万博公園(ジャワ更紗展)
お腹の中にいる時に行ったはずの万博。
近いようで遠かった僕にとっての万博公園に、日曜日行くことになった。
http://www.minpaku.ac.jp/special/sarasa/
別名バティックとも呼ばれ、臈纈染めで有名なジャワ島の更紗。
そもそも、「民族」「民俗」というと、ついつい歴史性のないもの、昔からずーーーっと続いているものというイメージを持ってしまいがちだけど、バティックにも世界史の一環に組み込まれた歴史性がみえて、(前日には、「道は任せた、服は任せろ」と偉そうに言ったものの)更紗のプリント技術は友達に教えてもらいながら、なんでヨーロッパで製作された時代があったのかなどを、東南アジアのヨーロッパによる植民地分割などの話を盛り込んで、二人で、この柄がいい、このデザインがいい、ってな感じで盛り上がった。
以下に、民博の文章を引用しておくと、
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一方,200年あまりも前からヨーロッパで,さらにその後には,インド,日本,インドネシア,タイ,中国などでつくられるようになったジャワ更紗のデザインをコピーした木綿のプリント更紗は,アフリカや東南アジアに送り出されてきました。19世紀以降のアフリカや東南アジアで色あざやかなファッション素材として普及しているプリント更紗のデザインのルーツは,ジャワ更紗だったのです。
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(http://www.minpaku.ac.jp/special/sarasa/)
ってことで、「200年あまりも前からヨーロッパで」というのは、アヘン戦争よりも前、つまり、イギリスを筆頭とするオランダ、スイスなどのヨーロッパ諸国が東南アジアへ魔の手を伸ばしつつあった時代かな。
「インド,日本,インドネシア,タイ,中国などでつくられるようになったジャワ更紗」ってのは、周辺諸国への影響という風に取れるけど、日本の場合は、第1次世界大戦後にジャワ更紗が活発化したから、ヨーロッパ諸国が戦争による疲弊に見舞われている間を縫った、いつものずる賢い植民地化の一環かと考えられる(少なくとも、商社は蜂巣のように調査と収拾に明け暮れた経緯は読み取れた)。
「20世紀初頭からひろく世界に波及」したのは、日本の商社の活躍も大きい。アフリカへ海を渡って(海上ルートだと東南アジアとアフリカは意外と近い)販売網を広げている。
ってなわけで、普段、近代日本をやっていると見落としがちな南方方面の歴史性を感じることが出来た。
それで、昨晩母から電話があって、「2度目か1度目か微妙な万博は面白かった」と話すと、「いやぁ、しんちゃん(=わて)がお腹にいたから、お母さん、万博行ってへんよ!」って・・・。
おい、、、。
凄くロマンチックに、初めてであって初めてでない万博という甘い気分に浸って、この25年ほど・・・。1度も行ったことがなかったてか・・・!!!
ってことで、昨晩の電話で、この「近くて遠い」万博公園が、いきなりリアルな公園に見えてきた。おかぁさん、、、ロマンを返してくれ・・・!
どこでどう記憶が狂ったのか、勝手にロマンチックになっていたやんけ・・・。
この日記の追記
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