フェイ・ウォンとクランベリーズ
「夢中人」というカバー曲の原曲「Dreams」を聞きたいがために買ったクランベリーズのベスト。
そこに潜んでいた「Salvation」でノリノリに乗ったけど、これとて麻薬に溺れる子供達を家族ぐるみで救えと、至上命令的に書かれているのが印象的だった。
しかし、「Zonmbie」というバラードと呼ばれる部類に入るものか分からない、絶望的な歌詞とそれを保証するに十分なメロディが、脳裏から消えない。
この名曲が今日、12時間後には始まっている授業の「近代」において関わる。日本の近代というものは厳密にはありえず、日本の近代は既に、そのまま世界史に組み込まれている。
似たものだけど違うもの。その違いを大義名分として攻撃するのは、中国に対する日本の暴虐であったし、アメリカのアジア戦略にも関わる、人間の本性的な問題。
そして、これら無様な人間達をコントロールしているのは、既に人間ではなく、資本という掴めそうで掴めないシステムである。私たちは、資本を生み出しながら、資本にコントロールされている。これが現代だ。
リモートコントロールされた現代において、どのような歴史観や哲学が必要とされるのか。
アドルノやベンヤミン達、ドイツのフランクフルト学派の思想家達は既に死んでいる。フランスのジル・ドゥルーズも90年代末に自殺した。日本では森嶋通夫も網野善彦も2~3年前に死んだ。
フェイ・ウォンとクランベリーズの限りなく近しい歌に少しばかり身を委ねて、ゆっくり僕の考えている問題を見つめていきたい。
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