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マーケティング生成史論



本書の概要・感想

マーケティング生成史論小原博『マーケティング生成史論』増補版、税務経理協会、1991年

現代企業に不可欠なマーケティング活動や機能が、資本主義経済の展開のもとで、どのような企業経営的、社会経済的事情に基づいて成立したかを、シンガー・ミシン社の活動から検討している。

シンガー社は、20世紀を通じて、ミシンといえばシンガー、シンガーといえばミシンというように一世を風靡したが、19世紀末葉にはビッグ・ビジネスとして成長していた。本書では、1850年から1914年までに時期を限定し、そのマーケティング活動に焦点を当てている。

当初は、副題(サブ・タイトル)に、「巨大製造会社、シンガー・ミシン社におけるその萌芽、生成過程の研究」が付される予定だったが、冗長になるとのことで割愛された。

第1章では、いまだに黎明期にあるマーケティング史研究の方法論が展開されている。第2章では、シンガー社の歴史が、アメリカにおけるミシン企業の略史に照らし合わせて詳説され、大量生産体制の確立に触れている。第3章では、シンガー社が導入したチャネル活動(販売代理商方式→特約代理店方式→直営支店方式)を中心に観ることで、大量販売が実現した要因を探る。

次に第4章で、その販売の基礎となった需要側における購買意欲の喚起が、大衆消費市場の成立を参照しながら検討されている。第5章では、広告活動を中心に販売方法が再検討されている。第6章では、総括として、シンガー社のマーケティングの意義を確認し、付録には、シンガー・ミシン社の略史・年表や、日本製ミシンの戦後史も紹介されている。

本書の感想だが、ミシン需要が大衆消費社会の一指針として考えることについては、若干だが違和感がある。ミシンが最終消費財と捉えるかどうかによって、消費の意味が変わるからである。すなわち、いうまでもなく製造業者としての側面をもつ、20世紀転換期の日本にみられた量産型の仕立業者の場合のように、一職業としてミシンが利用されている場合、最終消費財はシャツやパッチなどの衣料である。これは戦後に一部で展開されたミシンを用いた家庭内職の場合も、ミシンは最終消費財を作る機械として同じ意味を持っている。

しかし、戦後の日本で一般的に見られたような場合、つまり、家庭において趣味としてミシンが利用された場合については、ミシンそのものが最終消費財の意味を持ってくる。そして、ミシンそのものは大量生産品であっても、それによって家庭内で作られた衣料は大量生産品とはならない。

逆に、先の日本の仕立業者のようなケースでは、ある程度の顧客層をもっており、ミシンによる衣料製造は大量とまではいいにくいものの、ある程度の量産が可能であったし、既製服がそもそも家庭用ミシンではなく工業用ミシンによって製造されてきた経緯を踏まえれば、小原博がアメリカ経済史におけるミシン需要として大量消費社会と関連付けた論点は、日本では当てはまらないのである。

いいかえれば、本書をもとに、既製服の経緯や意味自体が、日本とアメリカとでは大きく異なっていたという事実を確認することができる。

著者紹介 1946年生まれ。商学博士。拓殖大学副手等を経て、1987年から拓殖大学商学部教授(出版時)。

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