エルザ・スキャパレリ:Elsa Schiaparelli
このページでは エルザ・スキャパレリ について(1)用語解説・歴史(2)関連情報(サイト内記事、リンク、商品紹介)などを掲載しています。
(1)用語解説・歴史など
通称スキャップ。1930〜40年代にシャネルとともにパリのオートクチュール界の女帝として君臨した、最も創作力ある個性的なモード界のシュルレアリスト。
1890年、ローマ生まれのイタリア人。父は東洋語学者、叔父は天文学者、従兄は考古学者というアカデミックな名門の家柄。少女期に音楽・絵画・衣装デザインに熱中し、18歳で結婚しニューヨークへ渡ったが間もなく離婚。第1次世界大戦後に娘とパリへ移住。
第1次大戦後のスポーツウェア、カジュアルウェアの流行のなか、1928年リュ・ド・ラ・ペ通りにスポーツ服専門店「プル・ル・スポール」を設立。ゴルフ、テニス、水着などのスポーツウェアに新たなアイデアを駆使し、当時の『ヴォーグ』誌をにぎわした。同時に、「トロンプ・ルイユ」をはじめとした黒や白のセーター、紳士用色物ネクタイ、首や腰に巻く派手な色のハンカチーフなどでも成功。35年にはニット部門とドレス部門を創設し、ヴァンドーム広場のホテル・リッツの隣にメゾン「スキャパレリ」を開店。この頃、「ギャルソンヌ・ルック」に対抗し、20年代モードへの回帰を計画。肩をパットで強調し、バストを回復、ウェストを自然な位置においたクラシックなラインを提唱した。この時期、シュルレアリストのサルバドール・ダリ、ジャン・コクトー、マン・レイ、彫刻家のジャコメッティたちとの交流を深め、アートとファッションの融合を図る。
第2次大戦中はニューヨークに難をさけたが、45年にパリの店を再開しセパレーツを導入。しかし、デザインがますます独自なものになったためか、54年のショーを最後に『ショッキング・ライフ』を出版すると同時に閉店・引退。73年パリで死去。ブティックは引き継がれトルソー型の瓶で有名な「ショッキング」という香水などモード関連商品が販売された。77年春にセルジュ・ルパージュをクチュリエとしてオート・クチュール組合に復帰。
彼女の大胆なデザイン手法は、「骸骨セーター」「机の引き出しポケットのスーツ」「ショッキング・ピンク」「オマールえびとパセリのイヴニングドレス」「靴帽子」「ブランコ乗りのボタン」などの作品で知られ、シュルレアリストたちの影響が大きい。パリよりもむしろ刺激を求めるアメリカ女性のあいだで人気が高く、アメリカで仕事をした時期もあった。上記以外の主要作品は、戦後の日本でも流行したいかり肩のブロード・ショルダー、ショッキング・パフュームといわれた人体型の容器に入れた香水など、常識に挑戦する卓抜なアイディアで評価を高めた。また、ファスナーをオート・クチュールに初めて導入し、セロファンの服を作り、透明なプラスチックのコートを発表するなど、素材も斬新である。
スキャパレリのメゾンで働いていたデザイナーには、ピエール・カルダン、ジヴァンシーらがいる。
(2)関連情報
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