大エルミタージュ美術館展 - いま甦る巨匠たち400年の記憶
昨日は、170センチ弱の長身スレンダー美人と一緒に京都市美術館へ行ってきた。
サンクトペテルブルクにあるロシアの国立美術館で、18世紀中期、エカチェリーナのコレクションから端を発したらしいこの美術館(エルミタージュの方)そのものをターゲットにした美術展で楽しみにしていたが、同伴してくれた女性が綺麗すぎたのだろう、面白い絵が少なかった。
しかし、3つに分かれたテーマには、近代ヨーロッパそのものを直撃する主題がそれぞれ流れている。
I:家庭の情景
II:人と自然の共生
III:都市の肖像
特に食指を動かされたのがIとIIIのテーマだった。
もっとも、家庭と都市とが分離したとき、人間の自己疎外としてIIのテーマも浮上し、近代を考えるうえで大切なポイントとなるのであろうが、人と自然が共生するということは、人間の自然からの疎外を証明するだけでなく、その共生自体が社会的疎外を示すものである。
だから、私には、共生が目標となってしまった近現代の状況そのものを覆すこと、つまり共生を実践する事の方が大切に思えるから、なかなか関心を持つことが出来ないままでいる。スレンダーな美人と一緒に行くこと自体が楽しい以上、どんな共生がテーマになろうとも、たいした問題にはならない。そもそもIIに集められた絵は、ことごとく『アルプスの少女ハイジ』を思い起こさせるものだったというのもイマイチなところ。
それはそうと、Iのテーマである家庭…。崩れゆく家内工業・家庭と、迫りつつある人間の自己疎外双方の事態を予期したかのように、19世紀には家庭という場所が描写の対象となる。Iを彩る作品たちは、あたかも、今後、2度と逢えないかのような焦りに似た傾向で貫かれていたのが印象的だった。
フランソワ・フラマンの1888年の作品「18世紀の女官たちの水浴」なんかを見ると、写真まで後一歩という遠近感と写実的描写が見られて豪華な気分に浸ることができたが、パニエの中に辛うじて18世紀の面影を見ることができるが、これほどの写実性が、逆に18世紀と19世紀との視線の断絶を決定づけることになっていた…。
Iのテーマに集められた作品で好きになったのは、
■ピーテル・ヤンセンス・エリンハ「オランダの室内」1670年頃/Pieter Janssens Elinga, "Room In a Dutch House"
彼の使う赤色は朱色に近いので好きではないんだけど、室内の立体感が、どこか、メイドの肩に覆い被さるように、とてつもない孤独感を表わしているように感じる。純血と結びついたという、室内でのモップ拭きの姿には全くの躍動感がなく、壁に掲げられた鏡から辛うじて推察できる20歳前後の表情とは裏腹に、そのメイドの後ろ姿は(茶色の上着が目立って)疲労感に襲われているように思える。だから、この作品からは、純血そのものよりも、汚辱と浄化との交互作用がひしひしと伝わってくる。寡黙な女に限って汚辱に傷つくものだ…。
■フェリックス・バロットン「室内」1903-04年/Félix Vallotton, "Interior"
ヴァロットンの妻がお針子にドレスを縫わせている場面。ゴッホとロートレックの影響を受けたという彼のこの作品は、お針子が出ているだけでも好きになったんだけど、油彩の厚みと配色の軽やかさが上手くマッチしていて、妻がモデルになったという女性は、薄い紅色の室内ドレスをサラリと足元まで垂らしているのが大胆な雰囲気に感じてグッドだった。
IIIのテーマ。
これはユトリロを解説の中心に掲げながら、決して群衆に潜り込もうとしない画家たちの視線が気になったところ。Iのテーマだけで延々と書いてしまったので、日を改めて続けたい…。
http://www.city.kyoto.jp/bunshi/kmma/index2.html
http://www.ntv.co.jp/hermitage/main.html
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