裁縫熟練者の「手」について
裁縫(仕立)の場合、ミシンや手縫いのような一見「魔法」にみえる「異様な」技術は、「手」そのものの魔法として描かれることがある。
フランスの映画監督パトリス・ルコントは『仕立て屋の恋』(1989年、フランス)において、手をかざすだけで少女の頭痛を治す術をミシェル・ブラン扮するベテランの仕立屋に託している(パトリス・ルコント『仕立屋の恋』Patrice Leconte、原題:MONSIEUR HIRE、フランス、1989年)。
ルコントの場合、男性は女性に献身的な愛を捧げる者として描かれることが多いが、中華圏映画に目を転じると、おそらく20世紀中葉と思われる同じ仕立屋でも、随分と印象が異なる。
ウォン・カーウァイ『若き仕立屋の恋』(王家衛、原題:手、中国、2005年)の場合、注文生産・見込生産ともに扱う裁縫業者に勤務する20代男性が主人公であり、彼は新米の徒弟段階にいるのが前提となっている。
主演のチャン・チェン(張震)は、コン・リー(鞏俐)扮する特定娼婦のメジャー採寸から手縫い・ミシン縫製にいたるまでを製作を担当するし、この工程と納品とを繰り返す間に、男女として「縫合」し、最終的には娼婦の結核により無惨に関係が「裁断」される展開で幕を閉じる。
裁縫は、恋愛と同様、縫合よりも裁断こそが職人芸である。もっとも、裁縫工程では「裁断→縫製(縫合)」となるが、恋愛は「縫合→裁断」となる順序の違いはある。なお、裁断工程は織物を幾重にも重ねて行なったようで、その意味では男性向けともいえる。しかし、この作品では、裁断は病気という外在的要因によって強制的に導入されており、男女双方ともに痛みを伴った、型紙なき裁断であった。
