ミシンの特徴 1 : 高度な設置自由度

他の多くの製造機械または生産財と違って、ミシンの特徴には大きく分けて3点が挙げられます。この3点は、高度な設置自由度、簡便性、広い用途です。これらの特徴は旋盤に似ています。もちろん、機能の複雑さはミシンの方が多岐にわたります。また、情報取扱の面でいえば現代のパーソナル・コンピュータ(PC)にも似ています。

この3点について、1ページずつに分割して説明します。出典は岩本真一『ミシンと衣服の経済史』思文閣出版、2014年、19~28頁で、同著本文を元に、分かりやすく説明を加えました。[当サイト内紹介ページへ][思文閣出版のページへ][amazonへ]

〈1〉小型性

ミシンは、手廻式、足踏式、電動式の動力区別を問わず、工場だけでなく家にも設置可能です。それは小型だからです。裁縫は、予め設計されている衣服形態を念頭に、布(cloth)を裁断した後に縫合する作業で、各部分に裁断された小布を縫合するため、衣服の英語の一つである「clothes」は布の複数形となっています。縫製作業が動作の小さい点は小型というミシンの特徴を裏付けています。

上の写真は妻のアトリエです(といっても自宅内♪)。手前が本縫ミシン、後がロック・ミシンです。いずれも職業用ミシンで、家では工業用ミシンは震動・騒音が心配、家庭用ミシンでは本格的には作れません(故障も多いと聞きます)。その間が職業用ミシンです。

〈2〉分散性

20世紀前半にミシンは主に家に設置され、家事労働および家内労働に多用されました。家が委託業者と契約し有償労働に従事すれば分散型生産組織の分枝となります。力織機が家で利用される場合は賃織が目的とされ、手織機の場合は賃織または家事労働が目的と考えられます。この意味ではミシンは手織機と近しく、賃縫または家事労働に利用されました。また、ミシンは同一機種が工場と家のいずれにも設置される場合が一般的でした。

足踏式ミシンのような据え置き型であろうと、手廻式ミシンや電動式ミシンのような持ち運び型であろうと、重量や大きさの違いは存在しても、ミシンは家にも工場にも広く設置されたのですから本質的な区別は存在しません。「ミシンの特徴(2)簡便性」で示すようにミシンは産業横断的に利用され、その意味での分散性も有しました。

次の図は、経済史という学問分野で長年にわたって触れられてきた生産組織の分散型と集中型をかなり簡単にしたものです。

生産組織の分散型と集中型

生産組織の分散型と集中型

1つ目の問屋を頂点とした生産組織は分散型生産組織と呼ばれ、問屋と契約した家(図では周辺家)に原材料が渡され(織機やミシンなどの生産財を持っていない場合はこれらも貸与され)、加工します。出来高払いで各家は問屋から給料を貰います。問屋自体が製造・加工を行なっていれば、その問屋は当然にも工場と呼びます。しかし、1990年代からの経済史研究は、それまで工場制に注目したマルクス主義に対抗するために、やたらとこれを問屋制生産組織と呼んできたため(工場制と認めない)、非常に混乱を招いてきました。もちろん、問屋が生産に関与していなければ問屋で構いませんが。

2つ目の工場を頂点とした生産組織は集中型生産組織と呼ばれ、周辺家の住民が工場へ通勤し、工場で用意された原材料や生産財を用いて加工します。近代(19世紀中期~20世紀中期)の日本では出来高払いが多く、戦後は概ね固定賃金へ移行しました。この生産組織は、かつて工場制と呼ばれたものです。マルクス主義は、こちらの生産組織の強調し過ぎたために、1990年代以降の経済史研究を停滞させました。

それはさておき、ミシンは、分散型生産組織にも集中型生産組織にも通用します。アパレル工場(縫製工場)の移転が他産業・他部門に比べて容易なのも、小型性に分散性が加わった独特の特徴を持っています。これまで研究報告した際に、しばしば《ここまで述べた特徴は織機にも通用するではないか、戦前日本では織機を持った農家が問屋から仕事を貰っていたじゃないか》と指摘されたことがあります。しかし、次に示す機動性という特徴は織機には有りません。

〈3〉機動性

小型性と分散性は、ミシンに機動性という特徴を与えます。まず、軍事面の機動性が挙げられます。日本帝国の場合、軍服生産を担った東京陸軍被服本廠・大阪支廠・広島支廠にミシンは集中的に設置されていました。他方で日中戦争やアジア太平洋戦争では戦況が激化するにつれ、東京本廠から各部隊へミシンが追送されました。

Craftsman A R Bennett uses a Singer sewing machine to make canvas bags

電気技師A R ベネットがシンガーミシンを使って粗布袋を作っている。Craftsman A R Bennett uses a Singer sewing machine to make canvas bags via Craftsman A R Bennett uses a Singer sewing machine to make… | Flickr

上に紹介したのは、ミシン縫製工がキャンバス・バッグを作っている様子です。周囲にテントが張られているので戦地での様子を示す写真だと思われます。転載元の説明文によりますと、この男性(A. R. Bennett)はオーストラリアの電気機械技術者で、彼ら技術者集団がミシン縫製工として招聘され、シンガー社等のミシンを用いてバッグ製造に従事したということです。写真は1944年5月にオーストラリアのクイーンズランド(Queensland)で撮影されたものです(Craftsman A R Bennett uses a Singer sewing machine to make… | Flickr)。ミシンはどこにでも運ばれます(笑)。およそ戦場では手廻式ミシンが使われることが多かったのですが、この写真はケーブルが使われているので、電動ミシンかと思います。

さて、アジア歴史資料センター(JACAR)の史料によりますと、「密ミ シン針追送に関する件」(1)からは、1940年9 月に「陸軍被服廠」から「北支那野戦貨物廠」へ「縫工用普通密針」250台と「装工用自在密針」50台を「覆共」に追送することが決定されたことがわかります。ミシンの覆いも同数が請求されていることから、「野戦貨物廠」到着後に、布で覆われたミシンは各部隊へ供与されたのでしょう(2)。

次に、少人数・小資本で比較的容易に始められるという製造面(産業面)の機動性が挙げられます。戦前には「独立開業すると云つても表通りに店を構えなければ開業の費用はミシン代120、130円と其の他器具で合計200円もあれば足りる」(3) といわれていました。上に掲げた図 からは、終戦直後の1945~47年の3 年間は「裁縫製品」の従業者数が最も多いことがわかります。「ミシンは価格が低廉であるばかりでなく、その据付けも簡単であるところから短期間に相当数の増加を示し」(4) たと指摘される通りです。衣服産業は、戦後復興において他の繊維諸部門に比べいち早く、また戦前期の規模で工場を再開させたのである。これも製造面の機動性を示すものです。

戦時期・復興期の女工数推移(1937~49年) via 岩本真一『ミシンと衣服の経済史―地球規模経済と家内生産―』思文閣出版、2014年7月、20頁[amazonへ]

  1. JACAR(アジア歴史資料センター),Ref. C01003336500,昭和15年「陸支密大日記第26号4 / 4 」(防衛省防衛研究所)。[JACARへ]
  2. いくつか事例が確認されます。1919年のシベリア出兵に際し、第14師団長は「縫工用手密針十台」を「陸軍東京経理部」に交付依頼を行ないました(JACAR,Ref.C07060690800,縫工用手密針交付の件(防衛省防衛研究所))。手廻式は小型で軽量であり,足踏式に利用されるベルトの切断を回避するなど、消耗品部分を極力利用しないという意図があります。なお、戦時における軍服修理班の重要性、および軍服移送の困難さについては以下を参照下さい。金正柱・韓国史料研究所編『朝鮮統治史料第2 巻 間島出兵』宗高書房,1970年,32・147・148・182・183頁[amazonへ]。
  3. 東京職業研究所編『現代生活職業の研究―一名・最新職業案内―』東京職業研究所、1923年、155頁。その他の案内書でも、ミシン単価および準備費用は概ね200円との記述が散見されますが、その購入の是非をめぐっては見解が分かれます。例を挙げますと、高価なので直ぐには仕事に取り掛かれないが月賦販売による購入と裁縫学校からの技術伝授によって就業できるとみるのが、木下幹編『婦人も働け』(日本評論社出版部、1919年、63~75頁)。逆に、ミシンが高価なうえ騒音が大きいのでほとんど推奨しないと否定するのが、日本職業調査会編『女が自活するには』(周文堂、1923年)です。また、ミシン購入について何も述べていないものに、石井研堂『独立自営営業開始案内 第4 編』(博文館、1913年、72~86頁)。
  4. 日本繊維協議会編『日本繊維産業史 各論篇』928頁。
広告

この記事の面白かった所や難しかった所を教えて下さい。