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2006年10月26日
今日の講義・・・。
11月初旬に学祭があるとのことで、来週の授業はお休み。
カラオケ2時間歌った翌日の今日、喉が保つかと思ったけど、平気だった♪
90分×2=180分、いつものマシンガン・トークで喋り倒して、一節除けば中世を終えた。次回(再来週)から近世に入れるぅ~♪
んでもって、近世も2回程度で終わり、近代に2ヶ月くらいかけるつもり(現代をやるのを忘れそうだが)。
そりゃそうと、先週・今週の講義、2度に跨いだレジュメ、これはイカンね。テンション上がらない。作った気分を維持したまま講義しないと、自分自身が楽しめない。今日は、自分自身で余り楽しめなかった。
そう、あたいは、やっぱりアドリブ男なの。。。
ってことで、毎回、配付した資料・レジュメは全て喋り尽くすという、これまでの方法に戻そう!
それにしても、源氏さん、足利さん、3行程度で処理しましたよん。あんたら、暴れたけど文化的にはたいしたもの残してないし・・・。
え?
「わしは金閣寺建てたぞ!」ってか、義満殿・・・。
あんた、あんな仏教バブルの、一体何処が文化なの?!
そりゃそうと、北條さん、一切固有名詞出しませんでした。源や足利ほどもインパクトないんだもん・・・♪
投稿者 flaneur : 15:05 | コメント (0)
カラオケ日記。
U2 with or without you
queen Bohemian Rhapsody
queen Breakthru
中島みゆき 空と君とのあいだに
中島みゆき 海と宝石
中島みゆき ヘッドライト・テールライト
鄧麗君(テレサ・テン) 償還(「つぐない」の中国語版)
globe DEPARTURES
Madonna Live to Tell(高校3年の時だったか、大阪球場コンサートへ行っ
たぞ!)。
ゴダイゴ 銀河鉄道999
ゴダイゴ ガンダーラ
椎名恵 今夜はエンジェル(ドラマ「ヤヌスの鏡」主題歌)
Led Zeppelin Achiless last stand
中島みゆき 世情
Cheap Trick Dream Police
投稿者 flaneur : 15:04 | コメント (0)
2006年10月25日
ホワイト・ボード
に、今日は出勤と書いたらしい。覚えていない。。。
なんか、仕事によって場所がコロコロ変わる状況についていけず、情けない限りだ。朝7時から書いていた論文、一気に萎えた・・・。
背伸びして、煙草とコーヒー飲んで、元気を取り戻そう。
投稿者 flaneur : 15:04 | コメント (0)
2006年10月24日
万博公園(ジャワ更紗展)
お腹の中にいる時に行ったはずの万博。
近いようで遠かった僕にとっての万博公園に、日曜日行くことになった。
http://www.minpaku.ac.jp/special/sarasa/
別名バティックとも呼ばれ、臈纈染めで有名なジャワ島の更紗。
そもそも、「民族」「民俗」というと、ついつい歴史性のないもの、昔からずーーーっと続いているものというイメージを持ってしまいがちだけど、バティックにも世界史の一環に組み込まれた歴史性がみえて、(前日には、「道は任せた、服は任せろ」と偉そうに言ったものの)更紗のプリント技術は友達に教えてもらいながら、なんでヨーロッパで製作された時代があったのかなどを、東南アジアのヨーロッパによる植民地分割などの話を盛り込んで、二人で、この柄がいい、このデザインがいい、ってな感じで盛り上がった。
以下に、民博の文章を引用しておくと、
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一方,200年あまりも前からヨーロッパで,さらにその後には,インド,日本,インドネシア,タイ,中国などでつくられるようになったジャワ更紗のデザインをコピーした木綿のプリント更紗は,アフリカや東南アジアに送り出されてきました。19世紀以降のアフリカや東南アジアで色あざやかなファッション素材として普及しているプリント更紗のデザインのルーツは,ジャワ更紗だったのです。
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(http://www.minpaku.ac.jp/special/sarasa/)
ってことで、「200年あまりも前からヨーロッパで」というのは、アヘン戦争よりも前、つまり、イギリスを筆頭とするオランダ、スイスなどのヨーロッパ諸国が東南アジアへ魔の手を伸ばしつつあった時代かな。
「インド,日本,インドネシア,タイ,中国などでつくられるようになったジャワ更紗」ってのは、周辺諸国への影響という風に取れるけど、日本の場合は、第1次世界大戦後にジャワ更紗が活発化したから、ヨーロッパ諸国が戦争による疲弊に見舞われている間を縫った、いつものずる賢い植民地化の一環かと考えられる(少なくとも、商社は蜂巣のように調査と収拾に明け暮れた経緯は読み取れた)。
「20世紀初頭からひろく世界に波及」したのは、日本の商社の活躍も大きい。アフリカへ海を渡って(海上ルートだと東南アジアとアフリカは意外と近い)販売網を広げている。
ってなわけで、普段、近代日本をやっていると見落としがちな南方方面の歴史性を感じることが出来た。
それで、昨晩母から電話があって、「2度目か1度目か微妙な万博は面白かった」と話すと、「いやぁ、しんちゃん(=わて)がお腹にいたから、お母さん、万博行ってへんよ!」って・・・。
おい、、、。
凄くロマンチックに、初めてであって初めてでない万博という甘い気分に浸って、この25年ほど・・・。1度も行ったことがなかったてか・・・!!!
ってことで、昨晩の電話で、この「近くて遠い」万博公園が、いきなりリアルな公園に見えてきた。おかぁさん、、、ロマンを返してくれ・・・!
どこでどう記憶が狂ったのか、勝手にロマンチックになっていたやんけ・・・。
投稿者 flaneur : 15:03 | コメント (0)
2006年10月22日
衣服って・・・。
>本会は,「衣」に関する研究活動を行い,学術の発展に寄与することを目的とする。
と、土曜日の学会の会則に書いてある。
しかし、わては、一般教養で「服」のもつ多様な意味を確認しながら列島の歴史を論じると、講義要項で書いている。自分の研究でも「衣」よりは「服」へ注目して勉強してきたんだけど、、、。
うーん、土曜の学会は、理系中心というだけじゃなくて、他にも断絶があるってわけだ、、、。
「衣」に注目するのであって、わては「服」に注目するんだよな、、、。
衣と服との断絶・・・。難しいなぁ。
投稿者 flaneur : 15:02 | コメント (0)
2006年10月21日
こんばんわ。ダム小です。
たった15分の報告のために往復4時間くらいかけて、ノートルダム女子大学という色気ムンムンに聞こえる大学まで行ってきましたぁ~♪
基本的には理系の学会で、わてのは、かなり浮いてましたな。
「ジェンダー」とタイトルに付した割に、あまり社会的意味合いを持っておらず、産業別男女労働者数の比率を紹介しているだけだという点を批判されたのですが、その通りで、「本日は試論的な問題提起も含む」とか言って逃げちゃった(笑)。
2つくらい面白そうな発表(それらも15分ずつ)を聞いて、午前11時30分くらいには、そそくさとダム女を離れ、予定通り、晴明神社と西陣織物館、と思ったら、西陣織物館って、京都市考古資料館に名前が変わっているじゃん。んで、わての行ったのは、西陣織会館。。。どうりで、絹のポーチやら小銭入れやら、反物や呉服ばかりが売っていて、あまり勉強にはならなかったな、、、。しもた、「京都市考古資料館」も近所なのに、行ってない、、、。
そりゃそうと、まぁ、やってもたわ。
朝10時の発表に、「ダムおんな」の最寄り駅「北山」には1時間前に到着♪
30分間、喫茶店でモーニングを食べながら、頭の中で予行演習(電車内では、持ち時間12分を20分かけたので、再度圧縮)。
9時30分になったので、そろそろ出ようと思って、おあいそ。
この木々の並ぶ「ダムおんな」。。。うーん、香水の匂いプンプ~ン♪
と思って門を入ったら、さすが私立。。。
ノートルダム小学校だった。。。
9時40分になっていて、ちと校内の広さを考えると「ヤバイ」って思って、門番さんに「女子大はどちらですか?」と尋ねる始末・・・。
どうやら一旦門を出て、500メートルくらい歩いて裏側に出る必要があるらしい。
あのなぁ、そうやって女子大と小学校を敷居で分けるなよなぁ・・・。そうするから、世代間の分断が生じるんじゃない!?女子大生と小学生が一緒にベンチに座れる状況って、大切だと思う。
と、まぁ、それは終った後に落ち着いて言える話で、とりあえず一目散に裏側へ回り、9時45分に到着!
どうやら、みなさん、ご心配だったようで(欠席か!?!?って)、受付の先生方や女子大生達がホッとされていらっしゃいました。「すんませーん、小学校に行ってましたぁ~♪」ってな、初対面の方々に笑いながら、あちらも爆笑♪
ってことで、土曜ということもあり、あまり色気ムンムンでもない。出席者に男性が結構多かった、キョロキョロと入場者達を見まくる気持ち悪いオタク・ネクラ・エロ研究者っぽい男性もいたが(あ、わては、オタク・ネアカ・エロ研究者ね)。
それと、人を見るとき、首や頭どころか、目すら追わないときもある(八方目ってやつですな)。
そんなこんなで、明日はジャワ更紗を見に行くぞ。
投稿者 flaneur : 15:02 | コメント (0)
2006年10月16日
10月5日の講義ノート
【先週の復習】
★お勧め映画…篠田正浩『卑弥呼』(1973年、日本)
★お勧め書籍…網野善彦『「日本」とは何か』講談社、2000年
★お勧め資料館…奈良県立橿原考古学研究所(奈良県橿原市畝傍町1番地)
●古代の東アジア交易ルート
(1)「シルク・ロード(絹の道)」…西アジアから東アジアまで。
・ほとんどが陸路で、中央アジア・中国大陸 を通り、東端は正倉院(奈良県奈良市)。
└ユーラシア大陸中東部で長期にわたり形成され、奈良時代に平城京まで到達。
・狩猟・牧畜社会のヨーロッパと農耕社会のアジア
└ヨーロッパでは獣皮や毛皮、アジアでは植物繊維が衣料素材へ
(2)海上ルート(隋・唐時代の中国 → 古墳時代の倭~平安時代の日本の例 )
①北路北線 ※基本的な遣隋使・遣唐使のルート
山東半島→朝鮮半島西岸→半島南端→(釜山→対馬・壱岐)→済州海峡→博多大津→瀬戸内海→難波三津浦〈現/大阪市中央区難波〉。
②北路南線 ※遣隋使の裴清、遣唐使の円仁ら
山東半島登州→黄海→朝鮮半島西岸の甕津半島→半島南端→以下①と同じ。
③南路南線 ※鑑真
浙江省〈明州(現/寧波)・越州(現/紹興)〉→東海(日/東シナ海)→奄美大島→大隅海峡→鹿児島沿岸→博多大津→難波
④南路北線 ※主に鑑真以後
江蘇省〈楚州(現/准安)・揚州〉、浙江省〈明州、温州〉等→東海(日/東シナ海)→値嘉島〈現/五島列島、平戸島〉→博多・難波
【問題】①②の北路と、③④の南路の両者で、違う点はどこか。また、その違いは、どのような歴史的背景に起因しているか?(前者にあって後者にない大まかな地域を探し、その地域に関して、鑑真の活躍した時期の東アジア状勢に注目してみよう。)
(3)奈良時代・平安時代における国内の流通パターン ~ 官僚と商人の未分化
①地方における交易
・国衙付近の「市」で数日間にわたり実施。一部は中央への献上品となった。
└繊維品では、伊賀、丹波、伊勢、武蔵、石見、常陸、相模、駿河、遠江、等。
②地方と中央との交易
・中央政府への献上として、地方官僚や民間商人による遠距離交易が活発。
・9世紀末には馬や船による輸送方針が平安朝で立てられ、専門の輸送業者が登場。
③中央における交易
・藤原京以後に、左京と右京に東市・西市が開設され、政府役人「市司」が秩序や商品価格を管理。最も整備された平安京では東市51種類、西市33種類の店があり、月の前半は東市、後半は西市が常時開設。
●古代における繊維・布の献上品
(1)律令制 下における献上品としての繊維・布(7~10世紀)
・絹と苧麻に関しては、律令制の下で、「調庸布」 として品質やサイズが規格化されていた。
・絹(動物繊維)…調の中核で、支配層の権威と不可分の身分制的衣料。直属地の五畿内は免除。国衙の官営工房に専門技能をもった「織生」が出勤し、生産に従事。
・苧麻(植物繊維)…民衆向け衣料材料だけでなく、7~8世紀には調としても利用。苧も麻も含め、繊維の場合は「苧麻」、布の場合は「苧麻布」 。
・商布(植物繊維。苧麻・葛等か?)…8世紀初頭から存在し、当初は1丈3尺で、714年に2丈6尺へ。国衙(地方政府)内での交易物だったが、9世紀には東国(≒関東)をはじめ、多数の諸国から中央へ献上。
・問題点…絹はもちろん、苧麻ですら不良品や土着性があり、統一性に難点あり。
(2)『延喜式』下における献上品としての繊維・布(10~12世紀)
・『延喜式』 においては、「商布」の比重が高まる。
・この頃には、地方豪族の経営による、ある程度の大量生産が可能になり、関東諸国(特に、上総から下総にかけての地域)が、苧麻系の布の有力産地化に。
・中世に活発化する絹布の産地化が芽生え始める(特に、越後布、越中布、信濃布)。
(3)原材料・繊維・布における献上品としての違い
・まず、「布」の規格化は生産水準において地域差があり難しく、「繊維」だと一定の生産体制の下で一定の品質の布へと加工可能。また、束ねたまま輸送できるメリット(利点)がある。
・つまり、布よりも繊維を献上させた方がメリットは大きいが、絹の場合は蚕の輸送が不可能であり、繊維か絹布段階での輸送が限界。これに対し、苧麻は植物そのものを輸送することも可能。
(4)古代における庶民層の衣料と染織技術等の状況
・ちはや→肩衣→「肩衣+襖」。襖は詰襟の上着で、官服だけでなく、11世紀には庶民へも普及。
・平安後期には、織物、組物、染織などの技術・工芸が庶民層へ普及。
(補足)古代の特徴的な衣服~正倉院宝物にみる衣服
・唐風衣服の影響…肌着、前掛、脚袢の原型が出現
・奈良町上流婦人…ロングスカートにベスト(ツーピース) → 後に一般庶民にも一般化
・当時の染色技術の宝庫…絹布(綺、綾、錦、羅、穀)、フェルト、麻布。柄(デザイン)も多様。
(補足)唐衰亡と服装の和洋化
・貴族間では、大陸的様式から南方的要素の強い「直線裁式」に戻るか、大陸式と融合し、全体に穏和で優美な服装を目指し長大化。また、9世紀には染色技術が上昇し、原色に留まらない多彩な色を生み出す。
●古代の都市構造~条里制・風水思想の関連で
(1)主な宮廷
・「宮」は内裏・官衙がある場所、それを囲む都が「京」。政治的・時代的雰囲気を強めると「朝」。
・①→⑤へ都はひたすら北上。⑤の平安朝中期(894年)に遣唐使が廃止されたことを考えると、この北上は中国からの独立過程。また、菅原道真を太宰府へ左遷した点は、九州に対する畿内の優位性を強調させた。
(2)首都建設の基本1 - 条坊制(条里制)の導入
・条里制の比較…(1)の②・⑤が類似、また③・④が類似。
└隋・唐の都「長安」(現/西安)を初めとする。
(3)首都建設の基本2 - 風水思想の影響
・青龍、白虎、朱雀、玄武の四神を、それぞれ東西南北に配置。
・平安京造営時の桓武の意図…長岡京で北辺を消してしまった点を反省し、藤原京を参照。結果、平安京では北辺を追加。この時点で、神仙思想である「九字の呪法」を放棄。また、平城京のような仏教色を弱めた。
・平安時代の宗教…天皇や朝廷においては神道と陰陽道が中心になり、仏教は世俗化。
(参考)風水思想とは?
①相宅や相墓等の占いの技術+陰陽五行説。
②古代中国から伝わり、気(エネルギー)の流れを物の配置(方角)で制御し、都市・住居・建物などの位置を決定する思想。
(参考)陰陽五行説とは?
①陰陽道+五行説
・陰陽道…宇宙の最初をカオスとみなし、陽の気が上昇して天となり、陰の気が下降して地となったという認識によって、陰と陽の対立・融合として物事を捉える。発想のルーツは中国の神話や壁画に頻出する「女媧と伏羲」 にある。
・五行説…万物が木・火・土・金・水の 5 種類の元素から成ると考える説。
②中国と日本における陰陽五行説の違い
・中国では学問・技術中心、日本では呪術・宗教的。
・中国皇帝の礼服と日本天皇のそれとでは、北斗七星と織女星とのデザインに大差 。
★お勧め映画
①滝田洋二郎『陰陽師』日本、2001年。②同『陰陽師II』同、2003年。
★お勧め書籍
①岡野玲子『陰陽師』全13巻、白泉社 、1999~2005年(夢枕獏 原作)。
②村山修一『日本陰陽道史話』平凡社、2001年。
③三浦國雄『風水 - 中国人のトポス』平凡社、1995年。
投稿者 flaneur : 15:01 | コメント (0)
2006年10月13日
授業で課したレポート・・・。
昨日8割程度の学生が提出した。3限・6限あわせて400名の8割なので、300枚は越えていると思われ・・・。昨晩、慌てて50名程度捌いたけど、来週に返却はできないな・・・。
真面目に添削したりしている、、、。
投稿者 flaneur : 15:00 | コメント (0)
2006年10月09日
来るべき時が来たと思いたい・・・。
http://dailynews.yahoo.co.jp/photograph/pickup/?1160356298
人民解放軍にまで厚遇された安部。
首相着任当初とあって、まだ毅然とした風貌を見せているだけか、確たる表情が維持されてゆくことを望みます。
大阪市大の塩沢由典、大阪経済大の置塩信夫と並び、「ノーベル経済学賞」を取り損ねた3人に列せられるLSE所長だった森嶋通夫は、21世紀中葉に、3~5つほどの国家連合が形成されると予言したまま、他界しました。
彼の東アジア共同体論は、まさに説得的なもので、経済関係において韓国・日本からの技術提供と中国からの資源提供を活性化させることによって、(明言は避けつつ、EUを教師として、対アメリカ帝国の抑止要因としても)経済共同体の必要性を、晩年の10年間、力説し続けてきました。
私は、そこから敷衍し、大量の借款を盾に、台湾、韓国、日本国が自国を中華人民共和国へ売却することによって、現在の北京を初めとする4大直轄市(北京、上海、天津、重慶)に、上記3カ国を組み込み、7大直轄市として東アジアを再構成させることが必要だと考える、かなり左よりの発想を持っておりますが、国民国家という近代の枠組みは、20世紀末に崩壊したという認識にもとづいています。
天皇制の問題が残りますが、自衛隊に関しては、人民解放軍の存在があり、自衛隊の存在、ないしは軍隊化という問題自体も「不要」という結論は容易に引き出せます。
安部が日本国を中華人民共和国へ売却する日をつとに願う今日この頃。
投稿者 flaneur : 14:59 | コメント (0)
2006年10月08日
ひとまず、外交としては正解か。
安部の内政の弱さがよく指摘される中、どうやら外交ベクトルは、ひとまずとしか言えないが、まずまずのスタートといえるかも知れない。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061008-00000059-jij-pol
東で大砲ばかり振り回す馬鹿息子に背中を向け、西へ向かった点は評価できる。
投稿者 flaneur : 14:57 | コメント (0)
2006年10月07日
論文の原稿書き終えたけど・・・。
先月発表した学会の雑誌に投稿するために、先週から書き始めた論文草稿を何とか書き終えた。
といえばかっちょいいんだが、問題は80枚(32,000字)までという投稿規定。図表込みなので、ちと辛い。
とりあえず100枚まで圧縮したので、後は指導教官任せってことで、添付ファイルとしてメールを送った。きっと先生は苦笑しているだろう。
ほんでもって、某大学で教え始めた授業、先週に抜き打ちレポートを課したのが、欠席(サボリ?!)者が大学のコミュで情報を集め始めている(笑)。授業日にコミュで慌てて情報収集するなら、授業出ろ(笑)♪
投稿者 flaneur : 14:57 | コメント (0)
2006年10月03日
先週の復習
って、ミクシィでやってどうすんだ!?(笑)
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(1)東アジアからみた日本の位置
・環日本海の陸地…日本列島、朝鮮半島、中国大陸(含シベリア) 。
・環日本海に小国家が複数存在…邪馬台国の2説は2説そのものとして考えられる。
(2)倭国から日本国へ
・古代奈良の地名…山門(宇陀郡・桜井市)→倭(奈良盆地中南部)→大和(奈良盆地)。
・国号「日本」の初出…7世紀後半に施行された飛鳥浄御原令。
・国際舞台への登場…8世紀初頭、唐の即天武后から『日本国』使用認可を得る。
・以後、日本国の中心地(行政地)は京都(平安朝)へ移動し、拡大へ向かう。
(3)「日本」の意味
・東方 への志向…ユーラシア大陸住民の一般的な傾向。東アジアでは風水にも関連。
・「日の本」…7世紀後半に初出。「日出づる処」で、西の唐や天竺に対する自立意識。
・「日本」…既に平安期の朝廷では「京都から日が昇っていない」と疑問視。(ハワイからみれば?)
・平安時代中期編纂の『延喜式』…関東から九州北部までが日本国支配下に。
(4)縄文時代~古墳時代の服装
・縄文時代…裸体に近く、後期・晩期には、居坐機・地機と織物技術の伝来(織機の原型)。
・弥生時代…筒型衣服「ちはや」 が一部流行、古墳時代にかけて普及 。
支配者には一部、絹による衣服が普及。ただし、織法は未熟。
・古墳時代…倭国支配下で既に巫女の存在→宗教と政治との関連性が強い。
ネックレスや「ちはや」(中国語で貫頭衣、古代エジプトではチュニック)など、服飾パターンの原型が形成。
※染織先進国中国…絹のツーピースから深衣(現代の韓国のチョゴリ風)へ。
※百済からの技術導入
・5世紀初頭に縫衣工女(きぬぬいおみな)が渡来し裁縫技術が伝来。
・470年には織物製作・裁縫作業に従事(漢織・呉織・衣縫を扱う兄媛・弟媛ら)。
(補足)海外関係
・天武朝(7世紀中葉)…戦乱の多い東アジア情勢を鑑み、唐王朝の文物導入に力点を置きつつ、国内統治では、従来12階までだった冠位を26階まで細分化。
投稿者 flaneur : 14:56 | コメント (0)
2006年10月02日
講義ノート、作りきれず。
日曜中に、今週の講義ノートを作成し、月曜日は勤務先の教務課で印刷をお願いする予定だったが、日曜午前11時に再開した準備が、未だに終らない。
日本の古代を読み解くには、中国古代を読み解く必要があり、日本の陰陽道、神道、仏教には、中国の陰陽五行説や道教や神仙思想、八卦まで調べる必要がある。何事にも始まりは難しく、古代史の難しさは、歴史の始原を勉強する難しさにも、ビビッドに反映する。
とはいえ、世界史全体からみれば、ヨーロッパ文化圏よりも、古代に関しては、西アジアと中国を初めとする「アジア」地域が比較的に先進的であった点はごり押しで論証可能なレベルまで調べ倒した。
明日は、必要史料を10点程度コピーして、レジュメの残り15%程を埋めて、印刷は火曜日にお願いすることになりそうだ。
既に午前4時近くになっている。日曜朝から、1時間程度席を離れただけで、10冊程度の専門書を行ったり来たり、関連するところは片っ端から読んでいる。
先日の平均年齢65歳くらいのツアーで、長野県木曽郡上松町に広がる赤沢自然休養林のガイドさんが伊勢神宮式年遷宮の御用材(御神木)について話してくださった際、20年という遷宮サイクルが早すぎる点と、その都度、1万本以上もの檜材が用いられる点について、私は、そのような木材利用が合理的でない上に、山林地帯の破壊そのものではないかと尋ねたところ、彼が答えたのは「日本の神様は意外に新しいもの好きなのですよ。どんどん自然林が破壊され、近いうちに赤沢には用がないという事態になるのでしょう。」と答えた表情は、やや切ない雰囲気に包まれていた。
天皇の礼服が、孝明天皇期まで、織女星を描かない点を除いては、古代中国の皇帝の礼服を模倣し続けたような持続性の傍らで、ショー的(顕示的)な面では「新しい物好き」という側面も他方で存在する点は、これまでの歴史観を再構成させる良い機会になった。途方もない無駄は、ヴェブレン流にいえば「顕示的消費」以外の何物でもない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%AE%AE%E5%BC%8F%E5%B9%B4%E9%81%B7%E5%AE%AE
また、伊勢神宮で天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)を祀っている点も、福岡県の天照神社との説得的な説明は、どのような形でなされるのか、理解に苦しむ。
近現代の天皇制は、国民への統制に終始し、中国からの様々な文化摂取を放棄した時点で、自らの歴史も葬り去った点が、神道の伝統を踏み倒した自律的根拠を失ったことを意味する。
月曜は古代後半、平安時代の年貢(といっても米納は相対的に少なく、絹、綿、苧麻、布といった衣料もしくはその材料が相対的な比重を占めている点に『延喜式』などのデータをぶち込んで、追加すれば完了なのだが、伊勢神宮という「高尚な」天照大神を祀る神社は、何も伊勢神宮にのみ配置されているだけでなく、管見の限りは福岡県東部にも存在する。こういった矛盾は、神武天皇の東征という意味不明の事態によって、さらに話を複雑にしている。
現代においても神話が歴史として考証されていない点は、右翼的な短絡思考に留まらず、左翼系の歴史学においても、羅針盤を見失った状態であるのは、非常に憂うべき、日本の学問水準の低さを物語る。同時に、神道の「ぶれすぎる根拠」の証左でもある。
神武天皇の東征は、神の国(常世の国)「東」ということも踏まえれば、伊勢から北東に位置する森林地帯からの倒木・用材化という事態も矛盾を孕む。
投稿者 flaneur : 14:55 | コメント (0)
2006年10月01日
来年のツアー予定。
来年のゼミ旅行ってのを帰りの貸し切りバス内で8名くらい寄って検討。
出てきた案は以下の通り。
九州は昨年行ったので却下(わては参加してないけど筑豊炭田とか。でも九州の炭田なら三池だろと思ってしまう)
今回は長野県の赤沢自然林、馬籠などの宿場、某時計メーカーの製造工場(これは大量生産的なものではなく工芸的な一つ100~1000万はする部門のみ)。
ってことで、経済史という枠組みから外れた点を反省しつつ、出てきた案は以下の通り。最終決定はなかったけど。
そもそも悔しいのが、僕の入学前に既に岡山県倉敷市の「クラボウ」(倉敷紡績)の工場見学が済んでいること。
他にも、トヨタ(愛知県)の自動車工場(元は豊田自動織機という機織機の発明が発端)見学も済んでいること、京都西陣会館は、僕が修士を留年させられたことで拗ねて行かなかったこと(その数ヶ月後に中国人留学生、もちろん女性を連れて行っているのが、お馬鹿というか・・・)、まぁ、ちと行きたいところが年々減っているのがミソ。
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(1)北陸ルート
京都の丹後縮緬から始め、福井または石川の羽二重工場と、石川の小松製作所へ行く
(2)山陽ルート
岡山県児島郡の制服・ジーンズ産地をみる。(岡山県全体は戦前は綿織物の産地としても有名)
(3)和歌山県
漁業(鯨とか)と林業、綿ネル(またはタオル)工場。
(4)東海道ルート
静岡県のヤマハに行く。ってことで、わては資生堂資料館を推進。納得してもらったが、資生堂のクローズな経営体質(ワコールもしかり)からして詳細な見学や説明会は無理だろうって話が出た。
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■(1)北陸ルート
わてとしては、その場で言わなかったけど、重工業には興味がないので(1)の小松製作所(ブルドーザなどの機械工業)は全く興味がないし、その上、同じ繊維産業としても縮緬や羽二重は絹なので、ちと私的には勢いなし。
もっとも、福井の羽二重は石川の羽二重を目指したから、羽二重なら石川、という風に言ったところ、(この点、僕なら文献ばかりに偏ってしまうので、耳学問のキャリアを積んだ年の差を感じて感服するが)一人のおっちゃんが、「羽二重なら石川よりも福井だろ」と指摘。
僕の印象と違ったので「でも、福井は石川の羽二重に追いつけ追い越せと明治期は必死になってたので、卑屈的なので無様ですよ」と言い返したところ、「いや、その後は石川が斜陽になって、福井が延びたんだよ。それに、石川だって、加賀が小京都といわれるように、石川も京都の物真似だよ」と言われ、非常に納得。
絹織物で京都に勝るものはなかったというオチ。でも、今は、その西陣ですら、町家に見えて中は工場という惨状だが。
■(2)山陽ルート
これが一番行きたいところ。岡山県(特に児島郡)は、綿布→制服→ジーンズというように「産地化」を変化させていったが、その「制服」段階で、旧満州への輸出が強化され、軍部とともに、中国北方へ侵略産業として伸びている点が、今の研究との比較経済史として利用可能。それに、岡山県には、僕の先月の学会発表に食らいついてきて2時間ほどあれこれお話ししてくれた方がいらっしゃるので、彼に協力を求めやすい。
(3)和歌山県
まず、漁業と林業全く興味がなく(今回、自然保有林に行ったこともあって却下可能性が高いが)、綿ネルといっても近代の話なので、今はタオル程度だと私の中では理解しているので却下したいところ、、、。
(4)東海道ルート
資生堂は、日本の価格と同じで中国でも爆発ヒットのブランド。まぁ、所詮、化粧品なので、日本でも生産価格10円程度のものが5000円くらいになっているのは、どちらの国でも同じ。ヤマハはバイクと楽器の2部門、この2部門の落差で既に僕の中では却下。
趨勢としては、(1)の北陸ルートだが、交通の便が悪い、サンダーバードかバスになるだろうが、バスなら欠席だな。
(2)の山陽ルートだと、岡山県なので新大阪集合で新幹線という手があるし、僕のような貧乏学生だと青春18切符で2000円で岡山まで行ける。
頼む、制服とジーンズを見せろぉーーーーー。
あぁ、明日から論文書きたいので、今日は講義レジュメを作り終えたい。衣服から見た列島史ってことにしたのは学生達の食指を動かしたようだけど、図表史料を充実させる必要が大きい。
それに、半年前まで高校生や予備校生だった点を思いっきり忘れていたのが痛い、、、。メチャメチャ込み入った話をしたので、今週からは、ばれないように徐々にレベルを下げていく。ってことで、「先週の復習」から話を始めるのも思いついた。
投稿者 flaneur : 14:54 | コメント (0)
