ファッション・ステージとしての銀座 : 今和次郎の見たもの

今和次郎 が1920年代に見た 銀座 に思いを馳せています。

先日、妻が鎌倉に行ってきました。次の写真は2017年1月24日に七里ケ浜辺りの海岸から江の島に向けて写したものです。この海岸線と江の島の位置に、面食らいました。実際に見直すと随分と角度が違いますが、どこかで見た写真でした。たった2枚の写真について、私自身は行ったこともない江の島を想像し、ウダウダと写真について妄想します。

江の島、鎌倉@2017/01/24 (c) 蔡蕾

今和次郎 と 銀座

この冬、今和次郎という不遇な民俗学者の文献を私は読み進めてきて、たまに思い浮かべるようになったのが鎌倉や江の島です。不遇というのは、最近の経済史や文化史の研究者たちが挙って借用(引用といえず盗用に近い酷いもの)するからです。出典を明記しない酷い論文がいくつも出ています…。

今和次郎は1925年銀座から路上調査を始めました。断続的に30年代にも続けられます。調査の主題は洋服と和服のどちらが多いのか、詳細にはそれぞれにどのような品目が併用されているか、もっと広く見ると銀座その他の地域で女性と男性のどちらがどの時間帯に多く歩いているか、子供は?女子学生は?等々の角度から調査を続けました。一連の調査の最大の主題は洋服・和服比率です。成人と思わしき女性たちが、女子学生や男性一般に比べて一番洋装化が遅れていた、しかもその比率は和服が99%という調査結果が、研究上、よく借用・盗用されます。

ファッション・ステージとしての銀座

今和次郎が銀座に注目したのは、そこが当時の日本で最高のファッション・ステージだったからです。当然、N.Y.やParisや上海その他に及ぶ訳もありませんが…。交通の便も良くなり、ファッション・ステージ、衣装自慢場所として1920年代に銀座は浅草を凌ぐ勢いで賑わうようになりました。そこでは既に洋服に飽きた女性たちが、皆一様の太鼓帯を締めて、普段着る事のない着物で出かける街になっていました。昼間の仕事着としての洋服は女性にも浸透しており、しばしば丸の内800人程の女性が洋服に慣れていたといった趣旨の指摘がされます(今和次郎も若干触れています)。オフに洋服は避けたいという一定の人たちが少数ながらいたわけです。他方で仕事着に和服も多かったです(以上は、主に大丸弘・高橋晴子『日本人のすがたと暮らし』)。

今和次郎の諸調査では女子学生たちは制服の洋服着用率が高かったのですから、彼女たちが成長する1930年代に洋服着用は一層増えていきます。同時に、銘仙のように規格化(西洋化)された和服が20年代から流行っていたので、30年代にかけて洋服に気疲れを覚えた女性たちが和服を着、洋服に憧れた女性たちが洋服を着、ごく少数の女性たちは中国服を着、多様な衣装が楽しめた、まさにベル・エポックの時代です。

鎌倉―感覚疲労の脱出先とファッション・ステージの移動先―

このような洋服と和服の混合時代、それも一番豊かに花咲いた時代に、従来の衣装に疲れを覚えることもよく見られました。大丸弘・高橋晴子『日本人のすがたと暮らし』が一つの分析角度とする「感覚疲労」です。おそらく、その疲労には銀座というファッション・ステージに対する疲労も合わさっていたと私は感じます。その脱出口として選ばれた一つの観光地が鎌倉だったのではないかと感じます。既に横浜は20世紀初頭には外国の香り漂う街のけん引力を失っていました(同『日本人のすがたと暮らし』513頁)。そこで、《東京以外の場所》かつ《横浜以外の場所》が注目されるようになったのでしょう。避暑地では長野県の上高地です。その延長線上に、海水浴または海岸の観光地として注目されたのが鎌倉だったのではないかと推測します。

といっても、七里ケ浜の海水浴場は必ずしも全てを脱ぎ捨てて泳ぐ場所とは限りませんでした。単にファッション・ステージ銀座を離れて、海水浴場にファッション・ステージを写す女性たちもいました。それを示すのが1930年代とされる次の写真です。中央が江の島です。

1930年代とされる洋装と和装の七里ケ浜 via Ghostly footprints of the ‘modern girl’ along Kamakura’s coastline | The Japan Times(この記事では写真出典を鎌倉市中央図書館としていますが、上位図書館の鎌倉市図書館ウェブサイト内のデジタル資料検索で私は探せていません)

ここに写された女性3人の洋装と和装は、いずれも普段着では無いことを示しています。左の洋服女性は左手で帽子を持っています。真ん中の洋服女性は帽子を被っています。和服に適当な帽子は定着しなかったので、右の和服女性は日傘をさしています。なの、この写真を紹介したGhostly footprints of the ‘modern girl’ along Kamakura’s coastline | The Japan Timesの記事は、モダン・ガール(Modern Girl)の痕跡を鎌倉に求め、空間旅行と時間旅行をした気分になり、楽しいです。これによると、

The moga congregated in a number of places, but one of their main stomping grounds was Kamakura — a coastal town and district, located an hour by train from Tokyo.(モガ<モダン・ガール>は色んな場所に集まったが、最大の溜まり場の一つが鎌倉であった。鎌倉は沿岸の街区、東京から電車1時間ほどに位置していた。)

ですから、《東京以外の場所》の一つに鎌倉があったというのは、あながち間違いではないかと思います。この写真はよく探したと思います。繁華街のモダン・ガールを写した、あるいはスケッチした物は少々存在しますが、観光地のモダン・ガールは、この写真では初めて見ました。なお、子連れの母親をモダン・ガールと言うべきかどうか微妙ですが…、今のギャルに出産経験や育児経験があるかないか等、問題にならないのと同じことかもしれません。


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[投稿日]2017/03/14
[更新日]2017/05/15