2011年8月アーカイブ

4787232371.jpg謝黎『チャイナドレスをまとう女性たち―旗袍にみる中国の近・現代―』青弓社、2004年

チャイナドレスの中国語は旗袍(チーパオ)。中国国内のデパートや高級レストランで見ることの多い旗袍は、日本でも人気が高い。使われている素材は、絹からポリエステルまで様々で、柄にあっては、さらに多種多様である。

ところが、チャイナドレスの人気度に比べて、その歴史については、実態が知られていない。中国国内の繁華街を歩いてみても、旗袍を着た女性を見ることはできない。このことは、日本の着物が伝統着として位置づけられてきたにもかかわらず、20世紀後半には家庭内からも姿を消した状況と似ている。筆者がこだわるのは、チャイナドレスもまた、着物と同様に、洋服の流入とともに改めて「伝統」のレッテルを貼られた運命にある。

旗袍の原形は、満州王朝(清王朝が時間的に直近)の「旗人」である。古代から現在まで連綿と引き継がれてきたかの印象を受ける旗袍だが、実際はそうではなく、漢民族が圧倒的に多い中国にあって、今では少数民族に属する満族の服装だった。このような問題関心にもとづき、本書では、服飾史を中心に、時代時代の広告や雑誌記事をも参照した社会史的な関心も合わせつつ、中国における旗袍と「伝統の創造」というテーマを追っている。

構成は、清朝末・民国初期の婦女の旗袍/民国中・後期における旗袍の流行/文化大革命と改革開放による旗袍の否定と肯定/近・現代中国の服飾における「伝統」の創造

謝黎『チャイナドレスをまとう女性たち―旗袍にみる中国の近・現代―』青弓社、2004年

恋愛と贅沢と資本主義

4061594400.jpgヴェルナー・ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』金森誠也訳、講談社、2000年

18世紀後半のフランスにおける奢侈産業の隆盛について詳しい。

私たちの生活を突き動かすのは、禁欲か贅沢か。

M・ウェーバーが資本主義成立の原動力を精神的な禁欲に求めたのに対し、19世紀フランスの宮廷恋愛という題材を用いて、著者は贅沢にそのエンジンを求める。贅沢は、セックス、不倫、買売春と深く結びついて、どのような社会を形成していったのだろうか...。

さらに、ゾンバルトの本書は、ヴェルサイユ宮殿におけるポンパドゥール夫人(ルイ15世の公妾)、マリー・アントワネット・ドートリッシュ(ルイ16世の王妃)たちの贅沢行為の暴露を含め、ヨーロッパに集積する織物・衣服製造業の実態を大局的に論じた希有な「服飾経済史」といえる研究である。

目次
新しい社会(宮廷、市民の富、新貴族、資料と文献)、大都市(16、17、18世紀の大都市、大都市の発生と内部構成、18世紀の都市学説、資料と文献)、愛の世俗化(恋愛における違法原則の勝利、高等娼婦)、贅沢の展開(奢侈の概念と本質、王侯の宮廷、騎士と成上がり者の第二ラウンド、女の勝利<奢侈の一般的発展の傾向、屋内の奢侈、都会のなかの奢侈>、資料と文献)、奢侈からの資本主義の誕生(問題の正しいとらえ方と誤ったとらえ方、奢侈と商業<卸売業、小売業>、奢侈と農業<ヨーロッパ、植民地>、奢侈と工業<奢侈工業の意味、純粋な奢侈工業、混合せる工業、奢侈消費の革命的な力>)。

ヴェルナー・ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』金森誠也訳、講談社、2000年

朝鮮王朝の衣装と装身具

4473034097.jpg張淑煥『朝鮮王朝の衣装と装身具』淡交社 、2007年

梨花女子大学博物館澹人服飾美術館所蔵の衣装・装身具コレクション。国立民俗博物館、国立古宮博物館の協力も得て、朝鮮王朝の服飾文化を総合的に紹介。

第一部は女性の衣装と、ノリゲや簪を中心にした装身具、第二部では、男性の正装と普段着、第三部では婚礼衣装と子供の服装をカラー図版と解説で紹介。

朝鮮王朝最後の皇太子英親王と李方子妃が着用した衣装と装身具をはじめ、王族や上流層が身につけた華麗なる装いも紹介されている。その多くが日本に初めて紹介される貴重な遺物であり、テキスト編では、服飾、工芸、王朝社会に関する基礎知識がテーマごとに掲げられ、イラストや写真も添えられ、分かりやすい。

張淑煥『朝鮮王朝の衣装と装身具』淡交社 、2007年

服装の歴史

4122046114.jpg高田倭男『服装の歴史』中央公論社、2005年

衣服や被服を身につけた装いの歴史をたどった丁寧な本。白黒画像がたくさん収録されている。

衣服の形式、裁縫技術、衣服材料、衣服史、被服史、染織史にも目を配り、社会文化史や生活文化史として服装史を描いている。その上で、衣服を着用する人々の意識をも掘り起こし、物品・製品を中心にした服飾史との区別化も図っている。

内容は、第一章「原始・古代」、第二章「中世」、第三章「近世」、第四章「近代・現代」の4つに分けられ、本文420ページのうち、150ページほどが第一章に割かれているのが特徴で、日本列島の服装が中国から多大な影響を受けていた点をきちんと押さえている。その上で、後代における公家装束、武家装束をはじめ、史料がほとんど残っていない庶民層にまで、説得的な想像力も含めながら丁寧に説明している。

中でも圧巻なのは、中世までの服装の歴史と近世以降の服装の歴史では、大きくベクトルが変わった点を、小袖スタイルの完成とデザイン変化に求めている点で、時代・身分・材料などの変数を入れると複雑多岐にわたる服装史を分かりやすくナビゲートしてくれる。

第四章「近代・現代」はわずか40ページほどが割かれているだけだが、ここの説明も簡潔明瞭で、洋風化が日本の服装の終焉を意味した点を強調し、20世紀末の日本列島における服装の状況を指しながら「ここらが限界だろう」という一句を吐露している点は感慨深いものがある。

高田倭男『服装の歴史』中央公論社、2005年

洋裁の時代―日本人の衣服革命―

4540031562.jpg小泉和子『洋裁の時代―日本人の衣服革命―』OM出版、2004年

洋服が日本人の服装として定着したのは、意外に遅く、第二次世界大戦後のことである。戦前は、圧倒的に多くの女性が和服を着ていたし、外出には洋服を着ることも多かった男性でも、室内では着物が主流だった。

昭和20年代~50年代の30年間に日本人の服装は完全に洋服へと変化した。代わりに和服は非日常の場、つまり伝統文化のお稽古や、結婚式・卒業式などのイベントに限定されて着られることが多くなった。

このように和服が一掃され洋服が全般的に浸透していく事態は衣服革命と呼ぶべきものだろう。では一体、衣服革命が起こった時期や経緯はどうだったのか?

衣服革命の始まりは終戦直後。敗戦という結末を向かえた状況のなかで衣料不足だけがこの革命の原因となったわけではない。生地が絶対的に不足していただけでなく、戦地に赴く男性の代わりとなって職場へ進出した女性たちはモンペやズボンを着用し、終戦後も継続して活動的な衣服を求めたのである。

戦勝国のアメリカ文化は衣服においても日本に影響を与えた。当時は手っ取り早く買える店があるわけではなかったので、少しでも洋裁ができてミシンを持っている人たちに注文が殺到したそうである。そのような需要の状況のもとで、家庭内職として専業主婦に人気を得たのがミシンでの洋裁だった。

これに伴い、昭和30年代になってミシンの生産は、都市部で普及率75%という数字に達し、家庭洋裁はもちろんのこと、職業洋裁も一大隆盛期を迎え、洋服化が急速に進んだ。全国各地に見られた洋裁教室の乱立も丁度この頃である。

ところが、昭和40~50年代になると、洋服の本格化とともに、高度な技術力やデザイン力に力点が置かれ初め、既製服の普及が決定的な要因となって家庭洋裁や町の洋裁店はその任務を終えた。

このような洋裁、あるいはミシンの盛衰を振り返ると、大規模な洋裁学校を筆頭に、終戦直後に手探りで洋裁に取り組んだ動き全体は、何も近代化のスローガンやパリ・モードといった大きな視野を見据えていたというよりは、終戦後の厳しい生活環境に密着した形で衣服革命が展開したのだと思われる。

昭和30年代から登場した既製服、これには合成繊維の発展と大規模なアパレル産業の台頭が背景にある。以後、50年代にかけて安価で誰もが着やすい既製服は洋服の主要ジャンルとなっていった。

本書は、終戦直後から昭和50年代にかけての「洋裁の時代」=「衣服革命」に注目し、女性たちが洋裁技術を習得し、洋服を自分のものとしていった経緯を描いている。また、習得した洋裁技術を女性たちはどのように生活に役立てていったのか、職業面にも焦点を当てている。さらに、洋服化にとって避けることのできない下着の問題、農村女性が洋服化した経緯、洋服化の上で大切な役割を果たした桑沢洋子と花森安治、そしてミシン本体についても、詳細に取り上げている。

小泉和子『洋裁の時代―日本人の衣服革命―』OM出版、2004年

日本被服文化史

4332100255.jpg元井能『日本被服文化史』光生館、1969年

近世までの衣服動向がコンパクトにまとめられていて分かりやすい。図版はモノクロだが豊富で特徴的なものを選出。

西洋の被服が形態の変遷に重点を置いてきたのに対し、日本の被服が、デザインや色彩に注目されてきたという問題意識(文様形式に焦点を当てる)をもって、公家装束・武家装束だけでなく、能文化や染織技術にも触れた被服文化史となっている。

承知の通り、柳田国男は、明治期以降の日本の衣服が、西洋風のものや古着の多様さによって、世界でも珍しいほどゴタゴタしている点を憂えた。

しかし、元井能が、本書で、日本の被服にこだわりつつも、西洋の服が洋服、あるいは単に「ふく」と称され、従来の日本の被服が「和服」「きもの」という名称でよばれる点(日本の衣服史の二重性)を指摘しながらも、決して、この二重性を矛盾という観点だけで捉えていない点は評価に値する。また、日本における被服の多様性という問題から、現代の被服が抱える多様性の問題へと観点を広げ、本書を締めくくる。

元井能『日本被服文化史』光生館、1969年

小袖

4894445506.jpg長崎巌『小袖』ピエ・ブックス、2006年。

現在キモノとよばれるものの原形となる小袖は、安土桃山時代から江戸時代にかけて名称が定められた袖口の小さい衣服のこと。本書は、小袖の生地・模様・加飾技法の3点に焦点をあて、多数の写真資料とともに小袖の衣服を楽しめる。

遠く貫頭衣に機嫌をもつ小袖は、袖を持つようになった当初は筒袖だった。筒袖はやがて、小さな袂をもちはじめ、次第に袂が肥大化し、室町時代に形態が確定した。

小袖は平安時代から貴族の下着として使用され、名称も存在したが、庶民や武家にあっては、これを下着・表着兼用の衣服として着用した経緯も面白い。

邦題のサブ・タイトルは「日本伝統の装い、その華やかな歴史をたどる」だが、英語のタイトルは「Kosode - The Origin of Modern Kimono Design」(小袖―近現代の着物デザインの起源―)となっており、イメージがやや異なる。

長崎巌『小袖』ピエ・ブックス、2006年。

カラー版 世界服飾史

4568400422.jpg深井晃子監修『カラー版 世界服飾史』美術出版社、1998年

執筆者は、深井晃子、徳井淑子、古賀令子、周防珠実、石上美紀、新居理絵。

本書は、服飾とその歴史がもつ多様性や意味の大きさ・深さを考える手引き書として編まれた。服飾は、それぞれの時代の代表的な美術作品であり、また、驚くべき奔放な創造性を示すデザインの宝庫でもある。さらに、最新の技術や素晴らしい手仕事が集約されたものという意味ももっている。本書は、ヴィジュアル資料を駆使して、このような服飾の多様性を完結に理解できるように構成されている。

さて、服は、私たちの文化に根ざした「表象」であり、私たちは次のような理由で服を着ることが欠かせない。暑さ・寒さに関わる生理的理由、記号として服飾が示す社会的要因、装飾変身願望、隠蔽と顕示など精神的理由等々。本書は、そのような理由もリファレンスする視野をもっており、一種の社会史・文化史としても読むことができる。

ところで、現在の日本の服飾は、西欧に起源をもつ「洋服」である。そして、洋服は、今日の世界のほとんどの国々で着られている。本書でいう「世界服飾史」は、全時代の全服飾の意味ではなく、私たちが着ている現在の世界共通の服飾という意味をもっている。したがって、日本が伝統的な和服から洋服へと転換した過程も、丁寧に辿られている。

ヴィジュアル資料には、絵画、彫刻、版画、ファッションプレート、図版など、様々なものが利用されているが、中でも注目すべきは、京都服飾文化研究財団所蔵の実物の写真も豊富に盛られている点だ。また、ヴィジュアル資料を裏付けるような文献、文学作品、記事など、叙述としての資料もふんだんに利用されているので、総合的に服飾史を知ることができる。本の寸法もページ数も適当で、5つ星でオススメ。

深井晃子監修『カラー版 世界服飾史』美術出版社、1998年

アフリカの布─サハラ以南の織機、その技術的考察─

4309904122.jpg井関和代『アフリカの布─サハラ以南の織機、その技術的考察─』河出書房新社、2000年

文字資料の少ないアフリカ織物研究のなかで、アラブ人たちによって西アフリカの旅行記などから多少の織物動向を窺い知ることができる。本書では、それを踏まえながら、主にサハラ以南に焦点をあて、現在でも生産され続けている織布の素材や織機、その機能などの技術上の分析を行ない、サハラ以南で継承されてきた「原始機」とその織技術体系を明らかにする。同時に、西アフリカで継承されてきた「足踏式織機」の分布と形態にも注目し、比較研究を行なう。

井関和代『アフリカの布─サハラ以南の織機、その技術的考察─』河出書房新社、2000年

野良着

4588209515.jpg福井貞子『野良着』ものと人間の文化史、法政大学出版局、2000年

倉吉絣の産地である鳥取県倉吉市を中心に、明治初期から昭和40年頃までの約1世紀にわたる野良着に関し、用途・年代・性別・形態・材料・重量・地域の呼称などを記録した精力的な本。

野良着という農山村の独特な衣服は、高度経済成長とともに、一般的に見られることは少なくなった。それは、終戦直後の洋装化が60年代になって一気に進行し、製造されることが少なくなったためである。さらに、昭和30年代には兼業農家が急増し、それまで利用されていた野良着が大量に処分されたことも原因している。

本書では、このように消えつつある野良着を収集した貴重な記録である。本書は、収集品の分類整理によって、着物と被り物、屑物、付属衣などを計測し、作図や聞き取りを交えながらまとめられている。野良着は、労働による摩擦や汚染、さらに人体の汗と垢によって、布が傷み消耗する。しかし、それがすぐさまゴミとして処理されたわけではなく、半世紀にわたって、天地を逆にし、表裏を交換して何度も改縫した不定型な衣料だと筆者はいう。本書の醍醐味は、そのような手垢の付いた野良着のなかに、それを着て仕事をしていた女性たちの内面や生活にも焦点を当てていることにある。

また、野良着、仕事着などは、多種多様の膨大なデザインの宝庫でもある。これは、縞帳と呼ばれる柄のカタログとして、母から娘へ、代々、加筆や修正を加えながら継承されていった。本書は、木綿縞や絣のもつデザインとしての面白みも見逃していない。

福井貞子『野良着』ものと人間の文化史、法政大学出版局、2000年 -

4588210513.jpg福井貞子『絣』ものと人間の文化史、法政大学出版局、2002年

40年間にわたり、西日本の絣産地で、老女たちに聞き取り調査をした絣の文化史。筆者が手織りを初めて学んだ昭和30年代には、明治時代から愛用している高機(たかはた)で手織りを楽しむという老女たちも結構いたようだ。

西日本の絣の名産地といえば、九州・四国・山陽・山陰と幅広く存在している。筆者は、これらの地方で数回にわたる現地調査を行ない、工業試験場や工場経営者と後継者、紺屋と古老、元女子従業員の技術保持者たちから、絣の見本帳や縞帳を見せてもらったそうだ。その上で、関連する記録をも実地調査し、無名の技術者たちの意見も採録し、日常生活も記録した成果が本書。

このような調査をもとに、本書では、絣文様の分類をはじめ、単なる報告書ではありえない、絣の移り変わりと特徴が詳細にまとめられている。絣の体系的研究、文様史などにも充分利用可能な濃度を持っている。1973年に出版された『図説 日本の絣文化史』(京都書院)に、その後の調査研究の成果を加え、増補・改訂したもの。

福井貞子『絣』ものと人間の文化史、法政大学出版局、2002年

木綿口伝

4588209310.jpg福井貞子『木綿口伝』第2版、ものと人間の文化史、法政大学出版局、2000年

山陰地方の綿織物と機織り女性の生活に関する詳細な記録。木綿の継ぎ接ぎは、裂織りに再生され、着捨てのボロ布は、廃品回収業者の手に渡った。筆者は年々少なくなっていく縞や絣の断布を丹念に収集している。本書では、筆者の精力的な収集による、様々な綿布の柄を楽しむことができる。また、詳細な聞き書きをつうじて、本書では、女性の生活に焦点を当て、綿布が経てきた歴史を明らかにしている。

古来から、織物は献上布であった。親方小方関係の隷属的な家内労働として、田舎の女性たちは従事した。しかし、機織りは現金収入の唯一の道であり、簡単に抜け出すわけにはいかなかったのである。しかし、女性たちは、機織り労働を悲惨という印象だけで捉えていたのではない。寄せ集めの屑糸で、愛する人への贈り物を作ったり、嫁入り荷物にしたりしたのだ。また、織物は、娘への財産分与であり、親の形見として重視された。

このように親子代々引き継がれてゆく織物文化について、本書では、織物の技法や木綿口伝を拾い集め、木綿や機を通じて受け継がれた生活文化を活かし、明治・大正期の女性が、どれほど勤勉に生きてきたかを探っている。

福井貞子『木綿口伝』第2版、ものと人間の文化史、法政大学出版局、2000年

古着

4588211412.jpg朝岡康二『古着』ものと人間の文化史、法政大学出版局、2003年

リサイクル品として明治期以降も利用され続けてきた古着とその生活文化を丁寧に紹介している。白黒図版が多数あり、とても助かる。

近代の洋服受容によって、和洋折衷風の服装が広まったが、本書では和服と洋服の形状の違いに注目し、麻→綿→化合繊という繊維の推移にも触れながら、衣文化を縦横無尽に説明している。

たとえば、化合繊の箇所では、「石油を着る」という大胆なタイトルを付し、戦前には既に西陣、桐生、北陸地方などの絹織物産地で人絹が積極的に利用されていた点が指摘されており、当時の劣等製品の代表格だった化合繊の用途が活き活きと記されている。

また、衣服の洗濯方法やたたみ方などの習慣にも目をくばり、東アジア諸国で似通った点や異なった点がまとめられている箇所がある。竹竿で洗濯物を吊す中国由来らしい習慣は、20世紀前半の日本でもよくみられたが、世紀後半にはどんどん物干し竿と蛸足のセットで干す習慣に変わった点や、ヨーロッパ産のワイシャツは立体衣服ゆえにたたみにくく、平面衣服である日本の着物は畳むには便利といった点など、身近で遠くなりつつあるエピソードが満載である。

朝岡康二『古着』ものと人間の文化史、法政大学出版局、2003年

おしゃれの社会史

4022595183.jpg北山晴一『おしゃれの社会史』朝日新聞社、1991年

ファッション、ブランド、モードの発祥地として考えられやすいフランスの首都パリについて、19世紀を中心に、衣服の消費社会が登場する経緯とシステムを分かりやすく書いた著書。

19世紀、ないしは20世紀も最初の14年間におけるパリの威光を認めつつも、著者は、その要因を丁寧に3点、指摘している。

  • フランス革命とナポレオンが推進した中央集権的政治・社会制度
  • それに伴なうフランス人の中央志向的(パリ中心的)メンタリティの発達
  • 上記のような政治的、社会的、心情的パリ中心主義を支える鉄道網(パリを放射線状に延びる)の発達
さて、フランス革命以前は、法規制のもとで、衣服を作る者、売る者、着る者の三者には明確な区別があった。とくに、作る者と売る者には、各業種ごとに厳しい区分が敷かれており、仕立屋が裏地や飾り物作成の分野に手を伸ばしてはいけない等、他業種への関与や逸脱が禁じられていたのである。自分で作った物以外を売ってはならない、という規制によって、衣料素材を売る業者と、素材に加工を施す業者とも明瞭に区別されていた。つまり、買い手としては非常に面倒なことになっていたのである。

フランス革命を経て、1791年の法令によって、商工分離が解消されると、生地業者と仕立業者(衣服加工業者)との敷居が取り払われた。また93年には旧制度下の衣服令そのものが否認された。こうして、自由・平等・博愛というフランス革命の3つの理念のうち「自由」だけは実現したことになるが、著者は、国民皆制服の提案が否決された革命政府の状況に触れつつ、「平等」については疑問を呈している。

衣服が自由になったということとシンクロして、最低の生活条件や身体の保護、そして清潔感というモデルが登場した。その基盤となった都市インフラから本書は掘り起こされ、第一章には「汚物都市パリ」として、メルシエや、20世紀前半にパリへ行った大杉栄のエッセイなどを引きながら、紙面を割いている。なお、傘やヒールの靴がヨーロッパで作られたのも、家から道路上に落とされる人糞を避けるためであったとの話もよく聞く。

帯から清潔・身だしなみと社会倫理の結びつきは?フランス革命は衣生活に何をもたらしたか?デパートの発展は「衣」をいかに変えたか?文化的序列とモードの関わりは?欠乏から必要の充足へ、さらに快適さを求め贅沢へ向かう道すじ。エレガンスの生理学。

北山晴一『おしゃれの社会史』朝日新聞社、1991年

ブランドビジネス

4582852203.jpg三田村蕗子『ブランドビジネス』平凡社、2004年

ライセンスブランドが日本の服飾文化の慣習や国内ブランドの育成をダメにしたという手厳しい日本ファッション界の戦後ビジネス論。

格好の失敗例(と同時に一時的な大成功例ともいえる)がピエール・カルダン。かつては日本のトイレにまでロゴが溢れたカルダン社の栄光と失墜は有名な話だが、他にも、ディオール+カネボウ等々、日本のアパレルメーカーや百貨店がフランス頼み・トップブランド頼みの商売で大赤字を弾き出した経緯が実に詳しい。

ブランド側への批判も手厳しい本書では、ヴィトンは既にトップ・ブランドではなく、カジュアル・ブランドと位置づけられている。大胆だが、素直な的を射た発想である。

「モードの世紀」のブランド辞典も、「ルイ・ヴィトン」に関しては、それを参考に少し書き換えたが、トップ・ブランドとは、そもそも「歴史」があるからこそ、そのようにいえる面もある。したがって、ルイ・ヴィトンというブランドは、ついつい「トップ」と思いがちだが、誰もが持っているブランドだからこそカジュアル・ブランドとしかいえない。

実際、街を歩いていても、小学生でさえもっているブランド・バッグがルイ・ヴィトンであることはよく分かるし、そのバッグを持ち歩きながら、寝起きの汚らしい茶髪の頭にスニーカー、そしてブヨブヨのジーンズにトレーナーというオバサマたちに出合うには、数歩歩くだけで十分だ。

三田村蕗子『ブランドビジネス』平凡社、2004年

マドンナ―真実の言葉―

4887594895.jpgエッセンシャル・ワークス編『マドンナ―真実の言葉―』橋本弘美訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2006年

デビュー以来のマドンナ語録+白黒のミニ写真集。音楽、ライフスタイル、ビジュアル面での世評に対するコメントや思想的なメッセージが満載である。

一番おすすめの台詞を載せておく。

ずっと挑発的なポーズをとってきたわ。でもそれは、スキャンダルを起こしたかったからじゃない。政治に利用するためでもない。わたし自身のためよ。この男社会で女として生きていくわたし自身の権利のためなの!
どうしようもない資本主義社会という男社会のなかで、女性は、挑発的なポーズを取ることによって、すり寄ってくる男性の価値を判断することができる。マドンナのビジュアル的で挑戦的な戦略は、その意味で見習うに値する。

エッセンシャル・ワークス編『マドンナ―真実の言葉―』橋本弘美訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2006年

時代を拓いたファッションデザイナー

19655492.jpg堀江瑠璃子『時代を拓いたファッションデザイナー』未来社、1995年

著者の堀江瑠璃子は、フリーランスのジャーナリストで、ファッションクリエーター新人賞国際コンクール(パリ)の審査員でもある。

本書は、未来社の月間雑誌『未来』で、92年から94年の3年間にわたり連載された30人分のデザイナー評をまとめたもの。取り上げたデザイナーの大部分が、70年代に筆者が誘致した「東京国際コレクション」の参加者たち。また本書は、ココ・シャネルとクリスチャン・ディオールを除き、全てのデザイナーに直接会い、取材した貴重な記録で、筆者自身が強調するのは、30人のデザイナーは、すべて、ファッション界にだけでなく、「女性の意識やライフスタイルにも強い影響を与えたデザイナー」であり、それぞれの生い立ちやデビューまでの背景が強烈な個性として作品に影響を与えている。内容的には、ピンポイントであっさりしたデザイナー解説と、彼ら・彼女らの豊富なエピソードが楽しめる。

本書で取り上げられたデザイナー(抜粋)

ココ・シャネル―「私を作ったのは、私自身」/クリスチャン・ディオール―時代に逆行したニュールック/ピエール・カルダン―世界を席巻するカリスマの魅力/ユベール・ド・ジバンシィ―オードリィとのすばらしい友情/田中千代―学者夫人から欧米仕込みの草分けに/サルヴァトーレ・フェラガモ―夢の靴デザイナー/ジョン・ワイツ―アメリカンルックの知性派/森英恵―別格のパイオニア/イヴ・サンローラン―類まれな美しい女の資質を備えた男/ヴァレンティノ・ガラヴァーニ―最高に「優しい愛撫」、ほか。

堀江瑠璃子『時代を拓いたファッションデザイナー』未来社、1995年

中国映画の明星 女優篇―于藍、劉暁慶、鞏俐、張曼玉―

4582282490.jpg石子順『中国映画の明星-女優篇―于藍、劉暁慶、鞏俐、張曼玉―』平凡社、2003年

筆者の石子順は、1935年、京都生まれ。18歳まで中国で暮らしていた経験を活かし、映画評論や中国映画の字幕翻訳などで活躍している。

本書は、これまで日本で馴染みの少なかった中国の女優についての物語。日本で映画といえば、まずアメリカ映画が中心になっていて、その後、ヨーロッパ映画が続く。映画女優といえば金髪の女優を連想するのも無理はない。しかし、本書はそのような「先入観」を脱し、中国人の4人の女優論を思う存分発揮している。

約350ページある本書で取り上げた女優は、たったの4人。4人の女優の物語は、女優という側面だけでなく、女性としての苦しみ、悩み、愛憎、葛藤と蹉跌も汲み取って展開されている。中国の女優のなかでもひときわ輝いている4人の女神たちを、筆者のまとめに従って簡単に紹介しておこう。

于藍(ユイ・ラン)は、日中戦争と国内戦争の戦火から生まれた女優だ。劇映画を撮る必要に迫られてカメラの前に立ったそうである。1940年末から60年代半ばまで映画女優として活躍し、文化大革命で女優生命を奪われた。

劉暁慶(リュウ・シャオチン)は、文化大革命という大動乱から抜け出た女優で、窮乏生活と闘いながら女優となり、やがて実業家ともなった恋多き女優。70年代から90年代へと成功が続いたが、実業家としての副業が災いして、女優の道を踏み外す悲劇を招いた。

鞏俐(コン・リー)は、大学在学中に映画デビューしたラッキー・ガール。北方系の美貌と豊かなプロポーションを備え、旧中国に耐えながら生き、中国女性の苦痛と怒りを演じた作品が多く、国境を越えて共感をよんだ。彼女は、70年代末からブームとなり、中国映画の存在を世界に示した最初の強烈な女優だ。

張曼玉(マギー・チャン)は、香港のアイドルから女優になりきることのできた少数派。初期の作品では、努力する意地が特に光っているし、どれほど下らない役でも引き受けたことが、大女優への道を確実にした。

なお、張曼玉については、本書のための書き下ろし。他の3人の女優は、筆者がこれまで連載してきた新聞や雑誌を再構成したもので、一部書き下ろしを含む。張曼玉が出演した『HERO』(現代:英雄)までもフォローされているので、20世紀の大女優、21世紀の大女優双方を楽しむことができる。

石子順『中国映画の明星-女優篇―于藍、劉暁慶、鞏俐、張曼玉―』平凡社、2003年

ル・コルビュジエの勇気ある住宅

4106021196.jpg安藤忠雄『ル・コルビュジエの勇気ある住宅』新潮社、2004年

筆者の安藤忠雄は、1941年生まれの建築家。17歳のボクサーデビューの後、放浪の旅を経て、69年に事務所を設立。その後、イェール大学、コロンビア大学、ハーバード大学の客員教授を務め、97 - 2003年、東京大学教授(現在東京大学名誉教授)。
 さて、20世紀の建築界の巨匠には3人の人物がいる。ミース・ファン・デル・ローエ(1886 - 1969)、フランク・ロイド・ライト(1867 - 1959)、ル・コルビュジエ(1887 - 1965)である。

筆者は、この3人の建築家を次のように特徴づけている。まず、現代都市の風景に最も影響を与えたのは、ミース・ファン・デル・ローエ。彼は、都心部でよく見られる全面ガラス張りの高層ビルを最初に発案した人として名高い。「フリードリヒ街のオフィスビル計画案」(1919年)がそれである。これには、鉄骨骨組構造が描かれており、これだと壁が外と内を仕切る皮膜、カーテン・ウォールのようなもので事足るため、耐重性のないガラスでも壁として利用できる。このような建築物で作られる空間を、ミース自身は「ユニヴァサル・スペース」と呼んだ。それは、完全な均質空間であり、人間の営為と切り離すことのできない歴史、風土、文化を否定するものでもあった。

これに対して、歴史や風土の感覚を失わずに、近代建築を作ったのが、フランク・ロイド・ライトである。彼の作品は、土着的建築、生物のように動く有機的建築、都市計画のスケールまで、多様な造形がみられる。しかし、有機的な密度が濃いため、後継者が現われず、一般的な建築物として作品を広めることができなかった。

3人のなかで、最も雄弁な建築家が、ル・コルビュジエだ。まず、彼は、家の構造を床と柱で支えるドミノ・システムを考案(1914年)。このシステムを、20年代のモダニズム草創期には、フリープラン(自由な平面構造)やピロティ(支柱)等の発想へ発展解消させた。ヴァルター・ベンヤミンが機能主義的で無機質なガラス建築の創始者としてミースと誤解したのが、この時期のコルビュジエである。コルビュジエは、自著の中で「住宅は住むための機械」だと断言している。さて、第2次世界大戦の空白期を経て、戦後は、コルビュジエ180度の方向転換を行ない、猛々しい作品が増える。代表作は「ロンシャンの礼拝堂」。筆者は、この作品を20世紀の傑作と評価している。

3人の建築家に対する筆者の略説は以上だが、本書では、ル・コルビュジエの人物像と、彼の建築が私たちの心を惹きつけてやまない理由に迫っている。さらに、住まいこそが建築の原点と認識する筆者は、人間の技術が高密度で詰まっている「住宅」を中心にル・コルビュジエの魅力を明らかにしている点、これまでとは違ったコルビュジエ像がみられそうである。

安藤忠雄『ル・コルビュジエの勇気ある住宅』新潮社、2004年

ファッション・ブランド・ベスト101

4403250572.jpg深井晃子編『ファッション・ブランド・ベスト101』新書館、2001年

日本初といわれるブランド百科。取り上げられているブランドは服飾関係が中心だが、バッグ・靴・宝飾品に関するブランドも合わせて、101社にのぼる。超有名ブランドはもちろん、アクアスキュータム,アズディン・アライア,アディダス,A.P.C.,アラン・ミクリ,アン・ドゥムルメステール,イエーガー他、101にも及ぶブランドの概略が示されている。

本書では、それら各ブランドを、商品名・デザイナー名・会社の歩んできた歴史と現状から素描している。編者の深井晃子の言を借りれば、ブランドこそ自由・平等・安らぎといった夢を体現している。私たちの生活の中へ資産として入り込んできたブランドと、それを取り巻く社会状況とが上手く噛み合わされた概説書となっている。ブランドの世代交代が激しい2000年前後の状況も踏まえつつ、「一体、ブランド(各ブランド)は今どうなっているんだ?」という疑問にも応えてくれる本である。

深井晃子編『ファッション・ブランド・ベスト101』新書館、2001年

ファッションデザイナー―ココ・シャネル―

65204938.gif実川元子『ファッションデザイナー―ココ・シャネル―』こんな生き方がしたいシリーズ、理論社、2000年

筆者の実川元子は、54年生まれのライター、翻訳家。アパレルメーカー、繊維業界の団体で12年間広報を担当した後に独立。ファッション、恋愛、映画に関する著書、訳書が多い。

有名企業や商標・ロゴにおいて全て言えることだが、ブランドとしてのシャネルの知名度に比べ、創始者ガブリエル・シャネルについて知っている人は少ない。伝記である本書は、シャネルの伝記によくあるプライベートな恋愛を強調するよりも、むしろ、彼女自身がデザイナーとして成功する過程を追っている。筆者が強調するのは、20世紀初頭、19世紀の影響下にあった、男性から見た女性像というモードを女性から見た女性像、私から見た私像をシャネルが提出したことにある。

シャネルは、コレクションの準備期間中、ホテル・リッツの一室で急死したが、没する直前まで働いていたというエネルギーも、その作品群に劣らず、シャネルの人気の理由となっている。そして、女性自身が喜ぶ服を作ったこと、それまでの抑圧された女性ファッションを解放したことは、女性自身の気分をも自由なものとした。

本書は、シャネルを通じて、ファッション・デザイナーたちが、服を着る人の人生を演出するプロデューサーとして、どれほどダイナミックな仕事をしているかを教えてくれる。なお、本書は、中学生・高校生にも読めるような文体を心がけており、女性が元気になるような配慮が十二分に為されている。

巻末では、基本的なシャネルの伝記をいくつも押さえた参考文献、3ページの簡単な「ココ・シャネルプロフィール」、ファッション・デザイナーを実際に目指すための心構えや業界の簡単な紹介などをまとめた「ファッションデザイナーになりたいあなたへ」が付されていて便利。

実川元子『ファッションデザイナー―ココ・シャネル―』こんな生き方がしたいシリーズ、理論社、2000年

ファッションの20世紀―都市・消費・性―

4140018313.jpg柏木博『ファッションの20世紀―都市・消費・性―』日本放送出版協会、1998年

ファッションと、20世紀という時代(=近代)との2点にテーマを絞り、ファッションの持つ力学と多様な現象や構造を解き明かす。

近代のファションは、それまでの複雑な暗黙の社会制度から解放され、20世紀への突入と同時に、市場経済システムに組み込まれた。以後、性差や職業的差異を超えた均質化を促進させた2度の世界大戦におけるファッション、あるいは、パリ、アメリカ、東京におけるファッションなど、20世紀のファッションの辿ってきた道には、いくつかの断層がある。本書では、各時代ごとに違った形やパターンを見せるファッションの断面を、当該期に活躍したデザイナーにも触れつつ、描き出すことが目的とされている。したがって、ファッションの歴史といっても、20世紀のファッション史の全貌を描くということではなく、個別のトピックを取り上げるという方法が本書では採られている。

本書の構成は以下のとおり。/序章:ファッションという<力>/I:消費都市パリ-近代的まなざしの誕生/II:国民服と標準服-総力戦とファッション/III:アメリカン・ルックとトラッド-ファッションの<アメリカ>/IV:ミニ・スカートからパンクへ-対抗文化とファッション/V:装うことへの無限運動-都市東京ファッション/終章:ファッション-終わりなき闘争

章別のテーマを追ってみよう。まず、序章では、ファッションが私たちの社会的意味や存在とどのように関わってきたのかが考察されている。I章では、19世紀から20世紀へ転換した時期に出現した消費都市パリと、それを背景に登場したファッション、そして、ベンヤミンを都市社会学的に読み返した都市に発生した新たな「まなざし」について論じている。

II章では、特に第2次世界大戦を念頭に、当時出現した国民服・標準服などに焦点を当て、これが生みだした平等観念や国民意識について考察されている。日本の場合、戦中の平等観念は戦後民主主義に接続するが、筆者の結論は、一見、生活は戦中と戦後で断絶があるかのようだが、実際は、戦中に強固となった生産の平等・消費の平等意識は、戦後の日本人の意識に引き継がれているということだ。

III章では、戦後日本を支えたアメリカのファッションについて論じられる。戦後のアメリカのファッションは世界中に浸透し、世界システムの一環として機能したのだという筆者の論点は、現在の世界が抱えるアメリカ固有の立場に繋がる論点を提示しており、興味深い。

IV章をみると、ヒッピーに代表される、60年代から登場した、近代システムへの対抗文化が検討されている。とはいえ、市場システムの生みだすファッションに対抗した点に評価を定めず、筆者は、そのような対抗的文化・周辺的文化が、結局は支配的な近代の市場システムに回収される背反を指摘することを忘れていない。

V章では、80年代以降、日本でポストモダンとよばれた文化現象を背景に出現したファッションを取り上げる。あたかも対抗基軸を忘れたかのようなファッションの展開、あるいは私たち自身の欲望と夢について、筆者なりの見解が示されており、本書全体にもいえることだが、20世紀ファッションについて、ある程度イメージを持っておくためには必読の本だろう。

柏木博『ファッションの20世紀―都市・消費・性―』日本放送出版協会、1998年

シンプル・ビューティ

4344404637.jpg川原亜矢子『シンプル・ビューティ』幻冬舎、2003年

著者の川原亜矢子は、1971年大阪府生まれ。モデル、女優。90年、パリ・コレクションでデビューし、翌年渡仏。映画主演作に『マアンに抱かれて』、著書に、『WITH ソレイユのシンプル・レシピ』『Ayako's beauty』『Favorite』など。

単行本初版は2001年。(執筆時)モデル就職後14年が経った川原亜矢子が、モデル業を通じて、学んだり感じたりしたことを綴ったエッセイ集。30歳を記念して出版された。この文庫版では、単行本で入れられなかったことや、出版後に新しく始めたことなどが加筆されている。控えめな著者が漏らす買い物の顛末や感想は、読めば思わず微笑んでしまうほど可愛らしい感じがしてグッド。

本書の構成は以下のとおり。

  • ファッション - セレクトの基準は自分らしさ
  • ファッション - 着こなしのポイントは心地いいこと
  • スキンケア - シンプルが基本
  • メイクアップ、ヘアケアetc. - 楽しみながら
  • ヘルス、ボディケアetc. - 決めごとでしめつけない
  • エレガンス - 目指す女性になるために
  • ライフスタイル - 自分らしく心地よく
  • メンタル - 笑顔のために


川原亜矢子『シンプル・ビューティ』幻冬舎、2003年

シャネルの警告 永遠のスタイル

4062107473.jpg渡辺 みどり『シャネルの警告 永遠のスタイル』講談社、2001年

ガブリエルの語録を多数拾い出し、彼女のファッション・センスをはじめ、恋愛や男性観、人生、富・金、芸術などをエッセイ風にまとめ上げたもの。

ジャーナリスト出身の著者だけに、掴みやすい文章でシャネルを疑似体験できる。

ただし、シャネルや美智子皇后を褒め称える一方で、説明もなく西太后を罵倒するような、脱亜入欧感覚に基づいたおフランス発想は聞き飽きた感が残る。

1964年の文化学園の修学旅行はパリだったが、80歳近かったガブリエルは、そのためにわざわざファッションショーを開いたという。

目次私は全然恨んでいない
  • 美意識の原風景、孤児院での厳しい生活、日曜日の礼拝、三人の貴重な話、一枚の出生証明書、十八歳・自立への第一歩、贅沢な生活のはじまり、愛人生活への疑問、ついにカンボン通りに一号店誕生、実用とエレガンス、ファッション界に一大革命、たった一人の心を許した友、「フランス人を私は好きじゃない」、「服をつくりたい・仕事をしたい」、恋人の結婚相手の衣装を手がける、「何かが足りない」、若き天才たちとの交友、歩み去ったあとの残り香、引退・そして軌跡のカムバック、永遠に残したこだわり「シャネル」、「人間はこうして死ぬのよ」
あるとすれば、真実だけ
  • ファッションは女王であり時に奴隷に(衝撃、エレガンス、美の提案、本物・偽物、工夫、教養、仕事、情熱、プロ根性、超一流、センス、気力と健康、残り香、贅沢、シンプル・イズ・ベスト、大人の女、現実的な事情、裏と表)
  • 男とは「ノン」と言ってから本当の友に(偉大なる恋、結婚と離婚、矛盾、愛の投資、成功した女、分別ある大人、心の距離、プライド、強さと弱さ、無償の愛、わずらわしさ、打算、辛辣、深夜のフランス料理、命をむさぼる、冷静な行動、男友だち、新しい感性、限界、才能、年下の男、嫉妬、ライバル、残酷)
  • 有名と孤独は引替えるもの(幸・不幸、人間の種類、コンプレックス、はかりごと、正義と真実、見栄、お金=自由、富と名声、お金の使い方、醜さ・だらしなさ、時間、「死」への意識、なおかつどん欲に)
  • あとがき

渡辺 みどり『シャネルの警告 永遠のスタイル』講談社、2001年

ココ・シャネル―悲劇の愛―

4087732975.jpgソフィ・トゥルバック『ココ・シャネル―悲劇の愛―』松本百合子訳、集英社、1998年

帽子デザイナーとして出発し、20世紀モード界の女王とよばれるガブリエル・シャネル。ジャージー素材の利用にはじまり、ツイード・スーツやパンタロンなど、規範に囚われない発想とデザインに比類なき評価が下されてきたのは、強調するまでもない。

彼女のプライベートに関する書物は、伝記をはじめ数多いが、本書は、私生活まで含めたシャネルの歩みを小説という形で描いている。特に本書は、彼女が生涯愛し続けたといわれるイギリス人アーサー・カペルとの恋愛、出会いから別れまでに焦点を当てている。

とはいえ、小説でのカペルの登場はほど遠く遅いのは、なぜか?シャネルは、カペルについて「生涯で一度しか愛さなかった。あたしのために創造されたような男」と言っており、シャネル自身、カペルとの出会いを自身にマッチしたものだと判断していた。つまり、カペルがこの小説で非常に遅く登場するのは、二人の出会いがどのようにマッチするのかを必然性で解き明かそうとしたからだ。

実際、カペルが没した直後、シャネルは「カペル失ったあたしは何もかも失った」とも述べている。放縦、激情、冷徹など、好き勝手に評されることの多いシャネルだが、恋にあっては、脆く繊細な感情も持ち合わせている点も描かれており、女性としてのシャネルを扱った小説、いいかえればシャネルの登場する恋愛小説として、本書は成功しているだろう。サブタイトルは「悲劇の愛」であって、本書は、恋多き女性と言われ続けているシャネルの、恋ではなく愛の記録となっている。

ソフィ・トゥルバック『ココ・シャネル―悲劇の愛―』松本百合子訳、集英社、1998年

晶子とシャネル

4326653132.jpg山田登世子『晶子とシャネル』勁草書房、2006年

≪私≫一個の表現を生き抜いた魂の姉妹。

日本とフランスに前例のなかった女性のライフスタイルを作り出した女性、与謝野晶子とガブリエル・シャネルの2名に焦点を当て、詩とファッションだけでなく、恋や仕事を中心にした生き方にまで迫った力作。

「はたらく女」という用語がキーワードの一つになっており、労働が女性解放に必要なものだったと山田は指摘している。男性に寄生する女性を晶子とシャネルは相手にしなかったのである。シャネルが恋多き女性だったということはよく知られているが、結婚ということに関しては相応の男性が存在しなかったという。20世紀初頭の二人の生き方は、1世紀近くを経た現在でも示唆的な事例となっている。

どこでも見かける・必ず私たちが持っているファッション・アイテムを思いだそう。手が入るポケット、金のボタン、セーター、カーディガン、ジャージー、ショルダーバッグ。ファッションに限定してシャネルの意義を付け加えておくと、今挙げたような、現在も多用されている実用的なファッション・アイテムは、ほとんど全てシャネルによるものである。

本書では、シャネルが意図せずとも強烈な破壊力で結果的に行った「モード革命」がファッションからライフスタイルにまで及ぼした影響を知ることができる。また、与謝野晶子という同時代人を重ね合わせることによって、心を飾る詩、身体を飾る衣服、双方が女性のためのものとなった「革命」をより一層楽しめる内容となっている。

山田登世子『晶子とシャネル』勁草書房、2006年

衣服で読み直す日本史―男装と王権―

4022597011.jpg武田佐知子『衣服で読み直す日本史―男装と王権―』朝日新聞社、1998年

本書では、『リボンの騎士』や『ベルサイユのばら』などの少女向け漫画に異性装が多いことに問題関心をもち、近世までの日本列島における男装や女装が、中国やヨーロッパ諸国に比べて比較的許容されるものであり続けた要因や構造を描いている。例えば、歌舞伎だけに留まらず、『ヴェルサイユのばら』をはじめとする宝塚歌劇団の流行などが題材にとられている。

著者独特の衣服観は、おそらく、衣服による変身が変心になりうること、そして今の自分とは違った存在になれる可能性が衣服に備わっている点を明瞭に指摘した点にあろう。それが、とりわけ20世紀の日本では、女性の行動様式に対する抑圧からの開放・解放材料として少女漫画に傑出したのだ、と筆者は論じる。

本書は、とくに、衣服のもつ存在論的な分析が優れており、性差(ジェンダー)をもたない日本の衣服文化と、王権の手によって性差のある衣服が導入された文化とのせめぎ合いが手に取るように伝わってくる。

「明治天皇の御真影と男性美」では、明治期に天皇と皇后の服装における違いがクローズアップされている。とくに、ヨーロッパ諸国に列する意図として、洋装(明治天皇)において西洋の仲間入りを、同時に、和装(皇后)において日本的なものを認知させる試みが、お雇い画家ゴローニンによって試されたというエピソードが説得的である。

武田佐知子『衣服で読み直す日本史―男装と王権―』朝日新聞社、1998年

生活文化論

4254605919.jpg佐々井啓・飯田文子・篠原聡子編著『生活文化論』朝倉書店、2002年

20世紀末の種々の社会変化は、21世紀に暮らす私たちの生活を見直すきっかけになる。本書は、生活文化に焦点を当て、今日につながる生活様式や文化を家政学的な視点から明らかにする。

主な選択テーマは衣食住で、貴族の生活では日本の平安時代とヨーロッパ18世紀が取り上げられている。武士の生活では今日につながる伝統文化を考える手がかりを探る。市民の生活には、私たちの生活に直結すると考えられる江戸時代を軸に、19世紀のヨーロッパやアメリカを紹介し、新産業の関わりと大衆文化の展開が論じられている。

ご承知のとおり、明治以降の日本は、欧化政策によって新しい欧米のライフスタイルが漸次、導入されてきた。それは大正・昭和へと引き継がれ、日本の特徴的な生活文化を生み出し、今日に至っている。

一方、ヨーロッパの20世紀は、機能性をめざした新しい造形思想が誕生した。それらが生活において使われる様々な造形を中心として発生したことは、新しい方向性をもたらしたといえる。日本では、その影響が特に20世紀後半になって大きくなり、欧米のライフスタイルに近づく結果となった。

本書は、以上のような歴史の流れをふまえ、今後の生活のあり方を考えていく手がかりを示そうとしている。

サイトからの感想衣食住のバランスが上手くトピックが選択されている。また、章別に参考文献が付されており、衣食住のいずれかの歴史を深く勉強する足がかりに適した教科書といえる。ただし、和洋の二項対立にもとづいた叙述が多いため、中国をはじめとする東アジア諸国など近隣諸国・諸地域との関連には関心があまり向けられておらず、日本が欧米文化を輸入するという鎖国的な発想パターンに縛られている点は歪めない。

佐々井啓・飯田文子・篠原聡子編著『生活文化論』朝倉書店、2002年

地域経済の形成と発展の原理

4916092317.JPG松嵜久実『地域経済の形成と発展の原理―伊勢崎織物業史における資本原理と地域原理―』シーエーピー出版、2001年

本書は、伊勢崎銘仙と呼ばれた絹織物業の歴史から、地域経済における資本の原理と地域の原理の関係を捉えようとした研究である。

資本原理は地域に根ざすものであっても、域外・国外へ膨張するものであっても、地域原理というものを補完材料としながら、企業の利潤追求を促進させる。それと同時に、地域経済自体を衰退させ、場合によっては消滅させることもある。また、地域における資本原理は、地域原理よりも優位に立つことが多かったが、膨張型の資本原理に比べれば弱い立場にあった。

以上のような問題関心にもとづいて、本書では次の5点が課題とされ、詳細に検討されている。個別研究が中心となった本だが、学位論文ということもあり、丁寧に論点を追っているのが印象的である。また、問題提起が資本の原理や地域動向のいずれに偏ることなく、ともに視野に入れつつ一般化しようという姿勢へ繋がっている。近年の経済史研究にはないバランスの取れたものだと評価できる。

【本書の課題】
  • 企業の経済活動を説明する際、既存の客観的条件である経済状況だけでは不十分であり、地域に存在する無形資源を維持する主体的な要因に企業活動が支えられているという点を明らかにする必要がある。具体的には、不確実性のある投資活動、未来に向けた産地活動を行うための主体的判断を検討する。
  • 地域で活動する企業の経済活動を、個別企業の利害を追求する中心的な原理である資本原理だけで説明することは不可能であり、この原理を補完する地域原理が必要であることを証明する。
  • (3)織物業に従事した人々が形成した経営技術と生産技術を明らかにする。これは無形資源の代表格であり、容易に域外へ移転できるものではなかった。
  • (4)織物業という基軸産業の存在によって、地域の人々の関係がどのように形成されてきたのか、また、共同性やそれによる目的というものがどのように作られてきたのかを明らかにする。
  • (5)伊勢崎織物業の発展を巡り、そこに出現する経済観念を明らかにする。地域に根ざした特産品「伊勢崎銘仙」が輸出可能なまでに展開した際に生じた、地域主義的な経済観念と他の経済観念との確執に対し、地域に人々がこの問題をどう認識していたのかを明らかにする。
  • (6)伊勢崎織物業の生産力の発展が、地域の人々からどのように評価されたのかを明らかにする。生産力の上昇はどのような問題を発生させたのかを明らかにする。

松嵜久実『地域経済の形成と発展の原理―伊勢崎織物業史における資本原理と地域原理―』シーエーピー出版、2001年

マーケティング生成史論

4419015780.jpg小原博『マーケティング生成史論』増補版、税務経理協会、1991年

現代企業に不可欠なマーケティング活動や機能が、資本主義経済の展開のもとで、どのような企業経営的、社会経済的事情に基づいて成立したかを、シンガー・ミシン社の活動から検討している。

シンガー社は、20世紀を通じて、ミシンといえばシンガー、シンガーといえばミシンというように一世を風靡したが、19世紀末葉にはビッグ・ビジネスとして成長していた。本書では、1850年から1914年までに時期を限定し、そのマーケティング活動に焦点を当てている。

当初は、副題(サブ・タイトル)に、「巨大製造会社、シンガー・ミシン社におけるその萌芽、生成過程の研究」が付される予定だったが、冗長になるとのことで割愛された。

第1章では、いまだに黎明期にあるマーケティング史研究の方法論が展開されている。第2章では、シンガー社の歴史が、アメリカにおけるミシン企業の略史に照らし合わせて詳説され、大量生産体制の確立に触れている。第3章では、シンガー社が導入したチャネル活動(販売代理商方式→特約代理店方式→直営支店方式)を中心に観ることで、大量販売が実現した要因を探る。

次に第4章で、その販売の基礎となった需要側における購買意欲の喚起が、大衆消費市場の成立を参照しながら検討されている。第5章では、広告活動を中心に販売方法が再検討されている。第6章では、総括として、シンガー社のマーケティングの意義を確認し、付録には、シンガー・ミシン社の略史・年表や、日本製ミシンの戦後史も紹介されている。

本書の感想だが、ミシン需要が大衆消費社会の一指針として考えることについては、若干だが違和感がある。ミシンが最終消費財と捉えるかどうかによって、消費の意味が変わるからである。すなわち、いうまでもなく製造業者としての側面をもつ、20世紀転換期の日本にみられた量産型の仕立業者の場合のように、一職業としてミシンが利用されている場合、最終消費財はシャツやパッチなどの衣料である。これは戦後に一部で展開されたミシンを用いた家庭内職の場合も、ミシンは最終消費財を作る機械として同じ意味を持っている。

しかし、戦後の日本で一般的に見られたような場合、つまり、家庭において趣味としてミシンが利用された場合については、ミシンそのものが最終消費財の意味を持ってくる。そして、ミシンそのものは大量生産品であっても、それによって家庭内で作られた衣料は大量生産品とはならない。

逆に、先の日本の仕立業者のようなケースでは、ある程度の顧客層をもっており、ミシンによる衣料製造は大量とまではいいにくいものの、ある程度の量産が可能であったし、既製服がそもそも家庭用ミシンではなく工業用ミシンによって製造されてきた経緯を踏まえれば、小原博がアメリカ経済史におけるミシン需要として大量消費社会と関連付けた論点は、日本では当てはまらないのである。

いいかえれば、本書をもとに、既製服の経緯や意味自体が、日本とアメリカとでは大きく異なっていたという事実を確認することができる。

小原博『マーケティング生成史論』増補版、税務経理協会、1991年
20070122.jpg塚田朋子『ファッション・ブランドの起源―ポワレとシャネルとマーケティング―』雄山閣、2005年

これまで、経営史において服飾を扱った研究、特にブランド研究がほとんど皆無であった(見向きもされなかった)点は、この本の著者が強く指摘している。服飾史では服飾のデザイナーが評価されることが多いが、経営面で彼ら・彼女らが論じられることはほとんどなかった。

その意味で、本書は、これまで断片的にしか知られてこなかったファッション・ブランドの経営戦略を大きく捉える手助けとなる。19世紀のウォルトの登場と社会的背景はもちろんのこと、彼の経営手腕にまで深く立ち入っており、後続のポワレ、シャネルへとブランド史の定番に即し、徹底してマーケティングにこだわった詳細な本となっている。

手による本縫いは注文服に限定されたという印象は、ヨーロッパの服飾史を調べると思わず先入観をもってしまうような本が多い。洋裁の場合、おそらく圧倒的にミシンというハード面を伴ったというのが、私見として考えているところである。

ただし、この点に関して漠然としたイメージすら示す研究が少ない。その理由の一つには、1911年に成立したパリ・オートクチュール組合の参加デザイナーたちが、採寸後の仮縫いから立体裁断を経て本縫いへ向かう工程において「手」を利用したという印象を付与する意図が存在していると思われ、ミシン縫いの利用を隠していたのではないかという疑問を感じる。しかし、その根拠は明確ではない。

さて、19世紀後半には、シンガー社が既にフランスにも販売していたようであるが、塚田の本書によると、そのままアメリカ合衆国の既製服がヨーロッパを征服したとみる見解には一定の留保が必要なようである。ただし、塚田は、上記と同じ疑問を次のように呈している。

本物のファッション・リーダーへの'羨望'がある限り、既製服では'ない'ように見せる努力は止むことがない(実際今日も続く)。ミシンが登場しているのにスーツは伝統的な手縫いに見えるよう縫製され、合成繊維が発明されても、天然繊維に見えるよう用いられ、縫いつけられていて実際には開かない、既製のスーツの袖口(切羽:sham opening)の見せかけのボタンは今日も消えない。(塚田、前掲書、309ページ)
しかし、このように、衣服生産における手と機械との区別の重要性に気づいている塚田自身も、索引においてミュール紡績機を掲載する一方で、ミシンは挙げていない点が衣服生産の分析における先入観が存在する証左だと考えられる。前掲書は、欧米衣服史における機械導入にも目を配りつつ、オートクチュールの創始者たちの経営展開を描写しているが、創始者たちがミシンの利用を公表していない点について以下のように記すことで実態に迫っていない、すなわち、

過去に起こった総ての出来事を記述することは不可能であるから、歴史は程度の差はあっても、ある特定の視点から、特定の出来事を抽象し、時間の流れを整序して語る物語とならざるを得ない。そのとき一般的に、伝統的な歴史学において'事実を証明するもの'として重視されるのは'文書として残る証拠'であった。しかしそれらにしても、書き残すべきものと認定され書かれた時点で、整序されたデータにすぎない。これに対して、ファッションは'見ることができる歴史'である。(同、309ページ)
一つ難点をいえば、概念規定や歴史観が荒い。たとえば、ブランド衣料品を無前提に「芸術」と規定していること、プレタポルテを単に「既製服」と同義に捉えていること、20世紀における既製服の登場とともに「民族衣装」が駆逐されたと捉えること、等々である。

上記3点に関して簡単に触れておこう。

まず、トップブランドのデザイナーによってデザインされた衣料品が芸術作品であるという断定については、「既製服」や「コピー」の問題を避けて通ることはできず、その点の吟味も甘いといわざるを得ない。また、そのデザイナー以外の人たちによるデザインないしは衣料品もまた芸術作品と呼ぶことができるのか、等の判断基準を明確にしているわけでもない。いずれにせよ、社会科学という学問分野が「芸術」に関する評価を下すに相応しい分析用語を備えていないことを考慮すれば、マーケティング分析においても「芸術」をどのように捉えるかという吟味は繰り返し必要であろう。

次に、プレタポルテを「既製服」と同義に使っている点だが、まず、プレタポルテというフランス語は「高級既製服」と邦訳されてきた経緯がある。いうまでもなくこの邦訳には既製服の「品質」まで含まれているのであって、単に「注文生産ではない服」という意味での既製服を指すわけではない。また、サンディカ主催のいわゆるパリ・コレクションのプレタポルテ部門でGAPのジーンズが出ているわけでもない。オートクチュール、注文服、仕立服、既製服、大量生産品といった種々の製造用語・作成用語の整理が必要であろう。

最後に、既製服の登場とともに「民族衣装」が駆逐されたという歴史観にも苦言を呈したい。この捉え方では、あたかも既製服が登場する前に「民族衣装」が存在したかのようである。それまで存在した「衣装」は、むしろ各地の慣習を如実に反映した衣料に過ぎず、それを地域別に分け標準化させる発想こそが「民族衣装」という言葉として表現されるのであって、「民族衣装」というものは、既製服登場以後の話だと考えるべきである。さらに、既製服自体に民族性がないかのように考える下りもあったが、デザインやステッチなどに諸国特有の柄や縫い方がみられることも多い。[固有→既製・一般]という時系列的な展開ロジックを簡単に考えないことが大切である。

塚田朋子『ファッション・ブランドの起源―ポワレとシャネルとマーケティング―』雄山閣、2005年
4532164745.jpg川村由仁夜『パリの仕組み―ファッションで頂点を保つ理由がここにある―』日本経済新聞社、2004年。

単なる都市名ではなくブランド名としても機能しているパリが、現在の位置に至った経緯と仕組みをたどりながら、日本人デザイナーがパリ・ブランドを必要としながら、フランスのファッション関係者も、異質で話題性のあるデザイナーを常に必要としている。

98年から04年にかけて、パリ、ニューヨーク、シドニー、東京で行なったファッション関係者200名近くに対するインタビューや、パリコレ見学、街や店舗の観察などのフィールド・ワーク・リサーチに基づく。

  • 「パリ」を利用する若手日本人デザイナーたち
  • 世界が注目する日本のストリートファッション(クリエーティブな日本のストリートファッション誌、パンクファッションと類似)
  • SPAとインディーズブランド(ショップ業態の複合化)
  • 非主流から主流へ─インディーズブランドのパリコレ参加(カリスマブランド「アンダーカバー」の高橋盾、「和」と「かわいさ」を武器に─丸山敬太、パリから東京へ─田山淳朗、素材へのこだわり
  • 付加価値とイメージづくりが目的のパリ
  • ファッションの戦場「パリ」
  • ルイ十四世とファッション文化の幕開け(十七世紀のファッションリーダー─ルイ十四世)
  • 宮廷に仕えるギルドの仕立て職人
  • ファッションを発信する媒体
  • 一八六八年のファッション制度改革(ファッションデザイナーの始まり、婦人女児クチュール・コンフェクション組合の設立、オートクチュールの社会的意味)
  • 一九一一年のパリ・オートクチュール組合の設立(技術的観点から見るオートクチュール、服の生産からイメージの生産へ移行、イメージと利益追求のバランス)
  • フランスファッションの浮き沈み(第二次大戦後のオートクチュール業界の復活)
  • コルベール委員会の結成(香水はデザイナーの成功の象徴)
  • ファッションの民主化
  • 一九七三年に設立─オートクチュール・プレタポルテ連合協会(プレタポルテとファッションの民主化))
  • オートクチュールとプレタポルテ─中間のデミクチュール
  • ハイカルチャーとポピュラーカルチャー
  • パリコレの役割(公式リストの社会的な意味)
  • ファッションのジャーナリストの力(編集者とジャーナリストの異なる役割、広報担当者の威力)
  • フランス文化省の若手デザイナー育成部門
  • ファッション関連の展示会と見本市
  • ファッションを守る法律(法律が守るデザインの著作権)
  • パリとニューヨークの違い
  • ファッション文化を守るオートクチュール・プレタポルテ連合協会
  • 「パリ」を制した日本人デザイナー
  • プレタポルテを組織化する動きに乗る(フランスのファッション制度を利用、フランス人による経営と日本人によるデザイン)
  • パリ・オートクチュール組合への入会と特権(日本での成功と海外への投資、変わりつつあるオートクチュール)
  • 常識破りの革新的なファッション戦略(「日本人アバンギャルドファッション」の成立、マーケティング戦略としての常識破り)
  • 「デザイナー」から「アーティスト」へ
  • 「パリ」ブランドが与えてくれる「才能」
  • デザイン教育の免状に取って代わる「パリ」(ファッション教育の必要性、技術者とイメージメーカー、川久保玲のデザイン方法)
  • 「日本人」という名のアウトサイダー
  • 日本人デザイナーのネットワーク
  • 日本のファッション制度の未来
  • 共同でつくり上げるファッションの「箱」
  • 日本のファッション企業団体の力不足
  • 日本の甘口ファッション評論家
  • 欧米人デザイナーを好む日本企業
  • アジアのファッションの首都(アジア人デザイナーを対象にしたコンクール、「和」をより広い世界へ、アジア・ファッション連合会(AFF)の発足、ファッション制度のグローバル化)
  • 巻末注
  • 謝辞

川村由仁夜『パリの仕組み―ファッションで頂点を保つ理由がここにある―』日本経済新聞社、2004年。

シャネル 20世紀のスタイル

4579303229.jpg秦早穂子『シャネル 20世紀のスタイル』文化出版局、1990年

なぜシャネル? なぜ現在もシャネルなのだろう? 時代を超えた一人の女の怒りを突き上げ、激しい意識と鋭い視線で照射されるシャネル・スタイルをさぐる。

『ハイファッション』に1年間連載された原稿を土台に、50年代を生きる女性たちに特に憧憬の的となったシャネルのファッションと生涯を詳細に描く。

本書のポイントは、シャネルに尽きることの無かった男性の噂の中でも孤独感に苛まれた点を推測していること。シャネルのブランドとしての成功、デザイナーとしての栄光の陰に、年々、男性たちの保護を受けてきた「従属物」という屈辱的怒りをくみ取り、その感触をデザインに活かせたと筆者は見ている。

過去を破壊して、可能性に賭けたシャネル。自由に生きるために、自らの手でつかみとった富、名声、そして男たち。激しい怒りをもって生きた一生は、ひとつの革命であった。それがシャネルの真実であり、その炎が新しい世紀にふさわしい"永遠のシャネル・スタイル"へとかりたてた。

流行しそうだから、あるいは面白そうだから、こんな服を作ろう、という発想はシャネルになく、流行に引きずられる女性たちをシンプルという貧しげな服の中に押し入れ、消費者である女性たちに過去を断ち切らせる。20世紀が要求する服を押しつけ、彼女たちから金をふんだくり、自らを解放していった様は、「介抱」とでもいえるシャネル自身の自己治療の一環であったのかも知れない。

本書の目次
  • コート・ダジュールの太陽―マリンルック
  • ドーヴィルの自由―ジャージー
  • コンピエーニュの森の恋人たち―マニッシュパンツ
  • "No.5"現代の匂い―香水
  • 復讐のビジュー・ファンテジー―装身具
  • 1925年パリの黒―ブティットドレス
  • 白のワルツの影に―ローブ・デュ・ソワール
  • 沈黙の不死鳥―カムバック
  • 最後の勝利―シャネル・スーツ1
  • 働きつづけるシャネル―シャネル・スーツ2
  • シャネルの死とあとにつづく人たち
  • 20世紀の女

ココ・シャネルの秘密

012027310000.jpgマルセル・ヘードリッヒ『ココ・シャネルの秘密』山中啓子訳、早川書房、1995年。

著者のマルセル・ヘードリッヒは、1913年、フランスのアルザス、ムンスター生まれのジャーナリスト、小説家。サムディ・ソワール誌を発刊、パリ・プレス紙記者、マリクレール誌編集長、ラジオ放送局「ユーロップ・ンyメル・アン」の時事解説担当などを歴任した。小説に、『パリの美女』『バラと兵隊』、エッセーに『モーゼは神を創った』など。

本書は、1979年に出たハードカバーの文庫化で、シャネルの伝記では日本初といわれる邦訳。著者がシャネルと知り合ったのは、ファッション誌『マリ・クレール』の編集長をしていた時で、パリ・コレクションに出席したのがきっかけ。本書は、晩年のシャネルに対し、テープレコーダー片手に徹底した書き取りを行なった成功作である。これまでシャネルの伝記に挑戦した者たちは、シャネルは日が変われば話が変わるということに悩まれ続けたが、筆者は根気よく執拗にテープに録音したそうである。

テープレコーダーと執拗なメモ書きという努力のうえに、脚色豊かなシャネルの語りを活かすだけでなく、背後にある確証的な事実もふんだんに取り入れているため、この伝記は詳細かつ膨大なものとなっている。それゆえ、本書は、1930年代のパリ社交界の雰囲気を知る上でも興味ある本となっている。ファッション界のシャネルの名前と同じく、彼女を取り巻いたピカソやコクトーたち、若き芸術家の名前もまた、20世紀の芸術界に浸透しているのはいうまでもない。

マルセル・ヘードリッヒ『ココ・シャネルの秘密』山中啓子訳、早川書房、1995年。

Extreme Beauty in Vogue

Eva Respini / Phyllis Posnick, "Extreme Beauty in Vogue", Skira, 2009.

同年春にミラノで刊行された同名書。今回、ドルチェ&ガッバーナ(DOLCE & GABBANA)の協力を得て新たに編み直された。

20・21世紀最高峰のカメラマンたちの写真が満載。非常に官能的で非常に挑発的な物語を表現。エドワード・スタイケンの新古典主義から、アーニー・リーボビッツの型にはまらないヌード、そして、ヘルムート・ニュートンの積極的な肖像画法や、スティーブン・クラインのモダニズムまで。

Eva Respini / Phyllis Posnick, "Extreme Beauty in Vogue", Skira, 2009.

Emilio Pucci

Emilio Pucci, Mariuccia CasadioMariuccia Casadio, "Emilio Pucci", Editions Assouline, 2004.

1960年代・70年代を特徴づけた活力と楽観主義のもとに登場したエミリオ・プッチ。

娘のラウドミア・プッチ(Laudomia pucci)の協力で作成された本書は、コレクション写真やファッション誌からのリプリントで、66年から97年までのプッチのデザインをコンパクトにまとめている。

60年代から70年代にかけて、イタリアからアメリカ合衆国まで、またエリートの情熱や大衆現象を揺さぶるように、エミリオ・プッチのスタイルは展開された。

オートクチュールの伝統に抵抗し、フィレンツェ侯爵のデザインはシンプルで、明るい色づかいがなされ、太縞のパターンが展開されている。そして、着心地が良い。

ペチコート、コルセット、スポーツウェアなど、様々な作品に応用されたプッチのデザインを本書で楽しむことができる。

Mariuccia Casadio, "Emilio Pucci", Editions Assouline, 2004.

BIBA スウィンギン・ロンドン 1965-1974

長澤均『BIBA スウィンギン・ロンドン 1965-1974』ブルース・インターアクションズ、2006年

60年代イギリスが生んだストリート・ファッションの大御所ビバ(BIBA)を中心に、著者の長澤均らパピエ・コレのメンバーが1年間かけて総力を結集して編集したファッション文化史。60・70年代ロンドンのストリート・カルチャーを写真と文章で豊富に楽しめる。

本書は、ビバのロゴ、バーバラのポートレート、ブティックのモデルなど、ビバに関する写真を徹底的に収集し、その短期間のブランド生命を丁寧に掘り起こすことから出発している。

後の章では、マリー・クワント、フォール&タフィンら、同じ時代を生きたデザイナーにも焦点を当て、さらには、モデルや女優といった芸能面の写真や情報にも事欠かない。個人的には、カトリーヌ・ドヌーブの結婚秘話に関心が寄せられたが、目次にある通り、イギリスで発生したユース・カルチャーの歴史を幅広く扱っていて、読み応えがある。

そもそも、ビバというブランド名は、そのデザイナーだったバーバラ・フラニッキの妹の愛称から取ったもの。ストリートから出発し、セレブリティをも巻き込んで躍進していったBIBAは、青山や裏原宿の尖端ブランドやセレクトショップを思わせる面があると同時に、カルダンやクレージュら同時代の有名デザイナーたちとスタイルを共有している面もある。

バーバラは、ポーランド生まれのイギリス育ち。ファッション業界での活躍は、まずフリーランスのファッション・イラストレーターとして出発し、60年代初頭、当時著名だった『Women's Wear Daily』『British Vogue』『the Times』『the Observer』『the Sunday Times』各誌にイラストを描いていた。

1964年、彼女は今は無き夫ステファン・フィッツ・サイモンとともに、ブティック「ビバ」をオープン。『DAILY MIRROR』紙等でファッションコラムを書きながら、ブティックを展開させ、以前行なっていたメール・オーダーのビジネスも再開した。バンダナに似合う、背中が丸く空いたピンクのギンガム・ドレスが大ヒットし、一躍有名になった。

長澤均『BIBA スウィンギン・ロンドン 1965-1974』ブルース・インターアクションズ、2006年

藍─風土が生んだ色─

インディゴ竹内淳子『藍─風土が生んだ色─』法政大学出版局、1991年。

藍色に惹かれ日本各地を巡り歩いた風土記。

藍の色/北海道の藍作農家の歳月/一枚の木札の発見から、阿波の市場町へ/吉野川の流域を歩く/阿波の藍師・佐藤家の人びと/万葉の山藍で藍色を染める人―田辺市/琉球藍で泥藍をつくる/木桶で染める栗駒山麓の藍染/秋葉神社に狛犬を奉献した藍商人―栃尾市/武州青縞の名残りと熊谷の染色―利根川流域/江戸の粋・印半纒を染める紺屋―八潮市/長板中形の型付けと藍染─東京都葛飾区と八王子市/伊豆長岡の藍染の宿/松阪木綿を染めた、かつての藍染集団─松阪市/藍栽培から築作りまで、昔ながらの紺屋─滋賀県野洲町/藍どころ徳島の染師/出雲地方の筒描きと糸染/綾の手紬と薩摩絆─宮崎県綾町と都城市/南の島の藍大島─奄美大島/沖縄の染物─紅型と藍型/宮古上布を染める男藍と女藍/アイヌの藍染/早池峰神楽と藍染─岩手県大迫町/入ケ岳山麓の藍染─山梨県小柳沢町/大和餅を愛した古老一大和高田市/久留米緋の糸染/温かなる藍─あとがきに代えて/参考文献

竹内淳子『藍─風土が生んだ色』法政大学出版局、1991年。
津田紀代編著『華やぐ女たち―ロココからベルエポックの化粧とよそおい―』本田ハル子訳、ポーラ文化研究所、2003年

フランスのスタイルは、18世紀中期、ルイ15世統治下のロココ時代にヨーロッパ全土へ広まった。メイクアップやファッションの分野も例外ではなかった。この時代をつうじて、メイクアップは輝いた赤色のチーク・ルージュやシックなフェイス・パウダーが象徴的だ。当時のメイクアップ技術は、そうじて、巨大なパニエ・ドレスと非常に装飾的なヘアスタイルとのバランスを取る必要から生まれたといっていい。

19世紀のフランス革命によって、人々の価値観は明らかに変化し、女性たちのモードにもはっきりとした影響を与えた。ロココ時代のケバケバしいメイクアップとファッションは、古代ギリシア・ローマ風のスタイルに取って代わり、古典主義時代を迎えることとなった。この世紀には、軽めのメイクアップ道具が広く使われ、時には、か弱さを強調するような繊細な色づかいも見られる。

19世紀後半から20世紀初頭にまたがるベル・エポック期には、ニュー・クラフト運動が産業化と併発した。アール・ヌーボーもまた、同じように、ファッション界に巨大な影響を与え、アール・ヌーボー調のドレスは曲線的で、Sラインを取り、極端に細いウエストが要求された。その後、ポール・ポワレがハイ・ウエストのドレスをデザインし、アール・ヌーボー・ルックとは決別することとなる。ここに、コルセット着用の要請が女性から解き放たれ、フレグランスへの関心もポワレを筆頭に誘発されることとなった。

津田紀代編著『華やぐ女たち - ロココからベルエポックの化粧とよそおい』本田ハル子訳、ポーラ文化研究所、2003年

昭和のキモノ─和服が普段着だったころ─

着物,kimono小泉和子編『昭和のキモノ─和服が普段着だったころ─』らんぷの本、河出書房新社、2006年。

昭和期に着用されていたキモノを白黒・カラー図版を多数用いて、デザイン、機能性、窮屈さなど、一長一短の観点から掘り起こした本で、単なる懐古趣味に陥りやすい衣服史を乗り越える姿勢が伺え、お勧め。

編著者である小泉和子の着眼点について、「はじめに」から簡単に紹介しておこう。

「着物」という言葉は広義の衣服と、単なる和服の二つをさす。後者を本書では「キモノ」カタカナ表記している。そうすると昭和ほキモノが終焉を迎えた時代だったといえる。これをもう少し細かくいえば、昭和戦前は一方で洋服が一般に浸透してきたが、その一方ではキモノも一段と多様化し、華麗さを増していった時代であった。だがそれはキモノの最後の輝きであって、第二次大戦を境に洋服が圧勝し、キモノは撤退していったということになる。

活動的で機能的で、美しく、合理性に富んだ、新しい日本人のキモノを創出するべきだったのが、そうしないうちに洋服化の奔流に押し流されてしまったのが現状だといえる。最近、ちょっとしたキモノブームになっているが、これも人々が現在の洋服では飽き足りないものを感じているせいであろう。

といっても、かつての不合理なキモノに再び戻ることはない。ただあらためて科学的な目で日本の衣文化を見直してみる必要はあると思うがこれは簡単なことではない。専門家はもちろん、私たちみんながとりくまなくてはならない大問題で、すぐにできるようなことではない。そこでとりあえず、キモノの最後となった昭和時代のキモノを振り返ってみよううとしたのが本書である。

戦前に洋服の趨勢に対抗できず、戦後は駆逐されるがままに衰退したキモノ、とくに女性のキモノが、このように消滅したのは、非活動的・非機能的・非合理的だったからである。胸を締めつける広い帯、内股でしか歩けない裾捌きの悪さ、しかも他人の手ですぐほどける帯、開けられやすい据、逃げにくい窮屈さなど、衣服としてきわめて無防備である。にもかかわらず、キモノが形成された江戸時代以来、連綿と続いてきたのは、とりもなおさず女性の立場の反映であって、男女不平等な社会が続いていたからである。

それが第二次大戦後の社会変革によって、男女同権となり、女性の位置が向上したことと、激動の戦時中にもんペやズボンなど活動的な衣服を体験したことが契機となって、ようやく解放されたのである。男女平等・男女同権といっても実際にはまだ問題だらけであるが、しかしもうキモノに戻ることはないだろう。といって現在の洋服のあり方がすべて良いわけでほなく、これはこれで問題が山積しているが、ともかく日本人は衣服改革を敢行して洋服を選び取った。

だがキモノといってもすべてが非活動的だったわけではなく、野良着をはじめとして、労働する人々が着ていた着物の方は、いずれも活動的で機能的であった。またキモノにしても、形や着方こそ非合理的だったが、キモノを支える高度な染織技術・意匠・リサイクルシステムなどは、抜群のものをもっていたうえ、非合理的な面を別にすれば、着こなしのセンスも洗練されていた。その点、服飾文化においては日本は世界でも有数の国だったといえる。とくに昭和は染織の工業化が進んだことによって、戦争中を除けば、広く大勢の人にまで多様な染織製品が豊富に行き渡った時代だったといえる。いいかえれは多くの人がキモノを楽しむことができた時代だったといえる。

小泉和子編『昭和のキモノ─和服が普段着だったころ』らんぷの本、河出書房新社、2006年。

図説 着物の歴史

着物の歴史橋本澄子編『図説 着物の歴史』河出書房新社(ふくろうの本)、2005年

カラー・白黒図版でたどる着物の歴史。様々な小袖の写真や絵画が豊富に附され、文章も読みやすい。髪飾りなどの装飾にもスペースが割かれており、着物の歴史の入門書として便利。

とくに、「装いの歴史」のコーナーは、古代から19世紀までを20ページで解説。これはコンパクト。本編の解説や写真資料と一緒に用いれば一層分かりやすい。

ただし、よく衣服史や衣服文化史で用いられるような発想にもとづいているのが難点。つまり、着物とよばれるものが小袖や振袖の呼称として使われているため、「着る物」としての歴史にはなっていない。小袖や振袖が着物という用語でいわれるようになったのは、早くても100年前、19世紀末から20世紀初頭にかけてのことである。

高田倭男の『服装の歴史』とセットで勉強したり調べたりするのがオススメ。

橋本澄子編『図説 着物の歴史』河出書房新社(ふくろうの本)、2005年
4938547740.jpg津田紀代編『ヘアモードの時代―ルネサンスからアールデコの髪型と髪飾り―』駒田牧子・東野純子訳、ポーラ文化研究所、2005年

近代という時代は、ヘア・ファッションにおいて、様々な長さ、ボリューム、色、飾りのカレイドスコープを生み出した。女性たちは、個性を出すために個人的な装飾で重要となる豪華なヘア・モードのいまを楽しむ。

歴史をつうじて、女性たちは、今ほど自由に髪を結う楽しみを見つけることができたわけではない。しかし、様々な拘束があったにも拘らず、女性たちは、いつも新しい髪型を生み出す工夫を重ねてきた。その結果、ヘア・モードは完全なファッション・トレンドをリードしてきたといえる。

この本は、豊富な図版と簡潔明瞭な文章を頼りに、西洋の女性たちのヘア・モードの歴史を紹介し、ヘア・ファッションの概略史を示してくれる。また、19世紀後半から20世紀前半にかけて、日本にも影響を与えた髪型や、パーマネント技術と開発当初の図版なども紹介されている。

目次

  • 第1章 ルネサンスのヘアモード―隠す中世、顕わすルネサンス
  • 第2章 バロックのヘアモード―ゆがみの美
  • 第3章 ロココモードの主導権はヘアモード
  • ヘアモード時代の到来
  • 髪型の魔術師の登場
  • 美のクリエーター/レオナール・オーディエとローズ・ベルタン
  • 第4章 脱ロココ、そして、19世紀の多様なヘアモード
  • フランス革命、そして多様な髷時代
  • 結髪師クロワザと髷の再登場
  • 第5章 20世紀のウェーブヘアのモード

津田紀代編『ヘアモードの時代 - ルネサンスからアールデコの髪型と髪飾り』駒田牧子・東野純子訳、ポーラ文化研究所、2005年

デニム・バイブル

4860202090.jpgグラハム・マーシュ、ジューン・マーシュ、ポール・トリンカ、著『デニム・バイブル』田中敦子訳、ブルースインターアクションズ、2006年

19世紀後半に開発されたジーンズから約100年間にわたる、モデル着用写真、普段の写真、デニムの広告、カタログ、ポスターなど、膨大な図版を集めているのが本書の大きな特徴。さらに、構成は時代別に配置されているため歴史を辿りやすく、章ごとの説明よりも、図版ごとの解説の方が圧倒的に詳しいので、エピソード収集にももってこい。

似合うかどうかはともかく、今や大統領や総理大臣までもが愛用するようになったジーンズ。とはいえ、ジーンズには反逆者のイメージが似合うのも確か。かつては労働者の勲章であり、反体制的な格好の良さのシンボルとして着用されてきたジーンズ。

デニムの歴史はアメリカ合衆国の歴史とともに展開してきたが、同時代にフランスは鮮やかな生地のデザインを生み出し、イギリスでは織物技術の進化が見られた。アメリカ合衆国が新大陸(アメリカ大陸)の侵略とともに成立した当初に、ジーンズの原型は2人の男性によって考案された。

移民文化(アメリカの場合は侵略文化と同義)のなかで育まれたジーンズは、労働者やガンマンたちに愛用され、ジョン・ウェインからマドンナまで、アメリカを象徴するスターたちが着こなすことで人々の間に浸透していった。

目次

  • リヴェットにまつわる面白い話 - ジェイコブ・デイヴィスとリーヴァイ・ストラウスが出会い伝説が生まれた
  • さあ、仕事に出かけよう - オーバーオール、ワークウエア、ツードッグマーク
  • 峠の我が家 - デニム産業とアメリカのカウボーイ
  • 戦争の時代から遊びの時代へ - デニム、戦争と平和のユニフォームとなる
  • 「何にでもさ」 - 反逆児、ロカビリースター、はみだし者
  • 反骨のインテリたち - デニム、カウンターカルチャーのユニフォームとなる
  • インディゴ・ガールズ - レディーリーヴァイスからバムスターまで - ファッションファブリックとしてのデニム
  • ねこのヒゲ - ストーンウォッシュにサンドペーパー - ヴィンテージ加工ジーンズ
  • 見逃せないこだわりのディテール - アーキュエイト、タブ、リヴェット、チェーンステッチ、仕掛けの数々

グラハム・マーシュ、ジューン・マーシュ、ポール・トリンカ、著『デニム・バイブル』田中敦子訳、ブルースインターアクションズ、2006年

おしゃれ時代(Part 2)

おしゃれ時代ポーラ文化研究所『おしゃれ時代(Part 2)』ポーラ文化研究所、1995年

バブル崩壊後にはっきり変化のあった女性のおしゃれ。それまでは「おしゃれ着」が晴着だったように、「ハレ」の世界にあったおしゃれが、90年代に入って「ケ」の世界に浸透し、20世紀末に書けてその度合いは一層増したといえる。

バブル崩壊とともに経済は停滞したものの、おしゃれについては逆行を示し、良くも悪くも多様化したというのが実態であろう。

本書は、そのような変化を「美から魅力へ」という転換に解釈し、さまざまなアンケート調査を土台にして、ボーダレス時代に相応しい、一人一人の「自分らしさ」を提案する。

メイクや髪型を中心に、90年代の意識調査結果を図表でたくさん紹介しており、分析の解説も丁寧になっているので、読みやすく分かりやすい。また、コラムとして挿入されている昔の化粧やエステティックなども気軽に読める。90年出版のパート1にデータ編が追加されており、その量も圧倒的。

帯から

みんなが一つの美を求めた時代から一人一人が魅力を発揮する時代へ、調査データを軸にボーダーレス時代の「おしゃれ」を探る。

ストーリー編
なくなりつつある『男らしさ/女らしさ』から『しつけ』『教育』に根強い『男らしさ』『女らしさ』、そして現代最強のらしさ『かわいらしさ』。一人一人の魅力を生かす『自分らしさ』を軸に現在の『おしゃれ』を探す。

データ編
高校生から65歳の女性まで、化粧の理由/ファッションへの取り組み方/ダイエット/カラダ観/魅力へのこだわりなど幅広いデータをグラフで読む。

おしゃれの今・昔
江戸の口紅/王朝文学の香り/美人コンテストの始まりなど気になるおしゃれの今と昔をコラムで紹介。

ポーラ文化研究所『おしゃれ時代(Part 2)』ポーラ文化研究所、1995年

Shoes: A Celebration of Pumps, Sandals, Slippers & More

Linda O'Keeffe, "Shoes: A Celebration of Pumps, Sandals, Slippers & More", Workman Pub Co, 1996.

サンダル、ハイヒール、スリッパ、靴、ブーツ、プラットフォーム、フェティッシュ・シューズ等について、著名ブランド・デザイナーたちの作品だけでなく、歴史資料の靴までを含め写真1千点で紹介している。

簡単な歴史をはじめ、19~20世紀を中心に流行パターンの紹介もされていて、シューズ・デザインの着想だけでなく、ファッションの歴史とファッション・デザインのモデルとしても十分活用できる。

裏表紙から ビビエ、マノロ・ブラニク、ウエストウッド...。15世紀の高さ2フィートの木製チョピンと、60年代・70年代のプラットフォームシューズとしての復活。ハイヒールのパラドックス。チュール、ブロケード、ラインストーン、ガラス、等々。また、シャネル・トゥーも紹介...、等々、素晴らしい色の靴の1,000以上を写真で賞賛している。クレージュの未来的なゴーゴー・ブーツを覚えていますか?

Linda O'Keeffe, "Shoes: A Celebration of Pumps, Sandals, Slippers & More", Workman Pub Co, 1996.

私的ブランド論―ルイ・ヴィトンと出会って―

泰郷次郎『私的ブランド論―ルイ・ヴィトンと出会って―』日本経済新聞社、2006年

今やカジュアル・ブランドと成り下がってしまったルイ・ヴィトンの日本国内での経営戦略。著者はルイ・ヴィトン・ジャパンの代表取締役等々、同系列の社長や会長等を経て、現在はクリスチャン・ディオール等の会長に就任している。立場上仕方がない面もあるが、日本人が品質にこだわるといった賛同しがたい分析があったり、商品を買わない理由を作らない等のカジュアルブランド・ヴィトンらしい発言があったり、やや閉口する箇所も多いが、ヴィトン社やそのグループの運営に対する泰の要求等は語録として読むに値する。

泰郷次郎『私的ブランド論 - ルイ・ヴィトンと出会って』日本経済新聞社、2006年

日中共生新時代─中国ファッションビジネス最前線─

ファッションビジネス、中国、日本繊研新聞社編『日中共生新時代─中国ファッションビジネス最前線─』繊研新聞社、2003年

21世紀転換期に世界貿易機構(WTO)へ加盟した中国は、沿岸開発都市を中心に年率7~8%という経済成長を続けている。21世紀世界の工場と同時に、21世紀世界販売市場という側面も見逃せない。

2004年末に対外全面開放された中国流通市場や、基本的に撤廃された欧米向け輸出制限などをアパレル産業から描写したのが本書。日本と中国の繊維・ファッションビジネスが共生する時代を築く一助をめざす。

かつて、20世紀日本の大手であった紡績会社、繊維メーカー、アパレル・メーカー等の社名が挙って登場する。アパレル産業、多国籍企業、貿易、流通、日系企業の海外進出といったテーマに関心のある方に読んでほしい。

第1部(中国編)
ファッション消費の実態(上海、北京、大連、青島、香港)、個性派婦人服SPA、テキスタイル産地、大手アパレル、香港アパレル、中国の繊維動向

第2部(日本編)
大手・総合アパレルの戦略、アパレルメーカーの戦略、素材・染色メーカーの戦略、有力商社の中国内販戦略、日本産テキスタイルの中国販売、服飾副資材メーカーの取組み、生地検査の中国現地化、ファッションプロデュース(OEM)、物流加工業務の現地化、日本製CAD・縫製機器の中国販売、日系大型小売業の中国出店。

繊研新聞社編『日中共生新時代─中国ファッションビジネス最前線』繊研新聞社、2003年

ユニクロ─異端からの出発─

ユニクロ繊研新聞社編『ユニクロ─異端からの出発』繊研新聞社、2000年。

ユニクロの創業から現状まで、多様な角度から成功の足取りとマーケティングのポイントを紹介している。

主な構成は以下のとおり。

カジュアル・ウェアへの関心、婦人服部門での失敗、広島市のユニクロ一号店、仕入れ原価の引下げ、カジュアル・スタンダードの形成、シンプルな会社、顧客ニーズ対応型、上海・広州の生産管理事務所、販売機会ロス退治、素材メーカーとの直接取引、国内3000店舗の規模拡大、ネット通販への進出、エルヴィス販売、世界標準の小売業、一貫サプライチェーン、ユニクロ原宿店、SPAの影、ギャップというライバル、その他。

繊研新聞社編『ユニクロ─異端からの出発』繊研新聞社、2000年。

ブランド帝国LVMHを創った男ベルナール・アルノー、語る

ベルナール・アルノー『ブランド帝国LVMHを創った男ベルナール・アルノー、語る』日経BP社、2003年

モエヘネシー・ルイヴィトン(LVMH)社社長兼CEOであるベルナール・アルノーと、フランスの経済ジャーナリストのイヴ・メサロヴィッチの対談。

ベルナール・アルノーは、周知のとおり、80年代半ばから、クリスチャン・ディオールを傘下にするフィナンシエール・アガシュ社の再建、セリーヌの買収、クリスチャン・ラクロワのオートクチュールメゾン開設といったように、ブランド会社再生立役者として活躍してきた。2002年4月現在、LVMHグループ傘下の企業は、実に44社を数える。

ファッション業界では異例の企業買収ゆえに悪評も出ているが、ベルナール・アルノーの事業意欲は、博物館・美術館の修復事業、美術展・絵画展への協賛、絵画・音楽を勉強している学生への援助制度などにも及び、必ずしも投機熱にうなされた人物だとはいえない。

そのような彼が、イヴ・メサロヴィッチの様々な質問に答える形で、ブランド業界に関するコメントはもちろんのこと、プライベートな話から、政治・経済に対する意見まで、幅広く語っている。

本書が出された発端は、1999年にガリアーノがディオールを去るという噂を発端として、ベルナール・アルノー自身が必要と感じたLVMHグループの事実説明だった。共同経営者、投資家、株主、社員、顧客に対し説明すべきだと判断された事実が、詳細に論じられている。また、これを機に、アルノーの経営方針、LVMHに成功をもたらした処方箋なども多数論じられている点は、本書の醍醐味の一つである。アルノー自身によれば、本書は、LVMHの事業に対する論理と姿勢を明確にするのに役立つ。そして、企業規模が大きくなるにつれリスクと慎重さの二項対立がはらまれるのだ、という経営的な心構えを、アルノーは実際どのようにして立ち向かっているのだろうか。

本書の構成は以下のとおり。

日本版まえがき:ベルナール・アルノーとLVMHグループ/序章:高級ブランド品産業をめざして(原著まえがき)/第一章:成功の秘訣/第二章:出会い/第三章:LVMHあるいはブランドビジネスの創設/第四章:私生活/第五章:インターネットへの挑戦/第六章:資本主義、ヨーロッパと政治/終章:あとがき(原著あつがき)/主要ブランドデータ

ベルナール・アルノー『ブランド帝国LVMHを創った男ベルナール・アルノー、語る』日経BP社、2003年

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