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一つ後の日記一つ前の日記

送別会、そして老いること。

2007年03月24日(土) 01:22

今日は史料整理の仕事の帰りに、梅田へ出て、修士の卒業式に出ていた友達2人と待ち合わせ。ただ、週末の午後6時30分とあって、しかも、国公立は23日金曜日に重ねているのか、卒業式ラッシュで、取って付けたように袴を着ている連中が多く、紀伊国屋のビッグマンは人間の固まりになっていた。

人混みならぬ一塊になっていたので、阪急改札への階段に上がって全体を見渡す。黒のスーツが多いのか、一塊は果てしなく暗い。21世紀の日本を担う連中が、これほど暗いのかと、今更ながら感じる…。

そうこう観察しているうちに、2人が到着。週末の一塊からはぐれることのできる、気の利いたレストランなどを知らないのと、仕事で疲れていたのか、家に少しでも近づきたかったのと、急遽、日本橋の上海新天地へ行こうと切り出し、5階のレストランに行った。

2月中旬から、史料整理の仕事にアルバイトを短期的に投入してきたが、彼ら・彼女たちと私の立場は、意外に距離があるわけでもなく、職場の上司、先輩・後輩、友達、知人、教師と学生、学生どおし、といった様々な関係を取り得る、まぁ、わて自身がよく迷う状況にあるため、非常に疲れた1ヶ月を過ごしたような気がする…。

しかし、明らかに違うのは、立場やキャリアではなく、年齢そのものにある。20代の連中が輝いて見えるという、未だかつて経験したことのない衝撃を、特にこの1週間、痛感してきた。1年前に私の元を去った中国人女性は、あの時、同じ事を感じながら、私に未来を開放させたのだろう…。

彼ら・彼女たちとどのように付き合っていけばいいのか…!?

ここで思い出すのが、ゴダール『愛の世紀』。

私はひょっとして、大人になったわけではないが、大人という場所へ持って行かれる状況に巻き込まれているのではないだろうか…。大人になりたくない、なんぞほざくつもりはないんだけど、問題は、大人って何ですか?ってことのはず。

そう、20代前半まではただのガキという明瞭な立場、60歳前後からは老人という明瞭な立場、そして、その間を長期にわたって埋め尽くす大人とは、一体、何物なのだろうか…。

20代前半まで人間は成長期と呼ばれる時期を当てはめられているが、果たしてそうだろうか…? むしろ、大人という不明瞭な時期こそ成長があるのではないだろうか…?! 成長のしない世代、つまり、20代前半までと60歳前後以降こそ、成長が止まっているからこそ明瞭な立場にいるんだといえる。私は当分の間、非常に面倒くさいのだが、成長し続けなければならない。

今日、修士の卒業式を祝ってご馳走したのが、28歳のモンゴル人女性と中国人女性。20代後半とはいえ、人生を半分消化してしまったわてからみれば、やはり輝いていた。

そして、一人ずつ、4月、5月と、国へ帰っていく。

そして、私の留学生友人たちが、これで一人もいなくなる。

中国人女性が今日語っていた。「20代前半の女性は、今までの中国人とは違ってしまった…」と。

資本主義とは人間を簡潔明瞭にさせる。金と終身雇用。この幻想を抱かせながら、拒絶するのが、このタチの悪い経済システムである。

私たちは、どこの国でも通用する金と終身雇用という妄想に取り憑かれ、自分の育った歴史を忘れる…。

アーメン♪



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