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恋人を遠ざけるもの。

2007年05月21日(月) 16:53

男であろうと女であろうと、恋人を遠ざけるものは、自分の心に潜む、卑屈であり、恐縮であり、自信の無さであり、自己愛である。

これらは比較的、男性よりも女性に貫通したものともいえる。鬱、自虐的、マゾ的、病んでる、といった言葉で簡単に処理しがちなのは、男性よりも女性に多い。

最後の自己愛以外は、全て自分を他人と比較することによって生じる、自分自身のマイナス評価である。しかし、マイナス評価といっても、まともに分析する人は少ない。その分析や評価を邪魔しているのは、他ならぬ自己愛である。自己愛を持ち出すことで、自分のマイナス面に目を閉ざしてしまうのである。

女性の部屋では、一日の生活で経た辛さ・楽しさが振り返られず、落としどころの良いプチ日記を書くに留め、「友達」と思いたい連中のコメントを待ち、最後は自己愛の象徴的行為(オナニー)によって、眠りにつくのだろうか…。

人々が自分を一人の人間だと考えるようになった歴史はそれほど長くない。ルネサンス以降の絵画史をふまえると、個人が描写される対象となってきたのは、長期で見積もっても、たかだか200~300年というところだろう。

卑屈、恐縮、自信無さの3点が恋愛を遮断させている21世紀初頭の現状を憂うのが正しいとは思わない。自己愛に支えられ、卑屈、恐縮、自信無さが維持・保持された人々が21世紀中期の日本を支えることを憂うことが問題である。

セックスのできないオナニストたちが量産された20世紀末は、今世紀の恋愛事情を決定づけている。

「男にも原因があるはずなのに、私ばかり悪いような気がしてしまう」

という、誰にでも解るような図式で悩む女性は多い。自分が下らない男性に股間の穴を貫かれていることを分かっていても、そのような関係から抜け出る勇気がない。恋愛は、自分の存在感を確認できる都合の良い関係だからだ。その時に女が経験しているのはセックスではなく、男根を利用したオナニーに過ぎない。それを勘違いして、「男を知っている」と思う女の多いことは、嘆かわしい。

雑魚に空洞を貫かれたオナニーをすることよりも、はっきりとオナニストを自認し、簡単には雑魚に空洞通過を許さない決意をすることが、今の女性には必要と思われる。

卑屈、恐縮、自信無さとは関係のないところで、自己愛に浸ることが、自信獲得のスタートとして必要だ。



この日記の追記

男であろうと女であろうと、恋人を遠ざけるものは、自分の心に潜む、卑屈であり、恐縮...

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