10月5日の講義ノート
【先週の復習】
★お勧め映画…篠田正浩『卑弥呼』(1973年、日本)
★お勧め書籍…網野善彦『「日本」とは何か』講談社、2000年
★お勧め資料館…奈良県立橿原考古学研究所(奈良県橿原市畝傍町1番地)
●古代の東アジア交易ルート
(1)「シルク・ロード(絹の道)」…西アジアから東アジアまで。
・ほとんどが陸路で、中央アジア・中国大陸 を通り、東端は正倉院(奈良県奈良市)。
└ユーラシア大陸中東部で長期にわたり形成され、奈良時代に平城京まで到達。
・狩猟・牧畜社会のヨーロッパと農耕社会のアジア
└ヨーロッパでは獣皮や毛皮、アジアでは植物繊維が衣料素材へ
(2)海上ルート(隋・唐時代の中国 → 古墳時代の倭~平安時代の日本の例 )
①北路北線 ※基本的な遣隋使・遣唐使のルート
山東半島→朝鮮半島西岸→半島南端→(釜山→対馬・壱岐)→済州海峡→博多大津→瀬戸内海→難波三津浦〈現/大阪市中央区難波〉。
②北路南線 ※遣隋使の裴清、遣唐使の円仁ら
山東半島登州→黄海→朝鮮半島西岸の甕津半島→半島南端→以下①と同じ。
③南路南線 ※鑑真
浙江省〈明州(現/寧波)・越州(現/紹興)〉→東海(日/東シナ海)→奄美大島→大隅海峡→鹿児島沿岸→博多大津→難波
④南路北線 ※主に鑑真以後
江蘇省〈楚州(現/准安)・揚州〉、浙江省〈明州、温州〉等→東海(日/東シナ海)→値嘉島〈現/五島列島、平戸島〉→博多・難波
【問題】①②の北路と、③④の南路の両者で、違う点はどこか。また、その違いは、どのような歴史的背景に起因しているか?(前者にあって後者にない大まかな地域を探し、その地域に関して、鑑真の活躍した時期の東アジア状勢に注目してみよう。)
(3)奈良時代・平安時代における国内の流通パターン ~ 官僚と商人の未分化
①地方における交易
・国衙付近の「市」で数日間にわたり実施。一部は中央への献上品となった。
└繊維品では、伊賀、丹波、伊勢、武蔵、石見、常陸、相模、駿河、遠江、等。
②地方と中央との交易
・中央政府への献上として、地方官僚や民間商人による遠距離交易が活発。
・9世紀末には馬や船による輸送方針が平安朝で立てられ、専門の輸送業者が登場。
③中央における交易
・藤原京以後に、左京と右京に東市・西市が開設され、政府役人「市司」が秩序や商品価格を管理。最も整備された平安京では東市51種類、西市33種類の店があり、月の前半は東市、後半は西市が常時開設。
●古代における繊維・布の献上品
(1)律令制 下における献上品としての繊維・布(7~10世紀)
・絹と苧麻に関しては、律令制の下で、「調庸布」 として品質やサイズが規格化されていた。
・絹(動物繊維)…調の中核で、支配層の権威と不可分の身分制的衣料。直属地の五畿内は免除。国衙の官営工房に専門技能をもった「織生」が出勤し、生産に従事。
・苧麻(植物繊維)…民衆向け衣料材料だけでなく、7~8世紀には調としても利用。苧も麻も含め、繊維の場合は「苧麻」、布の場合は「苧麻布」 。
・商布(植物繊維。苧麻・葛等か?)…8世紀初頭から存在し、当初は1丈3尺で、714年に2丈6尺へ。国衙(地方政府)内での交易物だったが、9世紀には東国(≒関東)をはじめ、多数の諸国から中央へ献上。
・問題点…絹はもちろん、苧麻ですら不良品や土着性があり、統一性に難点あり。
(2)『延喜式』下における献上品としての繊維・布(10~12世紀)
・『延喜式』 においては、「商布」の比重が高まる。
・この頃には、地方豪族の経営による、ある程度の大量生産が可能になり、関東諸国(特に、上総から下総にかけての地域)が、苧麻系の布の有力産地化に。
・中世に活発化する絹布の産地化が芽生え始める(特に、越後布、越中布、信濃布)。
(3)原材料・繊維・布における献上品としての違い
・まず、「布」の規格化は生産水準において地域差があり難しく、「繊維」だと一定の生産体制の下で一定の品質の布へと加工可能。また、束ねたまま輸送できるメリット(利点)がある。
・つまり、布よりも繊維を献上させた方がメリットは大きいが、絹の場合は蚕の輸送が不可能であり、繊維か絹布段階での輸送が限界。これに対し、苧麻は植物そのものを輸送することも可能。
(4)古代における庶民層の衣料と染織技術等の状況
・ちはや→肩衣→「肩衣+襖」。襖は詰襟の上着で、官服だけでなく、11世紀には庶民へも普及。
・平安後期には、織物、組物、染織などの技術・工芸が庶民層へ普及。
(補足)古代の特徴的な衣服~正倉院宝物にみる衣服
・唐風衣服の影響…肌着、前掛、脚袢の原型が出現
・奈良町上流婦人…ロングスカートにベスト(ツーピース) → 後に一般庶民にも一般化
・当時の染色技術の宝庫…絹布(綺、綾、錦、羅、穀)、フェルト、麻布。柄(デザイン)も多様。
(補足)唐衰亡と服装の和洋化
・貴族間では、大陸的様式から南方的要素の強い「直線裁式」に戻るか、大陸式と融合し、全体に穏和で優美な服装を目指し長大化。また、9世紀には染色技術が上昇し、原色に留まらない多彩な色を生み出す。
●古代の都市構造~条里制・風水思想の関連で
(1)主な宮廷
・「宮」は内裏・官衙がある場所、それを囲む都が「京」。政治的・時代的雰囲気を強めると「朝」。
・①→⑤へ都はひたすら北上。⑤の平安朝中期(894年)に遣唐使が廃止されたことを考えると、この北上は中国からの独立過程。また、菅原道真を太宰府へ左遷した点は、九州に対する畿内の優位性を強調させた。
(2)首都建設の基本1 - 条坊制(条里制)の導入
・条里制の比較…(1)の②・⑤が類似、また③・④が類似。
└隋・唐の都「長安」(現/西安)を初めとする。
(3)首都建設の基本2 - 風水思想の影響
・青龍、白虎、朱雀、玄武の四神を、それぞれ東西南北に配置。
・平安京造営時の桓武の意図…長岡京で北辺を消してしまった点を反省し、藤原京を参照。結果、平安京では北辺を追加。この時点で、神仙思想である「九字の呪法」を放棄。また、平城京のような仏教色を弱めた。
・平安時代の宗教…天皇や朝廷においては神道と陰陽道が中心になり、仏教は世俗化。
(参考)風水思想とは?
①相宅や相墓等の占いの技術+陰陽五行説。
②古代中国から伝わり、気(エネルギー)の流れを物の配置(方角)で制御し、都市・住居・建物などの位置を決定する思想。
(参考)陰陽五行説とは?
①陰陽道+五行説
・陰陽道…宇宙の最初をカオスとみなし、陽の気が上昇して天となり、陰の気が下降して地となったという認識によって、陰と陽の対立・融合として物事を捉える。発想のルーツは中国の神話や壁画に頻出する「女媧と伏羲」 にある。
・五行説…万物が木・火・土・金・水の 5 種類の元素から成ると考える説。
②中国と日本における陰陽五行説の違い
・中国では学問・技術中心、日本では呪術・宗教的。
・中国皇帝の礼服と日本天皇のそれとでは、北斗七星と織女星とのデザインに大差 。
★お勧め映画
①滝田洋二郎『陰陽師』日本、2001年。②同『陰陽師II』同、2003年。
★お勧め書籍
①岡野玲子『陰陽師』全13巻、白泉社 、1999~2005年(夢枕獏 原作)。
②村山修一『日本陰陽道史話』平凡社、2001年。
③三浦國雄『風水 - 中国人のトポス』平凡社、1995年。
この日記の追記
【先週の復習】 ★お勧め映画…篠田正浩『卑弥呼』(1973年、日本) ★お勧...モードの日記 > 学問・研究 >

