ジョン・ガリアーノ:John Galliano

このページでは ジョン・ガリアーノ について(1)用語解説・歴史(2)関連情報(サイト内記事、リンク、商品紹介)などを掲載しています。

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(1)用語解説・歴史など

1960年、イギリス領ジブラルタル生まれ。クリスチャン・ディオールの主任デザイナー。服飾史や異国趣味をアバンギャルドに読み替える華麗な世紀末的作風が中心。また、クチュール的な技術の高さや博物館・図書館での徹底的な調査にも定評がある。

6歳でロンドンへ移った後、名門セント・マーチンズ・カレッジ・オブ・アートを卒業。卒業作品は大きく注目され、、当時、サウス・モルトン・ストリートのブティック「ブラウンズ」のジョーン・バーンスタイン(Joan Burstein)が飛びつき、ガリアーノと5年間の契約を結ぶ。当時のヴォーグ誌のコラムは「ロマン主義と心理主義の得意な流行衣装の請負人」としてガリアーノを賞賛している。

卒業後のガリアーノは、現代という枠組みのなかで歴史的な影響を受けたデザインを数多く生みだし、84年にロンドンで独立。85年秋冬ロンドン・コレクションでデビュー。デリケートなバイアス・カットガウンと、見事なオーダーメイド・スーツは、いち早く人気を博した。この「恐るべき子供」と評されたロンドン時代を経て、90年以降はパリで活躍。

パリでは、まず、モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン(LVMH)で活躍した後、95年に、引退したジバンシィの後継者として主要デザイナーに任命され、96年からはクリスチャン・ディオールも手がける。翌97年の1月20日、クリスチャン・ディオールの50周年記念で、ガリアーノは、ディオールのための最初のショーを披露した。以降、ディオールの主要デザイナーとして活動し、プレタ部門の売上げを驚異的にのばしている。

80年代に、モード界は、身体の輪郭をかたどる方向へと向かっていた。胸衣は、その流れで注目されたものの一つであるが、なかでもブラシエールをはじめとして、ボレル、ジレ、ビュスチェ、デバルドゥールなどのアイテムやディテールが数多く表現された。87年春夏のウィメンズ・コレクションでガリアーノがみせたのは、フランス語で婦人の胸衣や子供用の袖付き胸衣をさすブラジエールであった(英語のブラジャーの語源となったが、形態は異なる)。

ガリアーノの80年代は、実に挑戦的である。イノセントなイメージのあるエンパイア・シルエットのドレスや、エコリエとよばれる子供っぽい服装、さらには、テイラード・スーツに派生した括弧付きのタイユールなどは、ガリアーノの特徴を如実に示している。

80年代後半以降の作品をざっと追ってみよう。86年春夏では、水に濡れたオフェーリア風の少女ルック、86〜87年秋冬にイノセント・ルックなど、この時期は、ラファエル前派の影響がみられる。88年になると、ハイ・ウェストのシルエットをつくるためにボレロを使用し、89〜90年秋冬では、ポワレからヒントを得たようなコレクションを披露した。89年秋冬ロンドンではチュニック、また80年代後半にはデコルテに薄いスカーフ(フィシュー)をかけた作品も出ている。90年代になると、まず、90年春夏パリ・コレクションでブリジッド・バルドー(50・60年代のセックスシンボル)を意識したドレス、93年春夏パリ・コレクションでは、底の厚い木製のサボサンダルなどを発表した。

このように、ガリアーノは、ミスマッチ、前衛的、歴史主義といったキーワードによく引っかかる作品を提出してきた。退廃的・挑戦的な発表方法もまた、常に話題となっている。イギリスの「Designer of the year」には、1987、94年、95年、97年に受賞。そのうち、97年の受賞は、アレクサンダー・マックィーン(ジバンシィの後継者)と賞を分かち合っている。

(2)関連情報

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