カルバン・クライン:Calvin Klein

このページでは カルバン・クライン について(1)用語解説・歴史(2)関連情報(サイト内記事、リンク、商品紹介)などを掲載しています。

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(1)用語解説・歴史など

アメリカのプレタ・ポルテの代表的デザイナー。
1943年にニューヨークのブロンクスにヨーロッパ人の移民として生まれる。クラインは5歳の頃から服飾デザイナーに関心があったといわれる。

ニューヨークのマンハッタン・ハイスクールを62年に卒業し、ファッション工科大学(FIT)へ進学。大学卒業後は、ダン・ミルシュタイン・ハウス・オブ・デザインで勤務。この頃、ある週末に、父が経営する食料品店で食べ物を袋に入れているとき、偶然に「ファミリー・サークル」誌を拾い、自分がデザインしたことのある女性のコートが掲載されているのを発見した。

これに喚起されてか、その後コートとスーツのメーカなどを経て、68年、友人バリー・シュワルツと2人で自社カルバン・クライン社を設立。このとき、シュワルツの父から1万ドルを借金し、女性用コートを中心とした既製服事業からスタート。当初のラインは3着のドレスと6点のコートだけであった(バリー・シュワルツは現カルバン・クライン社長)。

ブティックは、セブンス・アベニューのヨーク・ホテルの小さな店であったが、ある日、このホテルで、ボンウィット・テーラー百貨店の商品部長(マーチャンダイザー)ドン・ポブライエンが間違って6階に降り、彼のコート・ラインを目にしたのが成功の始まりである。この件で、カルバン・クラインはボンウィット・テーラー百貨店から5万ドルのオーダーを受けている。

70年代になるとクラインは多角経営に乗り出す。72年にスポーツウェア部門を設置し、同年3月には、化粧品・香水の会社を設立、写真家アーヴィング・ペンとのキャンペーンにも成功した。70年代後半以降は、ジーンズや下着なども手がける。とくにジーンズの広告キャンペーンではブルック・シールズを起用し反響を呼んだ。70年代から80年代にかけては、クラインの押し出すセクシャルな広告が常に議論を巻き起こしている。75年には伊勢丹からアメリカ人デザイナーの第1号として彼の作品が日本で発売された。

80年代中期以降、カルバン・クライン社はコレクションのサンプルや使用素材などをカンザス州立大学へ寄付するなど、文化事業に対しても精力的な活躍を開始。また、1995年には、ヨーロッパで最初のカルバン・クライン・コレクションを開催した。

天然繊維を好むクラインの作風はアメリカン・トラディショナルをベースにしたカジュアルなもの。セパレーツの妙味を落ち着いた基本的なデザインでまとめ、シンプルさと着やすさにあふれた、ヨーロッパにはない機能性をもっている。さらに近年の作風は、よりシンプルで洗練されたものとなってきている。よりファッショナブルなヤング向けブランド「CK」も人気がある。

コティ・アメリカ・ファッション批評家賞を4度受賞(78年2月までに既製服部門では最年少の受賞であった)。「ファッションの殿堂」入りも果たし、83年にカウンシル賞を受賞し、93年にはアメリカ・ファッション・デザイナー協会のメンズ部門、レディス部門の年間最優秀デザイナー賞を同時に受賞。

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