夏炉という時間と空間の閉鎖
大阪市住吉区杉本町で数十年にわたって営業を続けていた夏炉というレストランが、今月末をもって1枚板の重い戸を閉める(夏炉についてはこちら)。
この、大阪市立大学の議論好きな方々が、教員、学生問わずに数十年にわたり押しかけて世話になった喫茶店に、昨日、昼食を取りに、夏炉一押しのレモン・ライスという炒飯を食べに行った。
夏炉へ向かって歩きながら、そこへ行くこと自体が5年か6年振りだということに気づいた。行く気になれば徒歩10分というのは苦痛ではないが、当店の間取りが70年代のカフェ的で、雑談や議論に持ってこいというスペースが僕には耐えられなかった。どのような大義名分であれ、群れること自体が僕には許容できない。
その晩、ショーン・ペンの味が染み渡り、ニコール・キッドマンを上手くリードしている政治サスペンス『ザ・インタープリター』を見たとき、どこか、シークレット・サービスという職業に憧れたのも、そのためだろう。人のプライバシーを知っても僕自身に関係がないまま、他人のプライバシーが、ビジネスとして進行することと、それを完遂させる立場というのは、どこか、これかでの僕に似ていたように思う…。
夏炉というカフェで最も時間が詰まった物が、幾冊もの大学ノートに書きためられた感想ノートだろう。この大学ノートは寡黙な物語テーラー。
僕は、大阪市住吉内で暮らすようになり、既に10年もの歳月を経たつもりだったが、昨日でたった3度目か4度目となる夏炉での食事は、大学院でも結局は孤独に過ごしたのかと痛感せざるを得ないほど、思い出が少ないことに愕然とした。 昨日も、このノートには何も書かず、知人と二人で静かに御愛想をして店を出た。
たまたま大きな中央のテーブルで近所に座った32,33歳と思われる法学部の卒業生が、「○○さんっていたね。彼女は結婚の価値観が強かったように思うけど、結局、アタックしてきた人に、簡単になびいて結婚したね。そんなものかね、結婚って」と、あたかも自分がなびかない、あるいはこれまでなびいてこなかったかのように、自分の晩婚を正当化しようとしていた。 その後、取って付けたように、店を取り仕切っているお婆ちゃんのママに愛想を振りまいていた。彼女たち二人の食費は、今風の「別々で」…。夏炉という時間と空間を馴染みにすると自称する者たちもまた、「別々の勘定」という現代風の計算方法を採用している。そして、「別々の感情」のままに、「懐かしさ」と早婚同級生たちをネタにして、自分たちの晩婚に対する不安を共有していた。
そのような正当化は、健気だと思える半面、似た者どおしの晩婚女性一人に大声で話しまくる以外には、その健気さを誰にも正直に話すことのできない彼女の性格にも照らせば、恐らく、5年経っても同じ事を同じ相手と話すことしかできないのだろうという、晩婚、いや、きっと未婚で終わるであろう彼女の一生が見えたみたいで、気持ちが悪かった。
レモン・ライス自体は、椎茸が全体にわたってマイルドに広がっていて、美味しかったんだけどね…。
レストランやカフェは、いろんなお客さんの時間が積み重なっている半面、いろんな客の未来を代弁する義務を背負わされており、大変な業務だと思った。
自分たちの過去を確認し、自分たちの未来への不安を吐露しに来ていた人たちが並ぶ、午後1時過ぎの夏炉、店前の写真を添えて…。
この日記の追記
マイミクの同級生が、以下のように記していたので、少し補足♪晩婚を正当化していた彼女↑ うーーーーーん、結婚ってなんだろうね。しんちゃん。 教えてよ。
○○ちゃん、結婚の意味を直ぐに出そうとしなくて良いよ。 幸か不幸か、僕たちは21世紀に突入してしまっている。僕たちが小学校、中学、高校、それに専門学校、短大、大学等で学んできた事柄は、いま直ぐには有効に使えなくなっている。道徳についても、同様だ。 僕たちは20世紀の最後に学生を送ったという状況を思い出して欲しい。そして、それがいつの日か実ることを楽しみながら、しばらく、21世紀の動向に身を委ねるしかないように感じる。 結婚についても、同じ。結果を直ぐに出せない人たちが多いだけでなく、恋愛の結果が結婚であるという価値観自体が、非常に揺らいでいる時代でもある…。 なんせか、自責の念や、結婚への圧力を感じないことが大切だと思う。
(前略) あの頃に戻りたいよ。 人生やり直せるならやり直したい。 でも前向きに考えるね。有難う。 しんちゃんも幸せでありますように。
多分、人生は、やり直せないから、面白いのかも知れない。
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