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2006年06月30日

カレーを煮込む!

久し振りに自炊し、4時間ひたすらカレーを煮込んだ。人参、玉葱、ジャガイモ、豚肉、ニンニクのてんこ盛りに、インスタントコーヒー小さじ4杯を溶かし込んだパンチが効いている。自分で言うのも何だが、重厚な味で美味しい。

ひたすら午後7時から、ガスコンロに向かい続けた甲斐があった。

投稿者 flaneur : 23:42 | コメント (0)

2006年06月28日

バス内観察 - 性感と肉感

夕方、残業が終わって最寄りのバス停に飛び乗り、二人がけの席に座ったところ、一つ前の席からは一人用なので、立ち客用のスペースができており、そこへ、170センチを軽く超えてそうな女性が私に背中を向けて立った。一瞬、威圧感を感じて「かっちょええんちゃうか!?」と思ったのもつかの間。

20歳前後の女性が黄色の丈の短いシャツを着て、プロレスラーのような体型で背中や腰の肉をはみ出させている。全体的に焼けているのだろうか、只の地黒なのか、はみ出た背中の肉を覆う肌は、若いからかシミや皺がないが、黒肌に黄色のシャツという汚さに、爽やかな香水が、さらにアンバランスさを上書きしていて、思わず吐き気を覚えた。

まさに「色気」ではなく「吐き気」。ロマンチックならぬ豊満チックな夕方の絶景だったが、恋人にその辺の様子を伝えたところ、中国語では「肉感」と「性感」は近い意味があるそうだが、「肉感」の方が、より低俗的な意味を持つということを教えてくれた。

なるほど、(恐らく正面はヘソ出しであるはずの)彼女は、性感でなく肉感を出していたから、僕は色気ではなく吐き気を感じたんだな。恋人が繰り返し言うとおり、自分に似合うスタイルを知らない女性が多すぎる。それに、日本人女性に多いケースだが、汚らしい服、ヨレヨレの服、安っぽい服などを着ていてるのに、なぜか化粧をしている(濃い)、という奴も多い。母国でありながら、つくづくと、不思議な国の不思議な女性たちだと思った晩だった。

投稿者 flaneur : 19:18 | コメント (0)

2006年06月10日

ボンカレー・クラシック

mini_boncurry.jpg一昨日の夕方、散歩がてら近所の本屋へ行き、『BOAO』を買ったついでにスーパーへ寄って帰った。

レトルトカレーとラーメンを買いだめしようとして目に留まったのが、松坂慶子。

「ずっと元気でいてほしいから。」

というキャッチフレーズは帰宅後に気づいたが、今となっては、ずっと奇麗でいてほしいという思いをお礼に伝えたい気持ちが一杯。

うーん、段ボールで一括購入したい衝動に駆られるが、パッケージは同じだろうから我慢。ボンカレー・クラシックは食べたけど、パッケージは大切に保存したいね。

1個258円もしましたが、さすが・さすが松坂慶子、いや、ボンカレー・クラシック。メチャメチャ旨い。その辺の喫茶店へ行くなら、ボンカレーですよ♪

以下、大塚食品の商品プロモーションから、抜粋(http://www.otsukafoods.co.jp/corp/pdf/20050826_1.pdf)。

愛されて37年。「ボンカレー」から新たな名作が遂に誕生!
37年ぶり! パッケージの「顔」に松坂慶子さんを起用
(・・・中略・・・)
『ボンカレークラシック』は1968年発売当時のボンカレーを思い出させると同時にさらなるおいしさと安心感からなる「母の手作りに学んだ、カラダにやさしいカレー」を目指しました。
今回、その新パッケージの象徴となる新しい顔に、日本を代表する女優であり、優しい2児の母親でもある松坂慶子さんを起用しました。
(なお、公式サイトはこちら→http://www.boncurry.jp/

投稿者 flaneur : 11:24 | コメント (0)

2006年06月08日

破壊者としてのコムデギャルソン

匿名メールで依頼があったので、コムデギャルソンをブランド辞典にまとめてみた。

コムデギャルソン(川久保玲)の独創性は「破壊」というテーマに尽きる。彼女のデザインの基本となっている「破壊」とは、前シーズンのコンセプトさえ踏襲しない「拒絶」をルーツにしている。常にリセットしたデザインがコムデギャルソンのポイントである。コムデギャルソン(川久保玲):COMME des GARCONS より)

20世紀後半から、ブランドビジネス自体が既に流行の先端を担いつつ、追いつかれる前に数歩前進するという商品プロデュースや商品提供の「回転の速さ」から逃れられなくなって久しいが、コムデギャルソンの場合、格子柄(チェック柄)では特に従来から日本で使われていた柄のパターンを踏襲している点が、逆にインパクトのある破壊力を持っているのかも知れない。私自身は、黒をベースにしたヨーロピアン・スタイルよりも、カラフルな格子柄として展開するコムデギャルソンの方が好きだなぁ。

モードというものは先へ先へと向かうが、同時に、モードは過去の一部分を定点として、そこに向かっている。衣服という人間の必需品は、この数千年の歴史の中で使い古されてきた。その背景を踏まえれば、本当の意味で「新しい」ものというのは既に不可能に近い。常にモードは過去を参照しつつ未来に向かわざるを得ない。

コムデギャルソンのスタイルは、変わらないものと変わるもの双方を兼ね備えたモードという概念を体現したブランドだと私には思える。他のトップブランドのなかで、どれほど斬新さを謳ったコレクションを披露しようとも、オリジナルだといえるものがあるのだろうか。似たものどおし、というのが現状であり、また未来に斬新なスタイルなど出てくるはずはないのである。既に数千年の歴史において、あり得べきスタイルは出尽くしたし、私たちの身体構造が変わらない限り、ファッション・デザインというものには致命的な限界があるのだ。だからこそ、左右、上下のちぐはぐさをスタイルとして提出したコムデギャルソンをもって、すなわち、1980年代・90年代において、輝かしかったブランドの歴史は幕を閉じたといえる。

【参考】コムデギャルソン(川久保玲):COMME des GARCONS

投稿者 flaneur : 09:41 | コメント (0)

2006年06月02日

佛典有云 旗未動 風也未吹 是人的心自己在動

仏典曰く
旗なびかず 風なし
揺らぐは人の心なり

数日前に3度目となる映画をDVDで見た。現代の中国で武侠小説を量産している金庸の『射雕英雄伝』を原作にウォン・カーウァイ独自の散文的な形で仕上げた『東邪西毒』(邦題:楽園の瑕)』

今回は随所で挿入される台詞に注意したが、最もインパクトがあったのは、タイトルに掲げたもの。また、「記憶は悩みの源」という人間の急所を一言で言いのけている台詞も強烈。

あえて説明すれば、風が無く旗もなびいていない気候の元であろうとも、人の心だけは動揺をするものだという、それほど理解に苦しむことのない言説だが、その人心の動揺の要因は「記憶・思い出」といった分野に属するものである。もっとも、未来への不安が動揺という形で表れる場合とて存在はするが、その未来自体は、過去や思い出が既に予言していたものであるので、「動揺」というのは、過去をルーツにしている点、間違いはない。

といっても、人は悩みの種である「過去・思い出」を簡単に忘れることは出来ない。忘れようとすればするほど、脳裏に幾度となく再来するものである。だから、レスリーを通じてウォン・カーウァイは反対の発想を提出する、「記憶を消すためには、脳裏に刻みつけろ」と。そうすることで、「刻まれた定点」とでもいうべき地点から人間は記憶を再構成できる。その時、過去や記憶との距離を自身でコントロールする可能性が開かれるのだ。

投稿者 flaneur : 23:40 | コメント (0)