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ヴィヴィアン・ウェストウッド:Vivienne Westwood

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1941年、イギリスのダービーシャー州生まれ。

教職の道を志したが、後にパンク・ロックのバンド「セックス・ピストルズ」をプロデュースすることになるマルコム・マクラーレンと知り合い、影響を受ける。

71年、マルコムとともに、ロンドンのキングスロード430番地に、「レット・イット・ロック」という伝説的なブティックを開店。パンク・ロック、ヒッピー、ストリート・ファッションなどを取り入れた。例えば、ボンデージ・ルックや鳥の骨が鎖で取り付けられたTシャツなど、エキセントリックで挑発的な作品が多い。これを機に、ロック・ミュージシャンを中心に顧客が広がり、ロンドンの若者たちの熱狂的な支持を得る。

70年代半ばのパンク・ロックの出現とともに、「トゥ・ファスト・トゥ・リブ・トゥ・ヤング・トゥ・ダイ」(72年)、「セックス」(74年)、「セディショナリーズ」(76年)といった名の過激な新作を続々と発表し、ロンドンのパンク・シーンをリード。新作発表に合わせて、必ず店名や内装を変えたことは有名。

81年には、マルコム・マクラーレンから独立し、店名を「ワールズ・エンド」に変更。現在でもキングスロード430番街の店名はこのままである。同年ロンドンでの初コレクションでは、パイレーツ・ルックを発表し、「アヴァンギャルドの女王」と称され反響を呼んだ。その後のボロ・ルックなども含め、アンチ・モードの旗手として活躍(同じようなスタンスに川久保玲や山本耀司ら)。

82年にパリへ進出し、86年に独立してコレクションを発表。84年秋には、ジャンフランコ・フェレ、カルバン・クライン、クロード・モンタナ、森英恵の4名とともに、「ザ・ベスト・オブ・ファイブ」という東京でのアウォードに選ばれ、コレクションを発表している。

この頃には、パンク・ロックも退潮しており、ウエストウッドの作品は、どんどんゴージャスになり、伝統への回帰がみられるようになる。もっとも、作風は、伝統的なブリティッシュ感覚や歴史服をヒントにしつつも、旧来の用法や意味を修正するような前衛的なものが多くなった。86年春夏の人形ルック(ロリータ、ベビー・ドールがテーマ)、ミニクリ(ルダンゴトの下からミニのクリノリンを穿かせた)、87~88年秋冬のパニエ、90年代初めの厚底靴(プラットフォーム・シューズ)などが、その代表例。

91年1月には、クリスチャン・ラクロワ、アイザック・ミザリ、フランシスコ・モスキーノとともに、ファッションサミットへ参加。再び東京でコレクションを発表した。96年からは、ミラノコレクションへ参加。同年9月には、日本初の旗艦店「ヴィヴィアン・ウエストウッド東京」を日比谷にオープン。99年には、ニューヨークで、プレス・ショールーム兼用の旗艦店をオープン。以後、旗艦店は、2001年に、モスクワ・韓国・ミラノと、続々開店することとなる。90年代の作風には、ユニセックスというテーマもみられた。

現在、ヴィヴィアン・ウエストウッドには、パリで発表される「ゴールドレーベル」、プレタポルテの「レッドレーベル」、カジュアルラインの「アングロマニア」、メンズライン「マン」、フレグランス「ブードワール」、2001年1月発表の「リバティン」がある。

90年・91年「ブリティッシュ・デザイナー・オブ・ザ・イヤー」の最優秀デザイナーに選出。92年、大英帝国勲章受賞。89~91年ウィーン応用美術学院教授も務める(ファッション専攻)。93年以降は、ベルリン芸術大学教授(ファッション専攻)。

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