合衆国が撒き散らした「価値自由」の蔓延は、キリスト教をも破壊する力を用いており、20世紀末の人間に行動規範となる思想や宗教が欠落した点が、21世紀の行方を決定づけている。
絶対的価値が消滅し、価値自由が生じた人間が経験したことは、高学歴の人間が就けない程の就職難であり(就職じゃなくてもいいから、原稿依頼くらいくれ!)、引き籠もりであり、ニートであり、フリーターであり、そして、親子の殺害ニュースから始まる退廃的な毎日という日常であった。
価値自由に対応できる宗教は存在しない。それには、儒教型のオブジェクト指向が必要とされるのであり、21世紀は確実に宗教の時代(サブジェクト思考の時代)ではない。
そういうことで?、私としてはmixiの知人女性に「近代の孔子」と紹介してくれた、お礼を込めた文章をここに掲げたいと思う。そして、「近大の講師」になれればいいなぁという思いで、今日もシコシコ、いや、コツコツと論文を書き進めよう。
投稿者 flaneur : 10:47 | コメント (0)
2007年03月10日
マイペースのカラオケ。
今日は仕事先の大学で日本史の研究会があって、打ち上げにカラオケへ行った。ひな祭りの土曜日は経済学の研究会で、本日は日本史…。
経済史の中途半端さに翻弄された1週間って感じがしないわけではないが、そう、今の現状は、わての成長を約束させるはずの「過渡的錯綜」(マルクス)だと都合良く考えている♪
そりゃそうと、昨晩は、先生方や同僚女性たちがいるにも関わらず、私は誰にも気を遣わずに、誰も知らないような曲ばかり、4曲歌った♪
the cranberries「salvation」
U2「with or without you」
中島みゆき「エレーン」
中島みゆき「海と宝石」
終わり…。
みなさん引きまくっていたみたい…♪
the cranberris の ZOMBIE(ゾンビ)がダムに入っていれば、もっと引かれていただろう…。本格的にカラオケをするなら、やっぱりUGAに尽きる。
そんでもって、誰もが引くが、誰にも惹かれないってのが、わての、非常に非常に、痛いところ♪
投稿者 flaneur : 23:17 | コメント (0)
2007年03月09日
若女、処女、玉藻…。
ワカメとオトメ、そしてタマモ。
昨日、仕事先の史料整理のバイトの女の子が、旅館の領収書を見せてくれた。そして「若女95銭とありますが、どういう意味ですか?」と尋ねられた…。
なんつぅか…、わての性格がバレてるのか…、ついつい、一瞬の間にいくつかのエッチな想像を膨らませてしもたが、領収書には、他に「ビール2円30銭」とか、御夕飯代、御中飯代(昼飯代)とかもあって、「若女」の金額が1円にも満たない点が、芸子や娼婦じゃない。
その場では「日本酒の銘柄やろ!」「私もそう思う!」とオチが付いたが、帰ってからネットを調べると、どうやらワカメらしい。そして、海藻(=玉藻=たまも)が海という現世から少し離れた「あの世」に近い存在ゆえに、古代の海女(あま)は必ず処女(しょじょ)でなければならなかったそうだ。
「あの世」がアマとよばれ、天のことだとすれば、尼(あま)と同様、海女(あま)もまた、天に従事するとでもいうべき職業だと考えられていたと想像するに難くはない。
そこで、折口信夫の全集を引っ張り出してきて、玉藻を中心に調べた。やはり「常世の国」や「マレビト」と関連する語意らしく、神に近しい存在として若女=処女=玉藻というロジックが、古代日本、特に奈良盆地を中心に東側、つまり伊勢方面で成立していたとのことである。
そこで思い出したのが、折口の「処女観」。折口は古代日本の処女について以下の3点を定義している。
(1)性交未経験の女性
(2)離婚した女性
(3)祭事のために、半年前から性交渉を断つ女性
いずれも、男性恋人や夫という存在から遠い状況にいる女性が「処女=おとめ≒若女=わかめ」というように認識されていたようだ。
それにしても、近世・近代からは明らかにバカになったように感じるが、古代の日本列島に住む人々は賢かったのだなと振り返る。少なくとも、古代の日本列島では、女性の人生がリスタートの掛けやすい土壌だったことは確かだ。
ふとしたことでムキになって調べて、面白かった♪
アーメンとザーメンって、関連あるのかしらん…!? 男のことなので、調べる気もないが。
投稿者 flaneur : 22:41 | コメント (0)
2007年03月06日
アニメの批評家集団を作りませんか。
以下のような関心から、私が関わり始めた知の集団で一つの本格的なテーマが出ています。ご関心のある方は、こちらのメール送信フォームから(別窓で開きます)、メッセージを頂ければ幸いです。
日本が誇れる・輸出できる文化は、残念なことにアニメとゲームしかありません。
着物がフランスで流行するというような事象は、ただの流行であって、文化ではありません。映画『さくらん』程度の、着物を着れば日本風、ちょっと化粧を濃くすれば花魁風、といった消費のされ方レベルしかでないのが現状でしょう。『さくらん』の場合、それを日本側が製作している点が、既に日本映画の崩壊を証明しています。
『さくらん』と、『SAYURI』とは、資本提供元、製作国が異なる点に注目すべきです。後者はハリウッドですら関心を向けた日本(と、日本の服飾)が描かれており、前者は、映画製作となると所詮日本という、引き籠もり的・内輪ネタ映画しか作られない現状は、憂いても仕方がありませんので、日本映画にはとっとと見切りを付け、(私は詳しくないけど)アニメ批評というものに可能性を見出そうと思っています。
さて、本代、いや本題です。
アニメの批評家集団を作りませんか。
提案の理由
・アニメは日本が世界をリードする重要なコンテンツ・ジャンルの一つである。
・アニメのオタクはおおいが、ジャンル全体を見渡した批評家はほとんどいない。
・漫画・マンガに比べて、アニメの批評はまだ体系化されていない。
・いま、アニメは転換期にある。(スタジオ・アニメの危機とパーソナルCGアニメの出現)
・大阪には、ドーガの鎌田さんのようなリーダがおり、CGアニメコンテストも、東京と大阪で毎年開催されている。
・パーソナルCGアニメは、大阪の特徴あるコンテンツ産業となる可能性がある。
・アニメの批評家たちが集団として生まれ、face to faceの接触も含めて、相互に競争・刺激するネットワーク・場ができれば、アニメの制作者たちにもよい影響があり、大阪をCFアニメの先端地域とする一つの条件ができあがる。
・有望なCGアニメ作品を世に送りだすことができる。
・有望な若手制作者たちを取り上げ、社会の関心をひきつけることができる。
・以上の二つは、アニメ制作者の「育成」機能につながる。大阪がそうした都市になれば、才能ある若者が大阪て活躍することを望むようになる。
~~~~~~~ 参考 ~~~~~~~
スタジオアニメの危機
日本は、優れたアニメを生み出したきた。その多くは、スタジオ方式により制作されてきた。これはプロデューサと監督がいて、多くのアシスタントを雇い生産する方式である。しかし、非常に労働集約な工程であり、機械化が難しいため、現在では制作の多くの作業が韓国・中国・ベトナムなどに外注されるようになっている。
その結果、次のような状況が生まれている。
日本でアシスタントとして働ける人が減少し、プロデューサ・監督の後継者が育っていない。
働けたとしても、給料が非常に低いため、有能な若者はこの産業に従事しようとしない。
技術(技能)がアウトソース先に蓄積し、それらの国が自国のアニメを生産するようになってきている。
経験をつむとともに、その水準も上昇してきており、世界市場における日本製アニメの強力な競争相手となりつつある。
↑
パーソナルCGアニメ
コンピュータ・ソフトの支援を受けて、個人(ないし2~3人)が制作するアニメのこと。新海誠の「ほしのこえ」がその最初の成功作品とされる。この分野は、少人数で制作できるめ、高賃金という条件下にも成立する可能性が高い。
日本のマンガの多様性は、ほとんどの中学生・小学生(高学年)がマンガを描いたという事実を背景にしている。多くの人は、物まねに過ぎないが、その中で才能を開花させる・あるいは発見されることがあって、様式においても、扱われる話題、ストーリーにおいても、欧米には見られない多様性をもった。パーソナルCGアニメは、動画の世界において、かつて多くの小中学生がマンガを描いていた時代を再現できる可能性があり、いま以上に多様性と個性をもった創造的領域となる可能性がある。
投稿者 flaneur : 17:07 | コメント (0)
2007年03月03日
アマゾンと進化経済学
複雑系経済学、あるいは進化経済学の研究会に行ってきた。
最近は歴史の仕事や授業ばかりで、経済理論を中心に現代的な諸問題、たとえば、都市問題やポシャリつつある大阪経済、それにホームレス問題に、日本が唯一誇れるアニメ・ゲーム文化等々、延々と5人ほどで8時間議論した。
それに、経済学って数学などの自然科学に依拠している面があって、数学者列伝、科学者列伝なども、若手?研究者4名のメンバーにわざわざ参加してくださった先生に語ってもらった。
数学や科学技術とともに哲学は変化してきたし、経済学も同じ。
ってことで、経済史という中途半端な学問分野に突入しているあたいとしては、歴史学と経済学との間に挟まれ、そうして、中途半端さを売りに、アピールしていこうと、黄金バット並みの硬さで決意した!
ってことは、数分もすれば、萎えると言うことか…!?>決意
ところで、家のポストを見ると、カード会社から残金が足らない通知が来ていて、6万円くらいの本代が一気に加算されていた…。ア、ア、アマゾン…。
そんでもって、今月中旬には、なんとアマゾンから13万円の引き落としが待っている…。
授業用に大量に買った本たちが、授業が既に終了していた2月に到着したのが痛いところ…。授業には反映できなかったし、その上、一気に2月に届いたから、一気に請求される…。
ア、ア、アマゾン…♪
それでも、当然、使い続けるけどね。>便利で探し倒してくれる優しさもあるアマゾン♪
投稿者 flaneur : 23:56 | コメント (0)









