愛の世紀

遊民(岩本真一)
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ジャン・リュック・ゴダール『愛の世紀』2001年、フランス・スイス

をテーマに、歴史とは何かを問いかける。

恋愛については定番4点、すなわち、出逢い・肉体的関係・別れ・再会のテーマを取り上げており、それを記憶の問題や戦争の問題と結びつけることで、出演者たちは自分の歴史認識を手探りで探している。

また、世代のテーマにおいても感慨深い問題が投げられている。普通、私たちは子供から大人に変化することを「成長」とよぶが、ゴダールはその発想を拒み、人間のなかではっきりとしている世代は子供と老人だけであって、大人という存在は不明瞭なものだと論じている

また、戦争の問題では、アメリカ合衆国はもちろんのこと、ヨーロッパ諸国の内戦や侵略などが随所に「記憶」として蘇ってくる展開がみられ、「裁きなくして平和なし」、「我々は無力だ」といった威力ある台詞がラッシュのように迫ってくる。この作品からは、アメリカ合衆国がヨーロッパ諸国の人々の記憶形成や歴史形成に役だった点や傷を付けた点が匂わされているが、それは逆に、合衆国と、その国民自体に歴史や記憶は形成されたことがないという皮肉でもある。
戦争犯罪と人道に対する罪を裁くことは不可欠で基本であり、実行されるべきだ。記憶や普遍性のない地にレジスタンスはない。


また、資本主義諸国が宗教(キリスト教)という人道的な救済の道具を用いて侵略や占領を行なってきた事実に対し、ゴダールは次のように批判する。
技術(テクノロジー)が歴史を変化させたのは奇妙だ。政治も福音書で変わるかね。教会は時代と歩む。物資補給が困難な諸国を進軍する。兵隊たちのように。いかにして教会は神の正当な継承者 貧者へ、来世の王国を譲るのか考えもしない、真実とは悲しいものか。


服飾史にキリスト教を重ねると、日本における洋裁普及で最初に宣教師たちが果たした役割が想起される。その後の日本史はキリスト教色が薄らいだが、日本列島に住む人間たちは、果たして小袖を守り育むことができたか?

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このページは、遊民(岩本真一)2011年3月28日 19:26に書いたブログ記事です。

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