マドンナ コンフェッションズ・ツアー・ライヴ
ライブDVDが着いた。とりあえずざっと見た。数曲いいのがあったな。
マドンナ登場の意義をまとめると次のようになるか…。
ロックの歴史を破壊した、ボン・ジョヴィやガンズ&ローゼスという見窄らしい雑音が生まれたアメリカで、ダンスそのものを意味転換させるポップが登場した(って、大げさか…)。
そう、恋愛は、ボンジョヴィのように語るものではない。あいつらは、ロックに恋愛を持ち込み、ロックを破壊した。
ボンジョビ以下の連中によって、社会への怒りは、恋愛の叫びへと転換され、さらに、ほとんどは自己愛に近い醜態晒しと堕落した。当たり前だが、恋愛は語ったり叫んだりするものではなく、実行するものだ。
一般論としてマドンナは以下の点をロンドンの観客に投げかける。
口先だけのお喋りが多いね
あんたらの前で、有言実行できる奴は
いるかい?
冒頭、ウォン・カーウァイ『2046』で試みられたような、ドアが両サイドに開くグラフィックで、奥から「秘密の穴」が出てくる設定を思わせる。
マドンナの背景には、プロジェクターに、馬であったり、幾何学模様であったりが、両サイドに離れていく。そこは、別の次元が開かれるようであり、それでいて、馬の後ろ姿、下半身がクローズアップされる。
ごろつく歌手たちとは違い、ダンスの使い方を知り尽くしたマドンナは、Like A Virginの頃以上に、テンポがアップ。振り付けも「教えることがない。彼女は学ぶ必要がない」とスタッフに言わせたように、縦横無尽だ。
自らアイコンと化して、Live To Tellで、十字架を背負ったマドンナは茨の木で冠をかざして登場する。
キリスト教と信者たちによって半壊したといっても過言ではない地球を憂いながら、マドンナは、キリスト教の十字架によって、懺悔する。
ジーザスの処刑に準えたパフォーマンスがメインとなったこの曲は、DVDに収録されるだけで、CDには場所が与えられていない。
ジーザス・マドンナが登場する直前、とりあえずロックやポップでは、マドンナ(かドロレス・オリオーダン)しか言えないだろう台詞が出てくる。
転ぶことは誰にでもある
問題は起きあがり方
その時こそ挑戦だ。
そうだろ?
自分の世界に閉じこもり
ダンスも現実逃避だった
でも
どんな闇にも光はある
マドンナは危うい肉体美と、退廃的ダンスを、光に変えようとしているのか。ライブの映像で、ブッシュが真剣そうな顔で瞬きを何度もし、ブレアはだれた笑顔を晒している・・・。
この日記の追記
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