ジャン・パトゥ:Jean Patou

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(1)用語解説・歴史など

1920年〜30年代に活躍したジャズ・エイジを代表する、フランスの有力なクチェリエ。

1888年、フランス、ノルマンディーのバスタ地方で、皮革商の息子として生まれる。

伯父が経営する毛皮店を手伝っていたが、1910年にパリに渡り、自分で毛皮とドレスを扱う小さな婦人服店「パリ」を開く。12年に、紳士服部門を設置し、略礼服のスモーキングなど、活動的な正装を生みだし、アメリカのバイヤーから爆発的な人気を得て、時には一人のバイヤーがコレクションのすべてを買付けるという幸運に恵まれた(1914年)こともあった。

大尉として第1次世界大戦に従軍した後、19年、パリのサンフロランタン街の由緒ある館のサロンを借り、翌20年春、「ジャン・パトゥ」の名で店をオープン。24年訪米の最、6人のアメリカ女性を連れ帰ってマヌカンに育て上げて話題を呼んだ。

29年秋、ヘム・ラインを一挙に床上20cmまで落とし、ウェストを復活させ、30年代のモードの先鞭をつけた。広いメゾン内には、縫製のアトリエ、刺繍、織物、染色、毛皮の作業場を設け、創作・製作機関を集中。今日のショーのリハーサルや、プレス・ショーの先例を開いた。

クチュールの素養がなかったとはいえ、マヌカンの肩に布地を掛け、ドレープさせながら即興的に衣裳を作るという魔術師的な才能があった。

デザインは、シンプルさとエレガンスが特徴で、当時の装飾芸術様式、アール・デコにきわめて調和するもの。また、同時に「女らしい女」(Real Woman)に、最も似つかわしい服でもあった。徹底したビジネスマンとしての面を持ち、アメリカ流経営理念のもとにクチュール・ハウスを発展させた。

シャネルの場合、ローウェストのギャルソンヌ・ルックだが、先に触れたとおり、パトゥは、同じギャルソンヌ・ルックに類せられつつも、スカート丈をくるぶしまで伸はし、ナチュラルなウェストラインを復活させた。また、スポーツウェア、リゾート・ウェアに新しい面を切り開いたことでも知られ、ビアリッツ・ルックや当時の人気テニス選手スザンヌ・ランランのためのテニス・ルックなども手がけた。

ビジネスに結びつけたショーマンシップは有名で、コレクションを初めて夜間に開いたことでも有名。顧客にシャンペンを振舞ったり、店内にカクテル・バーを設けたり、発表したファンシーなドレスを売るのに、舞踏会を開いて顧客と一緒にダンスに興じた。また、そんな催し好きなアメリカの顧客を特に大切にした。

36年、49歳の若さで死没。メゾンは、義兄のレイモン・バルバスが経営面を引き継ぎ、創作面では、マルク・ボアン(54〜58)、ミシェル・ゴーマ、カール・ラガーフェルド(58〜63春)、アンジェロ・タルラッチ(73春〜76秋)、クリスチャン・ラクロワ、フィリピン人のロイ・ゴンザレス(77年春〜)などが専属デザイナーとして活躍した。美しい瓶に入った香水「ジョイ」(Joy)と「アムール・アムール」(Amour-Amour)も有名。

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