パコ・ラバンヌ:Paco Rabanne
1934年、スペイン北東部、フランス国境に近いバスク地方のサン・セバスチャンに生まれた未来派デザイナー。本名は、フランシスコ・ラバネダ・イ・クエルボ。
父は軍人で、ラバンヌが2歳だった36年にスペイン内乱が勃発し、独裁者フランコの軍団を敵に回し、共和国政府軍の指揮官として各地を転戦。家族も父親の舞台と行動を共にし、ピカソの大作に刻み込まれたゲルニカの空爆にも遭遇。共和国政府軍の敗北によって父親は逮捕後に銃殺され、5歳の時に一家でフランスのブリュターニュ地方へ亡命。
パリの国立美術学校(エコール・デ・ボーザール)で建築学を専攻したが、母が50年代にバレンシアガのプルミエール(縫製係=お針子)のチーフをしていたことから服飾品に興味を示すようになった。
在学中からアクセサリーやボタンなどのデザインも手がけ、卒業後はバレンシアガ、ディオール、ジバンシー、シャネル、シャルル・ジョルダン(靴)などのメゾンに作品を納入し、オート・クチュールの世界に触れていった。
この間、63年に近代美術館に出品した「庭園用の居住可能な彫刻」でビエンナーレ賞を受賞。後に衣裳制作も手がけ、プラスチック、金属、アルミ箔、鎖などを応用した服飾デザインに興味もち始めたこともあって、64年に初めてのコレクションでプラスチックを使った作品を発表、話題をさらう。
この頃は、ロドイド(不燃性のセルロイド)製のボタンやイヤリングなどを自分でデザインし、パリに同居するようになった家族と一緒に製造していた。糸を使わないで装着できるボタン、鋲打ちで留めるロドイドや金属のアップリケなどが次々に開発された。シュルレアリストの画家サルバドール・ダリは「パコはスペインが生んだダリに次ぐ芸術家だ」と絶賛。
66年2月、最初のオート・クチュールのコレクションを発表。そのタイトルは「原題適度材で作られた、着ることのできない12着のドレス」。クチュールの語源「縫う」を全否定する意図どおりに作品を展開し、同年パリに自分のメゾンをオープン。この頃から彼の仕事道具は針と糸ではなく、ペンチ、やっとこ、金槌、接着剤だ。
特徴的な作品を列挙すると、紙やメタルを駆使した作品、プラスチックの四角や円い盤をモチーフつなぎのように接合したドレス、原色のプラスチック製のサングラス、三角や四角の毛皮をつなぎ合わせて作ったコート、アルミニウム製のジャージー、セロテープで留めたドレス、毛皮を編み込んだニットなど。
60年代後半に先駆的な作品でセンセーションをまき起こしたことはいうまでもなく、同じく無機素材を得意にしたクレージュと並んで核心的な「未来派デザイナー」と呼ばれた。そしてラバンヌは60年代のフランスに台頭してきた女性エグゼクティブに拍手を送り、この女戦士(アマゾン)を有機体の身体に対する無機質の物質による闘いの主人公と位置づけている。
オート・クチュールを創造の場と捉えるラバンヌの作品は、プレタ・ポルテでの成功も大きい。また69年には香水ラインに進出し、今ではラバンヌの主要部門の一つ。71年秋にはサンディカへ正式に加盟している。77年春にはこれまでと違った雰囲気で、コントラスト・カラーのアンダー・スカートを合わせたカラフルな布地だけのドレスを発表し、第1回「金の針」賞を受賞。
映画や演劇に衣裳も多数手がけており、96年からは服飾、香水ともにユニセックスのセカンドライン「パコ」(Paco)を始動、日本では77年から株式会社そごうとライセンス契約を結び、プレタポルテ、アクセサリー、靴、バッグなどの販売を展開してきた。2003年には女性向けのフレグランス「パコ・ラバンヌ プールエル」を発表。ジャック・キャバリエとオリヴィエ・クレスプという二人の調香師を招聘し作成したもので話題を呼んだ。
「新たな素材で武装した途方もない革命」がラバンヌ自身による仕事の要約。
90年、デ・ドール賞を受賞。
