セシル・ビートン : Cecil Beaton 写真家 & デザイナー

: 概説

セシル・ビートン Cecil Beaton はイギリスの写真家、ファッション・デザイナーです(1904-1980) 。1922年、セシル・ビートンはケンブリッジ大学のセントジョンズ・カレッジに入学しましたが、学術にほとんど関心をもたず、写真と演劇のデザインに注力しました。1925年に学位を取得しないまま学校を去り、木材商人の父親の手伝いとして働きました。

セシル・ビートン 第2次世界大戦中に中国にいました。

セシル・ビートンは第2次世界大戦中に中国にいました。 via Cecil Beaton – Wikipedia

写真家として

その傍らで、セシル・ビートンは写真に興味を持ち、「ブライト・ヤング・シングス Bright young things 誌の編集者に写真を送り続けていましたが、同誌との契約が切れると同時に、ロンドンの放浪者となりました。最終的に1920年代の間に「ヴァニティ・フェア」誌 Vanity Fair と「ヴォーグ」誌 Vogue の写真家に雇われ、珍しい背景にポーズをしたモデルを重ねる独特のスタイルを編み出しました。それ以来、第2次世界大戦前から戦後にかけて衣装写真や肖像写真を多く写しました。また、セシル・ビートンは1930年に美容誌を出版し、1937年ウィンザー公とウォリス・ウォーフィールドの結婚式を撮影し、1953年にエリザベス女王の戴冠式を撮影しました。

第2次世界大戦中、セシル・ビートンは、イギリス、アフリカ、中東で英国情報省のために戦闘を記録しました。彼の有名な写真、3歳の空襲犠牲者 アイリーン・ダン Eileen Dunne を捉えた写真は 「ライフ」誌のカバーを飾りました。

 空襲被災者 アイリーン・ダン セシル・ビートン撮影、『ライフ』誌、1940年9月号

空襲被災者 アイリーン・ダン セシル・ビートン撮影、『ライフ』誌、1940年9月号. Air-Raid Victim via Cecil Beaton’s Portrait of 3-Year-Old Eileen Dunne, the Blitz, 1940 | Time.com

映画衣装デザイナーとして

1941年から、セシル・ビートンは重要な映画で衣装デザイナーとしても働きました。終戦後、彼は富裕の有名人の撮影を再開しましたが、衣装とデザインのための情熱を育むために多くの時間を費やしました。特に、「マイ・フェアレディ」 My Fair Lady には舞台と映画の両方で衣装を担当しました。セシル・ビートンは、映画衣装の分野で非常に熟達していることを証明しました。この映画では、エレナー・アビー Eleanor Abbey がアシスタントを勤めました。セシル・ビートンは映画「マイ・フェアレディ」のために1,816点もの衣装をデザインしました。

セシル・ビートンがブロードウェイ・ミュージカル「マイ・フェア・レディ」用にデザインした衣装を着る女優オードリー・ヘップバーン(セシル・ビートン撮影)。

ブロードウェイ・ミュージカル「マイ・フェア・レディ」用に セシル・ビートンがデザインした衣装を着る女優オードリー・ヘップバーン(セシル・ビートン撮影)。 via 1963: Actress Audrey Hepburn wearing costume designed by Cecil Beaton for the Broadway musical ‘My Fair Lady’. (Photo by Cecil Beaton) via 1964, My Fair Lady: Film, Genres | The Red List

以上、セシル・ビートンは写真家として、映画衣装デザイナーとして、ハリウッドを拠点に大活躍しましたが、たった一つ後悔したことがあると言います。それは、グレタ・ガルボの衣装をデザインしたことが無いということでした。セシル・ビートンは、ギルバート・エイドリアンとともに数少ないガルボの友人でありながらも、「桜の園」などでガルボの復活が囁かれながら実現しませんでした。

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