マギー・ルフ:Maggy Rouff
女らしい洗練されたエレガンスを主張しつづけたパリのクチュリエール
1896年、フランス、パリに生まれる。本名、マギー・ブザンソン・ド・ワグネル。
父はメゾン「ドレコル」の支配人で、母は同店のモデリスト(マダム・パキャンの恩師でもある)。娘のマギーは、若い頃に外科医を志したが、クチュール志望に転進。
裁断と縫製技術を学びながら、父母とともに「ドレコル」で働いたが、ビール店と合併したため退社。直後に、ピアー・ブザンソン・ド・ワグナーと結婚し、彼を経理担当とした。1928年、シャンゼリゼ通りに、オートクチュールのメゾンをオープン。
マギー・ルフは、華やかな技術派。当時支配的だったシャネルの黒とベージュのギャルソンヌ・ルックに対抗。華やかな色のドレスを打ち出したり、史劇のために忠実さに拘らない自由で象徴的なコスチュームを作成したりした。
また、彼女の作品は、前衛的で大胆な半面、洗練された女らしい「ボン・グゥ」も持っており、戦時を除いて、25年間パリ・モード界の第一線で活躍した。彼女の鋭く仕立てられた衣服は「未来への予感」というキャッチフレーズで、20年代後半の広告を賑わすこととなった。
もともと既製服に人気があったマギー・ルフ。オートクチュールの伝統に対して、着用可能なファッションという動きを起こした。彼女は、美しい夜会服をデザインしたが、スポーツウェアの面でも知られる。
1937年、ロンドンにサロンをオープン。彼女の作る昼間服は、ロメン・クレープかウール・クレープで作られ、ショールかスカーフで映し出されたカラーを特徴としていた。また、シャーリングを好み、スカーフ、バイアスのひだ飾り、ひだべりなどで波立たせた。モノグラムは、50年代まで、彼女のジャケットのポケットの上によく刺繍された。39年に作られたガウンでは、身体に対して水平に集められた時代遅れのリボンが付けられ、ギリシア風になっている。また、30年代にデザインされたイブニングドレスには、身体のラインに近づきながらも軽快さを保ったものが多い。
1948年に引退。娘のにデザイナーの仕事を委ねる。以後、セルジュ・マッタ(Serge Matta)、ギ・ドゥビエ(Guy Douvier)、ミッシェル・マラール(Michel Malard)らがマギー・ルフのメゾンを継いだ。56年には、プレタポルテ部門「マギー・ルフ・エクスタシオン」をオープン。プレタポルテ(既製服部門)のメゾンは、マルソー通りの19世紀風のアパートだった。後にモンテーニュ通りに移転。なお、サックドレス「ベビードール」が流行したのは58年。61年上映の、ロベール・デリー監督のコメディ『ミス・アメリカ
パリを駆ける』の衣裳を手がけた。
71年8月、彼女の死去とともに、クチュール部門は閉鎖。残されたプレタポルテは、「マギー・ルフ」のグリフで継承され、スティリストのクレール・バラが製作を担当した。
弟子は、ジャン・ルイ・シェレール。また、著書に、アメリカの旅行記『マイクロスコープで覗くアメリカ』、理論的なファッション書『エレガンスの哲学』がある。
