昭和のキモノ─和服が普段着だったころ
本書の概要・感想
小泉和子編『昭和のキモノ─和服が普段着だったころ』らんぷの本、河出書房新社、2006年。
昭和期に着用されていたキモノを白黒・カラー図版を多数用いて、デザイン、機能性、窮屈さなど、一長一短の観点から掘り起こした本で、単なる懐古趣味に陥りやすい衣服史を乗り越える姿勢が伺え、お勧め。
編著者である小泉和子の着眼点について、「はじめに」から簡単に紹介しておこう。
「着物」という言葉は広義の衣服と、単なる和服の二つをさす。後者を本書では「キモノ」カタカナ表記している。そうすると昭和ほキモノが終焉を迎えた時代だったといえる。これをもう少し細かくいえば、昭和戦前は一方で洋服が一般に浸透してきたが、その一方ではキモノも一段と多様化し、華麗さを増していった時代であった。だがそれはキモノの最後の輝きであって、第二次大戦を境に洋服が圧勝し、キモノは撤退していったということになる。
活動的で機能的で、美しく、合理性に富んだ、新しい日本人のキモノを創出するべきだったのが、そうしないうちに洋服化の奔流に押し流されてしまったのが現状だといえる。最近、ちょっとしたキモノブームになっているが、これも人々が現在の洋服では飽き足りないものを感じているせいであろう。
といっても、かつての不合理なキモノに再び戻ることはない。ただあらためて科学的な目で日本の衣文化を見直してみる必要はあると思うがこれは簡単なことではない。専門家はもちろん、私たちみんながとりくまなくてはならない大問題で、すぐにできるようなことではない。そこでとりあえず、キモノの最後となった昭和時代のキモノを振り返ってみよううとしたのが本書である。
戦前に洋服の趨勢に対抗できず、戦後は駆逐されるがままに衰退したキモノ、とくに女性のキモノが、このように消滅したのは、非活動的・非機能的・非合理的だったからである。胸を締めつける広い帯、内股でしか歩けない裾捌きの悪さ、しかも他人の手ですぐほどける帯、開けられやすい据、逃げにくい窮屈さなど、衣服としてきわめて無防備である。にもかかわらず、キモノが形成された江戸時代以来、連綿と続いてきたのは、とりもなおさず女性の立場の反映であって、男女不平等な社会が続いていたからである。
それが第二次大戦後の社会変革によって、男女同権となり、女性の位置が向上したことと、激動の戦時中にもんペやズボンなど活動的な衣服を体験したことが契機となって、ようやく解放されたのである。男女平等・男女同権といっても実際にはまだ問題だらけであるが、しかしもうキモノに戻ることはないだろう。といって現在の洋服のあり方がすべて良いわけでほなく、これはこれで問題が山積しているが、ともかく日本人は衣服改革を敢行して洋服を選び取った。
だがキモノといってもすべてが非活動的だったわけではなく、野良着をはじめとして、労働する人々が着ていた着物の方は、いずれも活動的で機能的であった。またキモノにしても、形や着方こそ非合理的だったが、キモノを支える高度な染織技術・意匠・リサイクルシステムなどは、抜群のものをもっていたうえ、非合理的な面を別にすれば、着こなしのセンスも洗練されていた。その点、服飾文化においては日本は世界でも有数の国だったといえる。とくに昭和は染織の工業化が進んだことによって、戦争中を除けば、広く大勢の人にまで多様な染織製品が豊富に行き渡った時代だったといえる。いいかえれは多くの人がキモノを楽しむことができた時代だったといえる。
目次
- 昭和のキモノ史(我が家のキモノものがたり、よそゆきと普段着、柄と流行、百貨店の役割)
- コラム(ある家族のアルバム、家で着るキモノ、キモノの整理道具)
- 人とキモノ、時とキモノ(働く人のキモノ、子どものキモノ、婚礼衣裳と喪服、戦争中のキモノ)
- コラム(背守り、キモノの数)
- キモノのまわり(大塚末子の改良キモノ、『主婦の友』に見る和装下着の変遷、リサイクル、昭和の和裁教育)
- コラム(実験 キモノの窮屈さ)
- 参考文献
- あとがき
- 昭和のくらし博物館案内
- 執筆者一覧(小泉和子、藤原里香、藤井健三、木島史雄、原田紀子、里村洋子、谷口こずえ、里村洋子、むらき数子、下中菜穂、むらき数子、常見紀美子、門松由紀子、岡部和代)
