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<title>ファッション・コラム</title>
<link>http://www.mode21.com/column/</link>
<description>モード論、服飾史の雑記、写真展・展覧会の感想など。</description>
<language>ja</language>
<copyright>Copyright 2008</copyright>
<lastBuildDate>Tue, 30 Sep 2008 20:53:26 +0900</lastBuildDate>
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<title>アパレル旅行─ベティ・スミス</title>
<description><![CDATA[<p>１７・１８日（水・木）と、１泊で岡山へ行ってきました。ジーンズ・メーカーのベティ・スミスと学生服メーカーの明石被服興業。</p>

<p>ベティ・スミスでは、オーダー・ジーンズを、夢中で頼みました。社長や課長と直々に話ながらオーダーしたので楽しかったです。</p>

<p><a href="http://www.mode21.com/lecture/image/P1010067.html" onclick="window.open('http://www.mode21.com/lecture/image/P1010067.html','popup','width=2048,height=1536,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.mode21.com/lecture/image/P1010067-thumb.JPG" width="320" height="240" border="0" /></a></p>

<p>ベティの従業員はお昼は自宅へ帰り食事をするそうです。「イタリアみたいでしょ！」と社長は仰ってました。</p>

<p>地場産業の衰退を打開するために、産業観光という政策が通産省の指導下で始まり、JRと提携してジーンズ児島用のバスを出したり、オーダー・ジーンズを試験的に導入したりしたそうです。</p>

<p>ベティでは久留米絣をポケットに使うものもあったりしていますが、ジーンズ・メーカーごとに産地復興策は異なるかも知れません。KAPITAL社のことは尋ねませんでしたが、同業者よりも、近隣工程（織物や染物）との連携の方がしやすいような印象を受けました。一社での生き残りがシビアな問題ですから、同業者間の連携ができなかったという結果、今のような課題が出ているように思います。</p>

<p>私がオーダーしたのは、シンプルで、３万２千円。リベットを２色に分けたのと、右の小さなポケットだけ色を変えたのがポイント。全体は１５オンスという分厚い紺色のデニムに、白糸のステッチを入れ、後ろのポケットには、虹型に赤色のステッチを入れました。<br /><br />
ベティの課長曰く「思い切りましたね！」と仰っていたので、そこそこ配色が奇抜かも知れません。商品が到着したら、こちらで披露しようかな。</p>

<p>（参考）「国産ジーンズ　岡山・児島から始まった」 『読売新聞』夕刊、2008年9月2日付4面。<a href="http://osaka.yomiuri.co.jp/hajimari/hj80902a.htm?from=ichioshi" target="_blank">読売新聞サイト内にも掲載中</a>（こちらは時期限定と思われます）。<br /><br />
　→藍染、デニム生地、裁縫業・縫製業の近隣性がポイント。塩が生地を頑丈に。</p>

<p><a href="http://www.mode21.com/lecture/image/P1010041.html" onclick="window.open('http://www.mode21.com/lecture/image/P1010041.html','popup','width=2048,height=1536,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.mode21.com/lecture/image/P1010041-thumb.JPG" width="320" height="240" border="0" /></a><b>ベティスミスインターナショナル略史</b>（公式サイトより）<br /><br />
1927年　大印学生服、女性服、作業服製造開始。<br /><br />
1962年　大島被服株式会社を設立と共にシンクロシステムモデル工場。<br /><br />
1968年　徳島県三好郡池田町に徳島大島被服㈱を設立。 <br /><br />
1971年　ビッグジョングループのガールズ事業部としてベティスミスのブランドでジーンズ業界に進出。 </p>

<p>公式サイトは、<a href="http://www.betty.co.jp/" target="_blank">ベティスミス Betty Smith（ジーンズメーカー）オーダーメードのジーンズ</a></p>]]></description>
<link>http://www.mode21.com/column/003778.html</link>
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<category>展覧会・展示会</category>
<pubDate>Tue, 30 Sep 2008 20:53:26 +0900</pubDate>
</item>
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<title>神戸ファッション美術館（2種類）</title>
<description><![CDATA[<p>「深奥的中国」が終わった民博の展覧会を調べていてあまり面白いのがないので、神戸ファッション美術館の展覧会を調べたら、なかなか面白そうなのがありました。</p>

<p><a href="http://www.fashionmuseum.or.jp/index.html" target="_blank">http://www.fashionmuseum.or.jp/index.html</a></p>

<p>現在展覧中のものと、次回のものについて、一気に記憶モードで説明を加えておきますと、</p>

<p><img src="../image/20080417.jpg" alt="ポワレとフォルチュニィ展"><strong>①ポワレとフォルチュニィ展―コルセットをめぐる冒険―<br />
　平成20年4月17日（木）～7月1日（火）</strong></p>

<p>オートクチュール黎明期の展示だと思います。私自身は本や、当美術館で見飽きたものがありますが、１９世紀ヨーロッパ、コルセットの普及と衰退というテーマになると思います。<br />
ポワレは20世紀初頭だったかに、女性のドレスからコルセットを追放した最初のデザイナーとして有名です。この点、<a href="http://www.mode21.com/history/000030.html" target="_blank">「追放」の仕方によって、最初の人間をポワレとみるか、20年代のガブリエル・シャネルにみるかで、意見が別れます</a>。<br />
また、衰退気味のフランス絹織物業の打開策として展開させ、フランス政府から多大な財政援助をさせることで、今のサンディカ（パリ・オートクチュール組合）を組織化させた奴としても有名です。例えば福井出身の代議士だった杉田定一が「リヨン！リヨン！」と言っている時期に、フランス自体としては衰退の兆しを見せていました。他国との比較では、綺麗だったし売行きも良かったでしょうが…。<br />
この衰退期（19世紀後半）に、フランス政府の庇護のもとで文化産業として成立したパリと、政府（天皇家など）から捨てられた西陣との落差があります。</p>

<p><br />
<img src="../image/20080712.jpg" alt="チャイナ×チャイナ×チャイナ展"><strong>②チャイナ×チャイナ×チャイナ―チャイナドレスの変遷史―<br />
　平成20年7月12日（土）～10月7日（火）</strong></p>

<p><a href="http://www.mode21.com/book/000017.html" target="_blank">謝黎『チャイナドレスをまとう女性たち――旗袍にみる中国の近・現代』青弓社、2004年</a></p>

<p>の著者の旗袍（チャイニーズ・ドレス）のコレクション110点ほどを展示するそうです。謝黎さんは、昭和女子大学国際文化研究所客員研究員。<br />
清朝満州族のロング・ドレスが、1911年の辛亥革命で、孫文が、膝丈化や5センチほどの詰襟化などの服制を敷いて、規格化されました（男性に対してはスーツが推薦されています）。多少アレンジを加えて、中国革命まで都市部では人気だったようです。<br />
なお、６０年代香港では、詰襟が１０センチ以上に伸びる、あの<a href="http://www.mode21.com/film/003245.html" target="_blank">ウォン・カーウァイ（王家衛）『花様年華』（2000年、トニー・レオンとマギー・チャン主演の恋愛映画）</a>のような旗袍になったり、面白いです。<br />
あの作品でマギー・チャンは２０着前後の旗袍を着たみたいです。私が数えたところ、１３着だった気がしますが、評論家や、中野裕通なども、バラバラな数字を上げていますが、なんせか、チャイナドレス祭りみたいに映えていましたねぇー。</p>]]></description>
<link>http://www.mode21.com/column/003733.html</link>
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<category>展覧会・展示会</category>
<pubDate>Tue, 24 Jun 2008 21:49:32 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ドイツ系アメリカ人との結婚</title>
<description><![CDATA[<p><img src="../image/singer01.jpg" alt="ドイツのシンガー">６月２日、勤務先の先生が、わざわざ神戸から、私の自宅まで自動車で足踏式ミシンを持ってきてくだった。</p>

<p>機種は分からないけど、シリアル番号から、１９０８年にドイツのヴィッテンベルク工場で製造されたシンガー社製ミシン。今年でちょうど１００歳。嫁ぎ先が私の家というのが彼女にとって幸せかどうかは分からないが、大切に勉強したり、縫ったり？して、少しでも幸福な時間を過ごして欲しいところ。</p>

<p><img src="../image/singer02.jpg" alt="ヴィッテンベルク工場製ミシン">シンガー社のミシンのうち、日本に輸入されたものでドイツ製というのは、珍しいはず。当工場は1904年に建設された。</p>

<p>同社は創業10年も満たない1850年代に、既に海外工場を設置し、著名な企業としては世界初の多国籍企業となった。ヴィッテンベルク工場における同社製ミシンをドイツ系アメリカ人とみるべきか、アメリカ系ドイツ人とみるべきか、それはどうでも良いが、いずれにしても、国際結婚を私が果たしたことに変わりはない。</p>]]></description>
<link>http://www.mode21.com/column/003731.html</link>
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<category>秘蔵写真や関連資料</category>
<pubDate>Mon, 09 Jun 2008 21:51:38 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>転けたマドンナ「ハード・キャンディ」</title>
<description><![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0015D3Z4O/modernflaneur-22" target="_blank"><img src="../image/hardcandy.jpg" alt="madonna, hard candy"></a>４月２９日発売のマドンナ「Hard Candy」…。</p>

<p>ジャケット・アルバムを見るに、今回はヘアスタイルとアイメイクを変えて、パワフルだけど少々マイルドになった感があるマドンナ。やや違和感があるが、慣れれば惚れ込めそうな感じがする。</p>

<p>曲の方はどうだろうか…！？</p>

<p>発売日翌日の３０日（水）に、仕事帰りに梅田の紀伊国屋へ行って買おうとしたら、入り口で気づいた…。</p>

<p>紀伊国屋は本屋だった…。</p>

<p>大丈夫か！？＞わて</p>

<p>それで、翌日の木曜日に、同僚に教えてもらった「Sound 1st」で購入。鞭を舐めたマドンナと思って、ジャケットをよく見たら鞭ちゃう…。</p>

<p>それはそうと、家に帰ってさっそく聞いてみた。</p>

<p>前作「Confessions on a dance floor」や、その<a href="http://www.mode21.com/column/003411.html" target="_blank">ライブ版「The Confessions Tour」</a>の方がええ…。 これ、DVDなら、もう少し楽しめるかも知れないけど、ただのHIPHOPやろ…。</p>

<p>マドンナじゃなくてもやれるアルバムってのだけは、止めてくれぇ～。 </p>

<p><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000MM1I5C/modernflaneur-22" target="_blank"><img src="../image/confessions_tour.jpg" alt="マドンナ コンフェッションズ・ツアー・ライヴ"></a>前作「Confessions」もダンスだったけど、90年代マドンナの右往左往したセックス・シンボル的イメージをダンスにぶつけた感じがしていたし、ジェンダー論のようなショボいゾウリムシの集まりとは違った、まさに女権帝国を作り出すかのような勢いが良かったんだけどなぁ～。</p>

<p>今回のアルバムは、ダンスで吠えたり男を犬のように飼い慣らすメッセージは遠のき、ダンスに溶け込んでしまったマドンナという感じっす。マドンナにはやってほしくなかったアルバムです。マドンナだから出来る曲って、あっただろうに…。 </p>

<p>「Confessions」のライブ版も抜群だっただけに、ちとダンスで時間稼ぎか。次回作を待とう。</p>

<p>「Confessions」のDVDライブ版に、80年代の自曲「Live to Tell」のアレンジがあった。同じキリスト教圏のフランスのゴダール（God arl）が言葉遊びしたように、十字架をモチーフにした「神への反逆」みたいなことをやっていた。今回の「ハード・キャンディ」にも、ああいうノリや怒りを期待していたんだけど、そんなこともない…（CDやから仕方ないが）。</p>

<p>次作に期待します…。仕方ない、９０年代のマドンナだって、大半は転けたし…。今はマドンナ・スランプ期ってことで。</p>]]></description>
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<category>モードについて</category>
<pubDate>Sun, 04 May 2008 10:21:17 +0900</pubDate>
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<title>文化史からみたミシン─トップ・ブランドは品質がトップか？</title>
<description><![CDATA[<p>和服にもミシン縫いが行なわれているという仮定が当を得ているとしても、一点一点のどこが手縫い部分であり、どこがミシン部分であるかという点は解明が難しいと思われる。</p>

<p>ミシン導入後の時期を扱う日本衣服史では、導入前にも存在した「裁縫」や「仕立」という業種を述べる傾向が強く、ミシン縫いが行なわれている形跡を確認することが難しい。また、中国衣服史でも、清朝期中国の洋服導入において、生産機械、すなわちミシンを利用した点に触れたものは確認できていないが、日本の和服と同様、従来の衣料にもミシンが利用されたことは推測可能である（<small>もっとも、この点は本稿では先行研究を踏まえているわけではない。ただし、清朝期には平面裁断を基本とした旗袍（チーパオ）の場合、1911年の辛亥革命前後にツーピースからワンピースへと形態が変化したと同時に、立体裁断・立体縫製に適合する形態変化を遂げた（冷芸『裁&#32541;的故事 &#8211;从小裁&#32541;到大&#24072;』109ページ）。その後、遅くとも1920年には、民国政府によって女性の礼服として旗袍が規定された（汤献斌編著『立体与平面 – 中西服飾文化比較27ページ）。「西服」だけに留まらず、旗袍事態が形態変化を遂げ、礼服として規定されるに至った20世紀初頭の状況を踏まえれば、その着用者が如実に増加した点は容易に推測できよう。</small>）。</p>

<p>この点については、パリのオート・クチュールにおいても似たような研究状況である。塚田朋子は、高級注文服と訳されるオート・クチュール業界は、手縫いの印象を与えながらも、その半面でミシンを利用しているはずだと指摘しながら、その実態把握については史料制約上困難であるとの理由で限界を訴えている（<small>「本物のファッション・リーダーへの‘羨望’がある限り、既製服では‘ない’ように見せる努力は止むことがない（実際今日も続く）。ミシンが登場しているのにスーツは伝統的な手縫いに見えるよう縫製され、合成繊維が発明されても、天然繊維に見えるよう用いられ、縫いつけられていて時差史には開かない、既製のスーツの袖口（切羽：sham opening）の見せかけのボタンは今日も消えない」（<a href="http://www.mode21.com/book/002378.html" target="_blank">塚田朋子『ファッション・ブランドの起源-ポワレとシャネルとマーケティング』雄山閣、2005年</a>、309ページ）</small>）。</p>

<p><img src="../image/singerfootpedal.jpg" alt="シンガー社足踏ミシン">アメリカ合衆国ミシン産業の前史として、最初の実働ミシンの登場はフランスであると捉えられることが多い。フランス、サンテティエンヌ（Saint-Étienne）のバルテルミー・ティモニエによる1830年のミシン開発である。当時のフランスでは、熟練度や需要・報酬の高さが魅力とされた職業は仕立業（tailor）であった。1825年、ティモニエは自分の仕立屋を開店させ、1829年にはミシンが開発されたの（特許取得は翌30年）。この開発には、国立高等鉱業学校サンテティエンヌ校の教師Ｍ．フェラントがパトロンとして控えていた。他人による財政的支援と自身の開発が噛み合った事例はシンガー創業者のアイザック・メリット・シンガーにも当てはまるが、フランス軍隊のお抱え仕立業者となったティモニエは、41年に旧来の仕立業者たちによって商店が破壊されるという事態を経験する。手工的熟練と機械工的熟練との確執がフランスとアメリカでは反対の結果になった点が、ミシン導入によるその後の服飾史的展開の違いに影響を与えていることは重要であり、今後の課題として検討していきたい（<small>以上、ティモニエの略伝については以下を参照した。<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/187941872X/modernflaneur-22" target="_blank">Don Bissell, “The First Conglomerate: 145 Years of the Singer Sewing Machine Company”, Audenreed Press, 1999</a>, p50-52.</small>）。</p>

<p>なお、シンガー社第4代社長フレデリック・ボーンがティモニエの開発したミシンを「実働的ではない」と指摘したといわれるが（<small>Don Bissell, “The First Conglomerate”, p. 52.</small>）、いずれの事態が正確かの判断は本稿の対象外であるので省き、小原の研究を踏襲して理解した。</p>

<p>1911年に成立したオート・クチュール組合の参加デザイナーたちが、採寸後の仮縫いから立体裁断を経て本縫いへ向かう工程において「手」を利用したという印象を付与する意図が存在したに違いない。なぜなら、ガブリエル・シャネルやクリスチャン・ディオールといったトップ・ブランドの創始者たちが仮に手縫いを実践していたとしても、その後の後継者たちは既にデザインの立案と実際の縫製段階が工程分離した後の世代であり、「デザイナー」として評価を与えられることがあっても、決して縫製工として評価が与えられている訳ではないからである。モード業界においては、ミシン縫いの利用を隠し、手縫いの印象を付与することによってブランド販売力を維持しているのではないかという疑念が生じる（<small><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4881240692/modernflaneur-22" target="_blank">仁野覚『フランスファッションの光と影』（繊研新聞社、2000年）</a>によると、1860年代のパリでは337台のミシンが活用され既製服産業が成立したが、それをテコにして、後のオートクチュールに繋がるモード産業が、シャルル・フレデリック・ウォルトに代表される旧来の（手縫い的）仕立業者を駆り立てたとされている。フランス服飾史にミシンを導入した貴重な研究ではあるが、モード産業の方には手縫い・ミシン縫いの記述が一切ない点は、本文で記した疑問が残る。</small>）。</p>

<p><img src="../image/singerhandcrank.jpg" alt="シンガー社手回しミシン">そもそも、衣服史研究において頻繁に利用されているテーラーや仕立という職業用語には注意が必要である。テーラーは、19～20世紀衣服史の花形職業として描かれる側面があるが、モード業界について触れられることの多い国、フランス衣服史においてすら、生産体制にまで丁寧に確認した研究は少ない。20世紀に、製造工程とデザイン工程の分化によって後者が高く評価されるようになり、「高級」と形容される仕立業者たちは、自らの職業的立場が好印象を得られるために、製造部門で利用している方法・機械を公開しないのが常套手段となっている（<small><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4881240692/modernflaneur-22" target="_blank">仁野覚『フランスファッションの光と影』（繊研新聞社、2000年</a>）では、19世紀フランスにおけるミシン普及と既製服成立を同時並行的な事態として理解しているが、後のパリ・オートクチュール組合を形成していくような手工業者たちをミシン普及と対立的に捉えている点は説得性に欠ける。フランスを中心にしたモード業界の文脈では、とりわけミシン普及に抗した手工業者たちの態度を強調する研究が多いが、「手で縫っていた」という一言は必ず叙述されない。塚田朋子は、自著<a href="http://www.mode21.com/book/002378.html" target="_blank">『ファッション・ブランドの起源-ポワレとシャネルとマーケティング』（雄山閣、2005年）</a>で、その点に注意を促しているが、資料的制約という限界を簡単に認めてしまっており、手工業者たち自身が製造工程を切り離し、フランス政府の庇護の元に、自らはデザイナーとしてトップ・ブランドを築き上げていった20世紀フランス・モード史は、製造業者の存在が消去された歴史であったともいえる。</small>）。</p>]]></description>
<link>http://www.mode21.com/column/003637.html</link>
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<category>モードについて</category>
<pubDate>Tue, 26 Feb 2008 01:42:53 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ミシン縫型の略図・記号（ステッチ）</title>
<description><![CDATA[<table><tr><td><img src="../image/type101.jpg" alt="ステッチ・タイプ"></td><td><img src="../image/type301.jpg" alt="ステッチ・タイプ"></td><td><img src="../image/type401.jpg" alt="ステッチ・タイプ"></td><td><img src="../image/type402.jpg" alt="ステッチ・タイプ"></td></tr><tr><td>タイプ101<br>単環縫</td><td>タイプ101<br>本縫</td><td>タイプ401<br>2重環縫</td><td>タイプ402<br>2本針2重環縫2本かけ</td></tr><tr><td><img src="../image/type403.jpg" alt="ステッチ・タイプ"></td><td><img src="../image/type404.jpg" alt="ステッチ・タイプ"></td><td><img src="../image/type405.jpg" alt="ステッチ・タイプ"></td><td><img src="../image/type406.jpg" alt="ステッチ・タイプ"></td></tr><tr><td>タイプ403<br>3本針2重環縫3本かけ</td><td>タイプ404<br>2重環千鳥縫</td><td>タイプ405<br>2本針2重環千鳥縫</td><td>タイプ406<br>2本針2重環1本かけ</td></tr><tr><td><img src="../image/type407.jpg" alt="ステッチ・タイプ"></td><td><img src="../image/type502.jpg" alt="ステッチ・タイプ"></td><td><img src="../image/type503.jpg" alt="ステッチ・タイプ"></td><td><img src="../image/type504.jpg" alt="ステッチ・タイプ"></td></tr><tr><td>タイプ407<br>3本針2重環1本かけ</td><td>タイプ502<br>1本針2本糸オーバーロック</td><td>タイプ503<br>1本針2本糸オーバーロック</td><td>タイプ504<br>1本針3本糸オーバーロック</td></tr><tr><td><img src="../image/type505.jpg" alt="ステッチ・タイプ"></td><td><img src="../image/type506.jpg" alt="ステッチ・タイプ"></td><td><img src="../image/type601.jpg" alt="ステッチ・タイプ"></td><td><img src="../image/type602.jpg" alt="ステッチ・タイプ"></td></tr><tr><td>タイプ505<br>1本針3本糸オーバーロック</td><td>タイプ506<br>2本針4本糸オーバーロック</td><td>タイプ601<br>2本針3本糸偏平縫</td><td>タイプ602<br>2本針4本糸偏平縫</td></tr><tr><td><img src="../image/type603.jpg" alt="ステッチ・タイプ"></td><td><img src="../image/type604.jpg" alt="ステッチ・タイプ"></td><td><img src="../image/type605.jpg" alt="ステッチ・タイプ"></td><td></td></tr><tr><td>タイプ603<br>2本針5本糸偏平縫</td><td>タイプ604<br>3本針6本糸偏平縫</td><td>タイプ605<br>3本針5本糸偏平縫</td><td></td></tr></table>

<h2>参考</h2>
松下良一編『'74縫製機器総合カタログ』松下工業株式会社、1974年、6ページ。元データは、ユニオン・スペシャル提供。]]></description>
<link>http://www.mode21.com/column/003599.html</link>
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<category>秘蔵写真や関連資料</category>
<pubDate>Sun, 17 Feb 2008 09:23:13 +0900</pubDate>
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<item>
<title>裁縫熟練者の「手」について</title>
<description><![CDATA[<p>裁縫（仕立）の場合、ミシンや手縫いのような一見「魔法」にみえる「異様な」技術は、「手」そのものの魔法として描かれることがある。</p>

<p>フランスの映画監督パトリス・ルコントは<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00006F1V1/modernflaneur-22" target="_blank">『仕立て屋の恋』</a>（1989年、フランス）において、手をかざすだけで少女の頭痛を治す術をミシェル・ブラン扮するベテランの仕立屋に託している（<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00006F1V1/modernflaneur-22" target="_blank">パトリス・ルコント『仕立屋の恋』Patrice Leconte、原題：MONSIEUR HIRE、フランス、1989年</a>）。</p>

<p>ルコントの場合、男性は女性に献身的な愛を捧げる者として描かれることが多いが、中華圏映画に目を転じると、おそらく20世紀中葉と思われる同じ仕立屋でも、随分と印象が異なる。</p>

<p><img src="../image/the_hand.jpg" alt="若き仕立屋の恋">ウォン・カーウァイ『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000BNFIE4/modernflaneur-22" target="_blank">若き仕立屋の恋</a>』（王家衛、原題：手、中国、2005年）の場合、注文生産・見込生産ともに扱う裁縫業者に勤務する20代男性が主人公であり、彼は新米の徒弟段階にいるのが前提となっている。</p>

<p>主演のチャン・チェン（張震）は、コン・リー（鞏俐）扮する特定娼婦のメジャー採寸から手縫い・ミシン縫製にいたるまでを製作を担当するし、この工程と納品とを繰り返す間に、男女として「縫合」し、最終的には娼婦の結核により無惨に関係が「裁断」される展開で幕を閉じる。</p>

<p>裁縫は、恋愛と同様、縫合よりも裁断こそが職人芸である。もっとも、裁縫工程では「裁断→縫製（縫合）」となるが、恋愛は「縫合→裁断」となる順序の違いはある。なお、裁断工程は織物を幾重にも重ねて行なったようで、その意味では男性向けともいえる。しかし、この作品では、裁断は病気という外在的要因によって強制的に導入されており、男女双方ともに痛みを伴った、型紙なき裁断であった。</p>]]></description>
<link>http://www.mode21.com/column/003556.html</link>
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<category>モードについて</category>
<pubDate>Tue, 29 Jan 2008 01:35:08 +0900</pubDate>
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<item>
<title>児童労働問題と偽造問題</title>
<description><![CDATA[<p>２００７年に日本国内で表面化した賞味期限偽装問題や、中国で頻出しているブランド偽造問題について、少し考えるきっかけがあった。</p>

<p>『ハーパースバザー日本版』９月号では、中国の偽造バッグが主に児童労働によって担われていることがクローズ・アップされている。一人っ子政策のもとで誘拐された児童が働くことも多いという。</p>

<p>私自身は、この９月号の記事が偽造問題を防止するためにユニオン・デ・ファブリカンへ通報するよう呼びかけているオチに疑問をもっている。フランス善VS中国悪という単純な構図に基づいたフランスのブランドを保護する趣旨だからであるが、大学での授業で女子学生から出された感想は、むしろ酷使される児童労働の衝撃であった。</p>

<p>そこで、偽造ブランドを考える前に、児童労働の問題を考えてみたい。日本の歴史を振り返ると、つい１００年ほど前に、女性労働と児童労働が問題視された経緯がある。</p>

<p>「The fake Trade」と題された件の記事によると、中国の就労年齢は１６歳だが、それに満たない子供でも就労するケースが多いらしい。就労先として挙げられている例は、模造のバッグ、財布、ベルト、携帯電話の製造工場だが、別の方から聞いた話では、本物を製造している工場が夜間に偽物を製造する工場に変わる場合もあるという。</p>

<p>当該記事では中国品と明記されていないが、９８年から２００４年の間に、EU国境で押収された偽造品は１０倍に増えたという。同一モデルを対象としたのだろうか、真正品換算で１００万点、５億ドル相当にのぼるという。これも範囲が不明瞭だが年間５０００億ドルのビジネスとして偽造品産業は活況を呈しているという（地球全体が範囲かと思われる）。品質面でいえば、２１世紀に突入してからの偽造技術は格段に向上したらしい。</p>

<p>このようなビジネスが普及するなか、児童が酷使されるという問題も如実に進行している。</p>

<p>中国の児童労働問題は、先進資本主義国のたどった同じ道程を歩んでおり、誘拐問題を併発することが多い。２００２年に香港で設立された民間の慈善団体「中国万世师表有限公司（萬世師表有限公司）」が広東省を中心に児童労働の摘発・学校への入学などの協力を行なっているとのことであるが、「The fake Trade」の記事には、ユニオン・デ・ファブリカンの連絡先が記されている一方で、萬世師表有限公司への連絡先は記されていない。記事自体は児童労働の告発よりも偽造問題の告発に力を入れていることが如実に分かるが、それはさておき、児童労働問題の歴史を簡単に振り返ろう。</p>

<p>近いところでいえば、塩沢美代子『メイドイン東南アジア―現代の女工哀史』（岩波書店、１９８３年）に詳しいが、１９７０年代の日系企業東南アジア進出に併発された児童労働・女性労働問題があった。その前の時代といえば、２０世紀転換期日本の場合であり、工場法適用前後、資本家と労働者と政府の間で熾烈な議論が勃発した。農商務省『職工事情』1903年、細井和喜蔵『女工哀史』1925年、山本茂実『ああ野麦峠』1968年等が記録として活用できる。『職工事情』は後の工場法制定にさいして基礎資料となった。このような労働問題の前史となったのは、１８世紀イギリスの産業革命である。</p>

<p>いずれにせよ、この２００年ほどの間を貫通するのは、工業化・市場経済化に着手した国は公害問題と労働問題を解決できなかったということである。イギリスという先例を生産量の目標としてだけで考えた人類全体のミスであり、工場というシステムを侮ったといえる。</p>

<p>さて、次に偽造問題について考えてみよう。</p>

<p>略史を紹介すると、まず、２０世紀中期のイタリアで、フランスのブランド・バッグの偽造販売問題が勃発した。失業者２万名を救った偽造品産業は、フランスのコルベール委員会の摘発・調査によって、壊滅的打撃を受けた。そのイタリアでは、２０世紀後半になってアルマーニやヴェルサーチ等が賄賂で活性化（展示会優遇等）した。</p>

<p>そして、２１世紀初頭、中国でフランスのブランド・バッグの偽造販売問題が表面化した。いつも模造されるのはフランスであるといわんばかりだが、織物製品や服飾品の偽造問題としては、１９００年頃のフランスの事例が興味深い。福井県出身の代議士であった杉田定一は、１９世紀末の欧米視察旅行の帰朝報告として『欧米羽二重商況視察報告』（１８９７年、農商務省刊）を執筆しているが、それによると、フランス絹織物業のメッカであると同時に、世界の絹織物市場の中心地でもあったリヨンでは、日本製の絹織物であろうと、フランス製のそれであろうと、リヨンから輸出される絹織物には全てリヨン産というラベルが貼られたという。</p>

<p>この場合、絹織物のラベルが偽造されているのであり、絹織物としては本物である点に注意したい。リヨン産としては偽物であるが、絹織物、すなわち製品としては本物なのである。最近問題となっているブランド・バッグの偽造問題も同じ構造をもっており、そこでは、バッグとしては本物であり、ヴィトン製としては偽物である。</p>

<p>ただし、１９世紀末にみるリヨンの例にせよ、２０世紀末にみる中国の例にせよ、当地・当該ブランドと「偽物」との品質は比較不能である。本物の方が品質の良いということは、原材料の仕入先から製造工程までを比較しない限り不可能である。トップ・ブランドは挙ってそのような情報を非公開としているからである。したがって、偽造品の方が優秀かも知れず、トップ・ブランドはラベルの無断利用のみを告発し、特許・著作権で勝負しているだけに過ぎない。</p>

<p>このように考えると、偽造ブランドの問題は、製品の偽造ではなく、ラベルの偽造であるということが分かる。無断で商標を使用したということが問題視されている。無断ではなく、かつ相応の金銭を支払えば、自分たちが製造しなくてもライセンスを発行する販売方法を導入したのは、他ならぬフランスのトップ・ブランド、クリスチャン・ディオールであった（日本ではカネボウとの業務提携が有名）。もっとも、ライセンス契約の場合、製造工程への監視・検査は、ブランド本社自体が関与することが多いはずであるが、一時は「トイレにカルダン」といわれたほどのライセンス放出によって企業体が傾いたピエール・カルダンのような場合、全ての製品を管轄することは不可能ではないか？</p>

<p>ブランドがフランス中心、ヨーロッパ中心である時代、そして、その内実がラベル中心である時代は、２１世紀にも通用するのだろうか？</p>

<p>以上、偽造ブランドの問題は製品や品質ではなく、商標、許諾の問題に過ぎない点を指摘した。偽造・偽装は日本でも当然の事態であったということが、ようやく知られるようになった。「違いの分かる男」など、嘘だったのである。</p>

<p>このような観点からみると、肉まんへのダンボール投入などの食品偽造問題と、賞味期限偽造や古紙配合率偽装などのラベル偽装の問題との違いを考えるきっかけにもなる。ラベル偽装の場合、賞味期限偽装では、食品として本物であり、賞味期限表示が偽物という区別が生じる。古紙配合率偽装では、再生紙を利用した物としては本物であり、古紙配合率表示としては偽物ということになる。配合率によって偽物か本物か判断が分かれるのだ。</p>]]></description>
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<category>モードについて</category>
<pubDate>Wed, 16 Jan 2008 21:11:09 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>マドンナ コンフェッションズ・ツアー・ライヴ</title>
<description><![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000MM1I5C/modernflaneur-22" target="_blank"><img src="http://g-ec2.images-amazon.com/images/I/51ejoa%2BbtrL._AA240_.jpg">マドンナ コンフェッションズ・ツアー・ライヴ [Live] </a><br />
CD (2007/3/7) <br />
ディスク枚数: 2 <br />
フォーマット： Live <br />
レーベル: ワーナーミュージック・ジャパン</p>

<p>80年代のマドンナ登場の意義は、ロックの歴史を破壊した、ボン・ジョヴィやガンズ＆ローゼスという見窄らしい雑音が生まれたアメリカで、ダンスそのものを意味転換させるポップが登場したということになろう。 </p>

<p>そう、恋愛は、ボンジョヴィのように語るものではない。ロックは恋愛を持ち込まれることで、合衆国によって破壊された音楽である。</p>

<p>ボンジョビ以下によって、社会への怒りは、恋愛の叫びへと転換され、さらに、自己愛に近い醜態晒しへと堕落した。当然ながら、恋愛は語ったり叫んだりするものではなく、実行するものである…。</p>

<p><a href="http://www.mode21.com/image/madonna_cap407.jpg" target="_blank"><img width="240px" src="../image/madonna_cap407.jpg"></a>一般論としてマドンナは以下の点をロンドンの観客に投げかける。 </p>

<blockquote>口先だけのお喋りが多いね
<br>あんたらの前で、有言実行できる奴は
<br>いるかい？</blockquote>

<p>冒頭、ウォン・カーウァイ『２０４６』で試みられたような、ドアが両サイドに開くグラフィックで、奥から「秘密の穴」が出てくる設定を思わせる。 </p>

<p>マドンナの背景には、プロジェクターに、馬であったり、幾何学模様であったりが、両サイドに離れていく。そこは、別の次元が開かれるようであり、それでいて、馬の後ろ姿、下半身がクローズアップされる。 </p>

<p>ごろつく歌手たちとは違い、ダンスの使い方を知り尽くしたマドンナは、Like A Virginの頃以上に、テンポがアップ。振り付けも「教えることがない。彼女は学ぶ必要がない」とスタッフに言わせたように、縦横無尽だ。 </p>

<p><a href="http://www.mode21.com/image/madonna_cap748.jpg" target="_blank"><img width="240px" src="../image/madonna_cap748.jpg"></a>自らアイコンと化して、Live To Tellで、十字架を背負ったマドンナは茨の木で冠をかざして登場する。 </p>

<p>キリスト教と信者たちによって半壊したといっても過言ではない地球を憂いながら、マドンナは、キリスト教の十字架によって、懺悔する。 ジーザスの処刑に準えたパフォーマンスがメインとなったこの曲は、DVDに収録されるだけで、CDには場所が与えられていない。 </p>

<p>ジーザス・マドンナが登場する直前、とりあえずロックやポップでは、マドンナ（かドロレス・オリオーダン）しか言えないだろう台詞が出てくる。 </p>

<blockquote>転ぶことは誰にでもある
<br>問題は起きあがり方
<br>その時こそ挑戦だ。
<br><br>そうだろ？
<br>自分の世界に閉じこもり
<br>ダンスも現実逃避だった
<br><br>でも
<br>どんな闇にも光はある</blockquote>

<p>マドンナは危うい肉体美と、退廃的ダンスを、光に変えようとしているのか。ライブの映像で、ブッシュが真剣そうな顔で瞬きを何度もし、ブレアはだれた笑顔を晒している・・・。</p>]]></description>
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<category>モードについて</category>
<pubDate>Tue, 24 Jul 2007 19:09:17 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>チャン・ツーイー（章子怡） - マリ・クレール中国版2005年12月号</title>
<description><![CDATA[<p><a href="../image/marieclaire200512cn.jpg" target="_blank"><img src="../image/marieclaire200512cn_tn.jpg" alt="チャン・ツーイー"></a>2004年のウォン・カーウァイ『2046』で日本にも広く知られるようになった中国の女優チャン・ツーイー（章子怡）。2005年には渡辺謙やミシェル・ヨー、コン・リー、役所広司、桃井かおり、といった豪華キャストとともに、ロブ・マーシャル監督の『SAYURI』に主役で登場しました。</p>

<p>この映画で実質的なハリウッド・デビューを果たしたチャン・ツーイーが、マリ・クレール2005年を締めくくります。インタビューでは、映画『SAYURI』の撮影期間のアメリカ生活や、撮影現場、収録の苦労話などを語っています。</p>

<p><a href="../image/marieclaire200512cn 001.jpg" target="_blank"><img src="../image/marieclaire200512cn 001_tn.jpg" alt="マリ・クレール"></a><a href="../image/marieclaire200512cn 002.jpg" target="_blank"><img src="../image/marieclaire200512cn 002_tn.jpg" alt="章子怡"></a>芸者のスタイルでは、13センチにもおよぶ高下駄（足駄とも）が辛く、演技のなかでも一番難しかったそうですね。</p>

<p>着物や振袖という用語しか残っていないのが日本の服飾文化のダメなところなのですが、そういうことには触れずに、京都の雰囲気には惚れ惚れとしたことを誉めています。</p>

<p>また、16、17歳の女性たちが芸者として、着物や振袖を着こなしている点にも感心されたようで、北京ではチョンサム（長衫）を着こなす同世代の女性はほとんどいないと指摘しています。</p>

<p><a href="../image/marieclaire200512cn 004.jpg" target="_blank"><img src="../image/marieclaire200512cn 004_tn.jpg" alt="章子怡"></a>まぁ、女優となれば簡単に悪口は言いにくいのでしょうが、芸者の場合は専門職なので、北京の同世代の学生たちとそのまま比較はできません。日本の服飾文化を褒めるとすれば、そういう褒め方しかできないのも、彼女として辛いところ。もとい、映画の感想でよく言われたような、芸者の細かい芸や歩き方に習熟していない、といった点なんて、チャン・ツーイーにとってはどうでもいいことでしょうね。小賢しい芸者技術よりも、やはり彼女の大胆なファッションに、私としては関心が沸きますね。</p>

<p>それに、日本の女優にはない饒舌さと、それを裏付ける教養は、20代の女優にでも備わっているのだなと、チャン・ツーイーに対して、逆に感心いたします。</p>

<p><a href="../image/marieclaire200512cn 005.jpg" target="_blank"><img src="../image/marieclaire200512cn 005_tn.jpg" alt="チャン・ツーイー"></a><a href="../image/marieclaire200512cn 003.jpg" target="_blank"><img src="../image/marieclaire200512cn 003_tn.jpg" alt="マリ・クレール"></a>日本の女優やタレントで、語学の壁やこれまでの経験の底の深さって、インタビューですら伝わってこないところが残念、みんな外見ばかりでダイエットやエステ、訳も分からずヨガっていうのが、定番ですから。</p>

<p>そういう意味で、やはり東アジアを代表する国際女優というのは中華圏からしか登場しにくいので、チャン・ツーイーには是非頑張ってほしいなぁと思っています。</p>

<h2>外部の関連リンク</h2>
<ul><li><a href="http://wkw2004.com/casts/zhang.html" target="_blank">チャン・ツーイー（章子怡、Zhang Ziyi）</a> - ウォン・カーウァイ監督作品のキャストたちを紹介。</li></ul>]]></description>
<link>http://www.mode21.com/column/002925.html</link>
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<category>秘蔵写真や関連資料</category>
<pubDate>Sun, 07 Jan 2007 23:47:17 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>コン・リー（鞏俐） - マリ・クレール中国版2006年12月号</title>
<description><![CDATA[<p><a href="../image/marieclaire200612cn.jpg" target="_blank"><img src="../image/marieclaire200612cn_tn.jpg" alt="マリクレール"></a><a href="../image/marieclaire200612cn 001.jpg" target="_blank"><img src="../image/marieclaire200612cn 001_tn.jpg" alt="マリクレール"></a>表紙は、05年辺りにハリウッドデビューを果たしたコン・リー（鞏俐）です。</p>

<p>彼女のインタビュー以外に、主なコンテンツでは、パリとハリウッドのファッション対決、古典的ファッションと現代ファッションの関係という２つのテーマが面白いですね。</p>

<p>とくに後者は、<strong>classic of fashion</strong>で、20世紀の写真を散りばめているので比べてみると面白い。</p>

<p><strong>黒のミニドレス</strong>がオードリー・ヘップバーンの写真とか。1950年のディオール、94年のダイアナ妃、26年のシャネル、61年のジバンシー、2006年秋冬のシャネル、同じくランバンで比較されています。</p>

<p><a href="../image/marieclaire200612cn 004.jpg" target="_blank"><img src="../image/marieclaire200612cn 004_tn.jpg" alt="マリクレール"></a><a href="../image/marieclaire200612cn 003.jpg" target="_blank"><img src="../image/marieclaire200612cn 003_tn.jpg" alt="コン・リー"></a><strong>ホワイト・シャツ</strong>では、36年次のマレーネ・ディートリヒ、2006年秋冬のバレンチノ。</p>

<p><strong>トレンチ・コート</strong>は、ヴィクトール&ロルフ（Viktor & Rolf）やディースクエアード（dsquared）の06年秋冬。35年のバーバリー。</p>

<p><strong>ツイードのジャケット</strong>では、62年のケネディ夫人、36年のシャネル本人、80年代シャネルの広告、06年秋冬のバーバリー・プロッサム（Burberry PRORSUM）。</p>

<p><strong>ケープ</strong>は、エルメスとmareilaの06年秋冬、80年代マリ・クレールの毛皮の広告、71年流行の19世紀風ケープ・コート。</p>

<p><a href="../image/marieclaire200612cn 007.jpg" target="_blank"><img src="../image/marieclaire200612cn 007_tn.jpg" alt="コン・リー"></a><a href="../image/marieclaire200612cn 008.jpg" target="_blank"><img src="../image/marieclaire200612cn 008_tn.jpg" alt="コン・リー"></a><a href="../image/marieclaire200612cn 006.jpg" target="_blank"><img src="../image/marieclaire200612cn 006_tn.jpg" alt="コン・リー"></a><strong>パンツ・スーツ</strong>は、90年代の写真でモデルのリンダ、77年のはツイギーをモデルにしたラルフ・ローレンの作品。41年はアンネ・スコットという男性記者をモデルにしたパンツ・スーツ、06年秋冬はグッチの男装風。</p>

<p>といった具合で、文字ではアレコレと目まぐるしいですが、雑誌では写真なので時間つぶしになりました…♪</p>

<h2>外部の関連リンク</h2>
<ul><li><a href="http://wkw2004.com/casts/gong.html" target="_blank">コン・リー（鞏俐、Gong Li）</a> - ウォン・カーウァイ監督作品のキャストたちを紹介。</li></ul>]]></description>
<link>http://www.mode21.com/column/002924.html</link>
<guid>http://www.mode21.com/column/002924.html</guid>
<category>秘蔵写真や関連資料</category>
<pubDate>Sun, 07 Jan 2007 20:43:42 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>更紗とプリントドレス展</title>
<description><![CDATA[<p><img src="20061230 001.jpg" alt="更紗とプリントドレス展"><strong>更紗とプリントドレス展／神戸ファッション美術館</strong></p>

<p>［開催期間］  2006年10月21日（土）～2007年1月16日（火）　※ベーシック展示「服飾ガイド2006」は通年開催です。<br />
 ［開館時間］ 10:00～18:00（入館は17:30まで）<br />
［ 休館日 ］水曜日 (祝祭日の場合は開館、翌日休) 、年末年始（12/29～1/3）</p>

<p>インドを発端に、主にアジアで広まってきた染色技術とデザインである<strong>更紗</strong>と、ヨーロッパで普及した大量生産向けの<strong>プリント</strong>とを並列的に展示しており、アジアからヨーロッパへのデザイン技術、意匠の影響をはっきりと確認することができる。</p>

<p><strong>19世紀の貴族が着ていたドレスにポケットはなく、また、20世紀のブランド・デザイナーたちがデザインしたドレスにもポケットはなく、スーツにポケットがあるのはなぜか？</strong></p>

<p>このような問いを考えながら見ていくのも楽しい。そもそも、19世紀までの貴族は実用性からかけ離れた衣服を身につけることで、自分の権威を誇示したのであり、この点は服飾史の大事なポイント。</p>

<p><img src="pucci2.jpg" alt="エミリオ・プッチ/1970年/イタリア/イブニングドレス">20世紀になると、そのような非合理性は否定されるまではいかなくとも、さして重視されるようなものではなくなり、スーツのような便利さを加味された衣服は、その登場とともにポケットが付けられていた。</p>

<p>今でいうような軽装が重視されるようになったのは、ジーンズやTシャツなど、アメリカ合衆国産の様々なカジュアル・ウェアによるところが大きいが、20世紀初頭ではガブリエル・シャネルがマニッシュ・ルック風の活動的なデザインをアピールした点も忘れてはならない。</p>

<p>20世紀のデザイナーたちの作品では、エミリオ・プッチの開放感溢れる柄とラフなデザインのビーチ・ドレスと、柔らかい緑を幾層にも重ねたイブニング・ドレスが気に入った。また、「苗族女性盛装用衣装」（20世紀中期/中国）は、中袖、膝丈のワンピース。グレート黒だけの幾何学模様だが、立襟で引き締まった感じがして、こちらもお気に入り（袖には、一部、赤・黄・緑の正方形の柄がまぶしてあるが）。</p>

<p>神戸ファッション美術館は、常設展示の入り口がナポレオンの戴冠式から始まっており、ペチコート、クリノリンなど、19世紀までのフランス貴族女性の服装も充分に楽しめる。とくに、マリー・アントワネットやポンパドゥールたちの衣服の形態や、貴族たちの衣服の変遷も辿ることができ、ドレスの歴史として展示を楽しむことができるが、今回は、アジアの更紗とヨーロッパのプリントドレスとを合わせた形で、相互交流の活気が伝わってきた。</p>

<h2>パンフレットより</h2>

<p><img src="20061230c.jpg" alt="苗族女性盛装用衣装/20世紀中期/中国"><strong>インド更紗、ジャワ更紗、ペルシャ更紗、ヨーロッパ更紗・・・</strong></p>

<p>「さらさ」という、異国情緒漂う美しい響きをもったインド起源の舶載(はくさい)の模様布は、何百年の長きに渡り日本人を魅了し続けています。更紗の技法には、木版、銅版、型紙などを使った捺染(なっせん)、ロウや糊(のり)などを使用した手描きの防染(ぼうせん)、さらにその模様布の上に金箔(きんぱく)や金泥(きんでい)で装飾した印金(いんきん)などがあります。 </p>

<p>一方、プリントとは、布に柄を捺染する染色技法全般のことをいいます。技法的にはほぼ更紗と同じですが、ヨーロッパの産業革命後の大量生産を目指して製造されたため、銅版ローラープリント、シルクスクリーン、インクジェットプリントなど新しい技術が次々と実用化され、現在最も広く用いられている染色技法といえます。 </p>

<p>本展では、世界中の伝統的な更紗から、マリアノ・フォルチュニィ、クリスチャン・ディオール、エミリオ・プッチ、ルディ・ガーンライヒなど20世紀を代表するデザイナーのドレス、日本独自の友禅(ゆうぜん)、筒描(つつがき)、紅型(びんがた)、型染銘仙(めいせん)の着物などを一堂に展示いたします。 </p>

<h2>外部の関連リンク</h2>

<ul><li><a href="http://www.fashionmuseum.or.jp/" target="_blank">神戸ファッション美術館</a></li></ul>]]></description>
<link>http://www.mode21.com/column/002922.html</link>
<guid>http://www.mode21.com/column/002922.html</guid>
<category>展覧会・展示会</category>
<pubDate>Sat, 30 Dec 2006 15:14:14 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>19世紀の首都パリとは？ - 書籍紹介を兼ねて</title>
<description><![CDATA[<p>ヴァルター・ベンヤミンが19世紀の首都をパリと捉えたのは、市内に成立しはじめたパサージュ（路地）に注目してのことだった。</p>

<p><a href="passage_paris.jpg" target="_blank"><img src="passage_paris.jpg" alt="パリのパサージュ" width="30%" height="30%"></a>19世紀の首都パリは、（１）<strong>繊維製品・百貨店</strong> と（２）<strong>鉄製品・機関車</strong>から考えてみることができる。なお、19世紀と20世紀との違いは、①天然繊維→化合繊（＆綿糸）、②百貨店→ファッション雑誌（→カタログ通販）→ネットショッピング、③蒸汽機関車→電車→リニア・モーターカー、の3点がキーワードになる。</p>

<p>（１）<strong>繊維製品・百貨店</strong> </p>

<p>簡単には、イギリスの羊毛製品、アジアを中心にした綿製品、そして地場産業である絹製品など、世界中の繊維製品・衣料製品が19世紀前半のパリへ集中したことが大きい背景になっている。また、百貨店の成立と同時に、在庫という今に通じる着想が得られたこと、そして、それに対応できる大量生産・仕入・販売といった経済行為がスタートした点が新しい展開だといえる。</p>

<p><a href="20061226a.jpg" target="_blank"><img src="20061226a.jpg" width="140px" alt="Die magasins de nouveaut&#233;s"></a>左の写真は、「Die magasins de nouveaut&#233;s」と呼ばれる（<a href="20061226a.jpg" target="_blank">別窓で大きく表示</a>）、3～4階建て建築、ショー・ウィンドー、照明・街灯を装備した建物で、「流行品店」（マガザン・ド・ヌヴォテ）と訳される。正価販売、現金販売、大量仕入、ウィンドー・ショッピングなどの商業革命をもたらした。もっとも、19世紀前半のフランスには既製服の浸透が浅く、大量生産・大量仕入・大量販売が噛み合った意味で、本格的な百貨店の登場は1853年の「ボン・マルシェ」を待たねばならなかった。</p>

<p>なお、百貨店の欧米語を紹介しておくと、department store（部門のテンポ、英語）、Warenhaus（商品の家、ドイツ語）、grand magasin（巨大な店舗、フランス語）等がある。なお、フランス語のmagasinには「倉庫」の意味もあり、英語のmagazineには「雑誌、（銃の）弾倉」の意味がある。</p>

<p>では、繊維製品・百貨店から、ベンヤミンのいう19世紀の首都パリの意味を考えてみよう。<br />
<ul><br />
<li>”Die Mehrzahl der pariser Passagen entsteht in de anderthalb Jahrzehnten nach 1822. Die erste Bedingung ihres Aufkommens ist die Hochkonjunkture der Textilhandels. <strong>Die magasins de nouveaut&#233;s</strong>, die ersten Etablissements, die gr&#246;ßere Warenlager im Hause unterhalten, beginnen sich zu zeigen. (Walter Benjamin, ‘Paris – die Hauptstadt des XIX. Jahrhunderts’, 1935, “Das Passagen-Werk, Gesammelte Schriften Band V•1, suhrkamp taschenbuch wissenschaft, 1991”, S. 45.)”</li><br />
<li>「パリのパサージュの大半は1822年以降の15年間に建設される。パサージュが生まれてくる第一の条件は、繊維商業界の好景気である。流行品店、つまり史上はじめて相当量の在庫を備えた商店が出現しはじめる。デパートの前身である。（<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480082166/modernflaneur-22" target="_blank">ヴァルター・ベンヤミン『ベンヤミン・コレクションI　近代の意味』浅井健二郎編訳、筑摩書房、1995年</a>、327ページ。）</li><br />
<li>「パリの路地の大半は、1822年以後の15年のあいだに成立した。それらの抬頭の第一条件は紡績業の殷賑である。雑貨店、大量なストックを常備しておくことのできる商店が、出現しはじめる。それは、百貨店の前身である。（<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000J95AKC/modernflaneur-22" target="_blank">ヴァルター・ベンヤミン『ベンヤミン著作集6　ボードレール』川村二郎・野村修編集解説、晶文社、1975年</a>、11ページ。）</li><br />
</ul></p>

<p>なお、百貨店が一つの街となって、ファッションの情報発信基地となる経緯については、<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061490761/modernflaneur-22" target="_blank">鹿島茂『デパートを発明した夫婦』講談社、1991年</a>を参照のこと。また、18世紀後半以降のフランスにおける奢侈産業の隆盛については、<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061594400/modernflaneur-22" target="_blank">ヴェルナー・ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』金森誠也訳、講談社 、2000年</a>に詳しい。本書は、この点に止まらず、ヴェルサイユ宮殿におけるポンパドゥール夫人（ルイ15世の公妾）、マリー・アントワネット・ドートリッシュ（ルイ16世の王妃）たちの贅沢行為の暴露を含め、ヨーロッパに集積する織物・衣服製造業の実態を大局的に論じた希有な「服飾経済史」といえる研究である。</p>

<p><a href="2006122601.jpg" target="_blank"><img src="2006122601.jpg" alt="クリノリン・スカート" width="30%" height="30%"></a>19世紀フランスの衣服史的な特徴というと、16世紀スペイン発のペチコートを駆逐した<a href="http://www.mode21.com/fashion/000248.html" target="_blank">クリノリン・スカート</a>（クリノ；馬毛＋リネン；麻の混紡地）の流行にある（cf. 十二単）。もっとも、18世紀後半のフランス奢侈産業の大量生産を可能にさせたのは、同世紀のイギリス産業革命に依拠している面が大きい。</p>

<p>なお、ヴェルサイユ宮殿内部の「恋愛と贅沢」、特に恋愛と憎悪に満ちた人間関係に関しては、池田理代子『ベルサイユのばら』一連のシリーズにも詳しいが、漫画としての史実的な濃度は、岡野玲子『陰陽師』シリーズの水準には達していない。なお、19世紀のパリが経験した都市構造の決定的な変化については、<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4791762681/modernflaneur-22">デヴィッド・ハーヴェイ『パリ – モダニティの首都』大城直樹・遠城明雄訳、青土社 、2006年</a>参照のこと。</p>

<p>さて、19世紀の首都パリの成立前夜、18世紀後半のパリの風俗史・生活誌は、<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003345517/modernflaneur-22" target="_blank">ルイ・セバスチャン・メルシエ『十八世紀パリ生活誌 – タブロー・ド・パリ』（1782年）、上下2冊、原宏編訳、岩波書店、1989年</a>を挙げることができる。メルシエの報告は、当時のパリ市民の具体的な職業や生活の状況が分かりやすい。</p>

<p><a href="20061226maquiaa.jpg" target="_blank"><img src="20061226maquiaa.jpg" alt="マリー・アントワネット" width="100px"></a><a href="20061226maquiab.jpg" target="_blank"><img src="20061226maquiab.jpg" alt="プチトリアノン" width="100px"></a>さらに、かなりの風刺を効かせたメルシエの視線は、貴族階級の人たちへの違和感に貫かれており、当時の奢侈生活の内側に汚物を抱えた貴族の不衛生な側面をクローズアップさせる。この不衛生は、19世紀に入ったパリにおいても同じである。『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html?ie=UTF8&location=http%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2Fs%3F%5F%5Fmk%5Fja%5FJP%3D%2583J%2583%255E%2583J%2583i%26url%3Dsearch-alias%253Daps%26field-keywords%3DMAQUIA&tag=modernflaneur-22&linkCode=ur2&camp=247&creative=1211" target="_blank">MAQUIA</a>』集英社、2007年1月号（第27号）によると、マリー・アントワネットだけはヴェルサイユ宮殿に暮らす王族たちの中で唯一人入浴をしていた女性とされているが、当時の王族・貴族層が今とはほど遠い不潔なものだった点は広く指摘されてきた。</p>

<p><a href="20061226maquiac.jpg" target="_blank"><img src="20061226maquiac.jpg" alt="ロサ・センティフォリア" width="100px"></a><a href="20061226maquiad.jpg" target="_blank"><img src="20061226maquiad.jpg" alt="グラース" width="100px"></a>例えば、<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4022595183/modernflaneur-22" target="_blank">北山晴一『おしゃれの社会史』朝日新聞社 、1991年</a>では、メルシエや、20世紀前半にパリへ行った大杉栄のエッセイなどを引きながら、「汚物都市パリ」として１章を割いている。また、傘やヒールの靴がヨーロッパで作られたのも、家から道路上に落とされる人糞を避けるためであったとの話もよく聞く。</p>

<p>また、19世紀に発明されたカメラがどのような物・者を撮してきたか、また、肖像画、肖像写真、風景写真といったものがどのような意味をもってきたのかは、<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480084193/modernflaneur-22" target="_blank">ヴァルター ベンヤミン『図説　写真小史』久保哲司訳、筑摩書房、1998年</a>に詳しい。19世紀後半から20世紀初頭の写真家たちの作品も多数収録されている。</p>

<p>（２）<strong>鉄製品・機関車</strong></p>

<ul>
<li>“Die zweite Bedingung der Entstehens der Passagen bilden die Anf&#228;nge des Eisenbaus…Erstmals in der Geschichte der Architektur tritt mit dem Eisen ein k&#252;nstlicher Baustoff auf. Er unterliegt einer Entwicklung, deren Tempo sich im Laufe des Jahrhunderts beschleunigt. Sie erh&#228;lt den entscheidenden anstrß als sich herausstellt, daß die Lokomotive, mit der man seit Ende der zwanziger Jahre Versuche anstellte, nur auf eisernen Schienen verwendbar ist. (Walter Benjamin, op. cit., S. 45-46.)”</li>
<li>パサージュ成立の第二の条件は、鉄を用いた建築が始まったことである。…中略…鉄とともに建築史上はじめて人工の建材が登場する。この材料はひとつの発展の波に乗る。この発展は、19世紀のあいだに次第にそのテンポを早めてゆく。それに決定的なはずみがついたのは、1820年代末からいろいろと実験されていた機関車が、鉄の線路の上でしか使用できないのが判明したときである。（ヴァルター・ベンヤミン、前掲書（筑摩書房）、328-329ページ。）</li>
<li>「路地成立の第二条件は、建築に鉄が使用されはじめたということである。…中略…建築史に大工の建築材料が登場したのは、鉄をもって嚆矢とする。鉄は、世紀を通じて加速度的にテンポを早めて行く、ひとつの発展の波に乗る。20年代の終りから試作されていた機関車が、鉄の上しか走れないということが明らかになった時、この発展には決定的な動因が与えられる。（ヴァルター・ベンヤミン、前掲書（晶文社）、11-12ページ。）</li>
</ul>
<small>※　この（2）については、以下のページを参照されたい「<a href="http://einbahn.net/19_/post_12.html" target="_blank">建材としての鉄製品とアメリカ大陸横断鉄道</a>」、また「<a href="http://einbahn.net/20_/731_1.html" target="_blank">731部隊と平房駅周辺 - 鉄道の合理性を考える</a>」。</small>

<p>以上、（１）を中心に19世紀の首都パリのイメージを書籍紹介を兼ねて話したが、（１）女性的・女性向け、（２）は男性的、というイメージが19世紀に形成された点は、先進諸国が20世紀に経験したように、男女のファッションにみられる違いに通じる点がポイントであろう。ダンディズム・ファッション（女性では<a href="http://www.mode21.com/fashion/000385.html" target="_blank">マニッシュ・ルック</a>）の色合いと鉄・コンクリートの色は、ともに暗い。また、重要な技術的変化は、写真技術の発達とともに、経済上の生産技術における重要度も、手から目へとシフトした点にある。そこに、「煌びやかで時間を浪費する女性」を所有する男性というヴェブレン的事態が重なり、「見られる女性」という視点が発生したのである。</p>]]></description>
<link>http://www.mode21.com/column/002915.html</link>
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<category>モードについて</category>
<pubDate>Wed, 27 Dec 2006 18:47:46 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>繊維 - 化学繊維の種類</title>
<description><![CDATA[<p><img src="002909rayon.jpg" alt="レーヨン">天然繊維に対し、人工の繊維をいう。大きく３種がある。</p>

<p>高分子化合物でもそのまま紡績することが不可能なもの（<strong>再生繊維</strong>）や、低分子化合物を高分子化合物に変化させたもの（<strong>合成繊維</strong>）などがある。また、高分子化合物を化学反応させて別物にした繊維（<strong>半合成繊維</strong>）も含まれる。<br />
<br><ol><br />
<li>再生繊維<ul><li>セルロース系（植物繊維系）</li> <ul><li>レーヨン</li> <li>ポリノシック…タフセル、ジュンロン、マリード</li> <li>キュプラ…ベンベルグ</li> <li>リヨセル</li></ul></ul> <ul><li>タンパク質系（動物繊維系）</li></ul> </ul></li><br />
<li>半合成繊維<ul><li>セルロース系（植物繊維系）</li> <ul><li>アセテート…アセテート、カロラン、リンダ</li> <li>トリアセテート…ソアロン</li></ul></ul><ul><li>タンパク質系（動物繊維系）</li> <ul><li>プロミックス…シノン</li></ul> </ul></li><br />
<li>合成繊維<ul><li>ナイロン…ナイロン、レオナ、プロミラン</li> <li>ポリエステル…テトロン、エステル、ソルーナ</li> <li>ポリウレタン…フジボウスパンデックス、エスパ、オペロン、ロイカ、モビロン、ルーベル</li> <li>ポリプロピレン</li> <li>ポリ塩化ビニール…テビロン</li> <li>ビニリデン…クレハロン、サラン</li> <li>ビニロン…ビニロン、ビロン</li> <li>ポリクラール…コーデラン</li> <li>アクリル…エクスラン、ピューロン、カシミロン、ボンネル、トレロン、ベスロン</li> <li>アクリル系…カネカロン</li> </ul><br />
</ol></p>]]></description>
<link>http://www.mode21.com/column/002910.html</link>
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<category>素材・服地の基本</category>
<pubDate>Mon, 25 Dec 2006 18:59:32 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>繊維 - 天然繊維の種類</title>
<description><![CDATA[<p>服地に使われる天然繊維には、大きく分けて、<strong>綿・麻・絹・毛</strong>の４種があり、前者２種は<strong>植物繊維</strong>、後者２種は<strong>動物繊維</strong>である。</p>

<p>４種の天然繊維は、様々な属性から、以下のように細分化することができる。</p>

<p><strong>植物繊維（セルロース）</strong><br />
<ol><li>種子毛繊維</li><ul><li>棉花（綿花；コットン；cotton）…エジプト綿、海島綿、スーピマ綿、ピマ綿、ペルー綿、インド綿、米綿</li><li>カポック綿</li><li>パンヤ</li></ul><li>靭皮繊維<ul><li>亜麻（リネン、フラックス）</li><li>苧麻（ラミー）</li><li>大麻（ヘンプ；hemp）</li><li>黄麻（ジュート）</li></li></ul></ol></p>

<p><strong>動物繊維（タンパク質繊維）</strong><br />
<ol><li>絹（シルク；silk）<ul><li>家産絹（かさんけん）</li><li>野産絹（やさんけん）…柞蚕絹、山繭絹</li></li></ul><li>羊毛（ウール；wool）<ul><li>イギリス羊毛</li><li>メリノウール</li><li>クロスブレッド</li></li></ul><li>獣毛 - たくさんあり、以下は著名なもの<ul><li>カシミア（カシミヤ）</li><li>モヘア</li><li>キャメル</li><li>アルパカ毛</li><li>ビキューナ毛</li><li>アンゴラ兔毛</li><li>ラクダ</li><li>アルパカ</li></li></ul></ol></p>

<p><br />
<img src="002909cotton.jpg" alt="綿（コットン）"><br />
<img src="002909silk.jpg" alt="絹（シルク）"><br />
<img src="002909hemp.jpg" alt="麻（ヘンプ）"><br />
<img src="002909wool.jpg" alt="毛（ウール）"></p>

<p>※左から、綿、絹、麻、毛。</p>

<p></p>

<p>さらに、<strong>麻</strong>の場合は、上記の<strong>靭皮繊維</strong>以外に、<strong>葉脈繊維</strong>として、マニラ麻・サイザル麻・ニュージーランド麻なども含まれる。また、コイヤなどの果実繊維や、アットゥーシ（厚司という袢纏の原型）に使われる樹皮繊維などもある。</p>

<p><strong>獣毛</strong>の場合も上記以外にもたくさんの繊維が存在する。例えば<strong>羊毛</strong>では、メリノ・ウール、リンカーン・ウール、シェトランド・ウール、サウスダウン・ウール、シロップシャー・ウール、レスター・ウール、ロンニー・ウール、マーシュ・ウール、チェビオット・ウール、タスマニア・ウール、ボタニー・ウール、サキソニー・ウールなど。<strong>羽毛</strong>では、ガチョウ、アヒルなど。</p>]]></description>
<link>http://www.mode21.com/column/002909.html</link>
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<category>素材・服地の基本</category>
<pubDate>Mon, 25 Dec 2006 15:28:16 +0900</pubDate>
</item>


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