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21世紀に必要とされる孔子。

2007年03月12日(月) 10:47

北半球の歴史を振り返ったとき、17世紀という時期がターニング・ポイント(転換期)になる点は、軽く知られていても、そのインパクトにはあまり注目されてこなかった。

17世紀とは、もちろんスペイン・ポルトガルの大航海時代を経て、その経験値を積み重ねたオランダの世紀であり、地球の首都がオランダへ移動した時代である。

それまで、地球の首都は、古代の隋・唐だけでなく、中世の元・明も含め、いずれにせよ中国大陸に存在していたことは、はっきりとしている。しかし、17世紀には、ユーラシア大陸の比較的東部に存在した首都が大きく西部へと、すなわち、ヨーロッパ半島へと移動した時期である。

古代から中世までの(16世紀までの)人間行動の様式は、中国が要求していた朝貢貿易にみられる中華思想のピラミッド方式による統治方法が東アジアと東南アジアを中心に広まっていたが、その中国自体をみた場合、西に位置する天竺、すなわちインドの存在を仏教的に、または儒教的に意識していたと私は想像している。中華思想自体が絶対的な思想であったことは、後のキリスト教の強大化によってはっきりとした絶対的な度合いに比べれば、たかが知れている。

17世紀以降、世界史では(ほぼ)近代と呼ばれる時代に突入したとき、東アジア諸国の停滞が裏付けの証拠として存在する。そして、18世紀になると、中国大陸、朝鮮半島、日本列島が、挙って解禁政策(従来の用語では鎖国)を採用することとなった。つまり、東アジア諸国は「静観する」という態度を取ったことになる。

この静観が最も裏目に出て、自分の息子によって餌食となったのが、あろう事か、中世まで絶大な勢力を誇り続け、周辺諸国はおろかヨーロッパ半島にまで強力な影響を与え続けてきた中国(清朝)であった。自らが生み出した火薬や鉄砲が、イギリスという国家によって軍艦という母体に引きずられ、自らの大地を悉く焼き払われたという暴挙を経験した(阿片戦争)。オランダの学問革命の蓄積がイギリスへ移動していたのも、この時期である。

20世紀中期までの日本人と同様、19世紀中期に中国の内陸にまで侵略を行なったイギリス人は、後の中国人たちによって「鬼子(西洋鬼子)」と呼ばれた(日本人は東洋鬼子)。

ヨーロッパ半島の人間が世界各国の植民地争奪戦を開始したとき、彼らは自らの罪悪感を振り払うかのように「宣教師」と呼ばれる宗教家を同時に世界中へ撒き散らした。キリスト教による世界征服である。この宗教は唯一絶対の神を携え、文字通り鉄の固さのピラミッド型の人間支配を可能にさせる発想を引下げて、自分たちの親である中国大陸へと、およそ5カ国ほどのキリスト教国が押しかけたのであった。

それに比べ、東アジア諸国を中心に古代から徐々に浸透していった儒教と呼ばれる思想は、宗教と言うほど絶対的なものとしては機能してこなかったが、その事実こそが儒教の教えそのものであり、オブジェクト思考(対象思考)、すなわち、状況によって取るべき人間の行動様式を示唆するものであり、キリスト教のいう枠組み合っての人間行動を要求するようなサブジェクト思考(主体思考)ではない点が大きく異なる。

20世紀前半に始まり、末期には明らかに機能不全に陥った「キリスト教」の鉄の支配は、20世紀末の共産主義諸国の崩壊とともに勝利を収めたかに見えたが、20世紀の首都となったアメリカ合衆国が撒き散らした「価値自由」の蔓延は、キリスト教をも破壊する力を用いており、20世紀末の人間に行動規範となる思想や宗教が欠落した点が、21世紀の行方を決定づけている。

絶対的価値が消滅し、価値自由が生じた人間が経験したことは、高学歴の人間が就けない程の就職難であり(就職じゃなくてもいいから、原稿依頼くらいくれ!)、引き籠もりであり、ニートであり、フリーターであり、そして、親子の殺害ニュースから始まる退廃的な毎日という日常であった。

価値自由に対応できる宗教は存在しない。それには、儒教型のオブジェクト指向が必要とされるのであり、21世紀は確実に宗教の時代(サブジェクト思考の時代)ではない。

そういうことで?、私としてはmixiの知人女性に「近代の孔子」と紹介してくれた、お礼を込めた文章をここに掲げたいと思う。そして、「近大の講師」になれればいいなぁという思いで、今日もシコシコ、いや、コツコツと論文を書き進めよう。



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